未婚の未亡人、泣いたり笑ったり

今は亡き同居人○Tと、未婚の未亡人の珍道中人生

闘病記ー今日も絶好調!

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2006年11月6日(月)〜2007年3月24日(土)
同居人○Tの全てを賭けた、最初で最後の闘病記を、未婚の未亡人の私がつづります。
ぷぷっと笑って、でも時には大まじめな彼の闘病記です。
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退院後の普通の一日

2007年2月24日(土)

酸素+2

前の晩はトイレに一度起きただけで、本当に静かな寝息で寝ていました。
7:30に起きて、久しぶりの我が家での朝食をペロリと食べました。

今までと同じ様に、我が家の定番、トースト、チーズ、目玉焼きにソーセージ、ゆでたブロッコリー、コーヒーでした。

とても調子良さそうに、「行って来るね〜!」と言う私に「行ってらっしゃ〜い!」と答えてくれました。
又私達のいつもの生活が戻って来たのです。
これだけでも、私にとっては○Tが家に居る価値がありました。

ところで、○Tは、この病気がわかる前から気になっていた事がありました。
それは、前の年の春に辞めた社員HRの事でした。 
病気で辞めたその彼が離婚をしたのでは?と言う話を耳にしていました。
私達はHRの奥さんのHNちゃんとも仲良しでした。
若い頃から知っていた○Tは、HNちゃんを自分の何番目かの娘の様にも思っていました。
その娘からも何も連絡がない事が気がかりだったのです。

私に「お前から一度メールしてみてよ」と言うので、この日、私はHNちゃんにメールをしてみました。
HNちゃんからはすぐに「元気だよ」と言う返事が来ましたが、特に離婚の話が出た訳ではありませんでした。

「メールしたら返事が来たよ」と私が○Tにメールをすると、
「たまにはTにも連絡してあげてよ、なんて感じでメールつづけてよ
・・・・・・
HNからから話すようにしむける為に、他愛無い話でつなげって思ったわけさ」

結局私は彼女に○T が言った様に「○Tも心配しているから、たまには○Tにもメールでもしてよ」と書いて送りました。 勿論彼女には○Tの病気の事は伝えませんでした。
彼女からは「そうだね、私も○Tさんの何番目かの娘なんだもんね」と言う返事が来ましたが、私の記憶では、○Tがこの世にいる間には自分達の離婚の話を伝えては来なかったと思います。

この日は又、これも何番目かの娘(何人いるんだか、私にもわからないのですが〜!)のNMちゃんが家にやって来ました。
奥さんのMKちゃんもやって来て、3人でお昼を食べに行っていました。
勿論、○Tが運転する車で、です。

ポチを助手席に置き運転する○Tに、それを初めて見たNMちゃんはぶっ飛んでいました。
帰りがけに私の店に寄ったNMちゃんは、「も〜、オヤジったら、凄いね〜、あんなでも普通に運転しちゃうんだもんね〜、ビックリだよ〜。  でも、元気そうだね、良かった。」と言っていました。

「それで、NMちゃんをこの辺まで送って来て、又どこか行った?」と私が聞くと、
「うん、Mちゃんとダ○エーに行ったよ。」

やれやれ、退院した途端にこれだもの・・・
でも、これこそが本人にとって、退院した甲斐があったと言うものかもしれません。

私が家に帰ると、いつもゴン4の秘密基地になっていた棚に新しいカゴが3つ並んでいました。
「これね、今日買って来たの。 ほら、ピッタリでしょ? このお薬を入れておくのに良いと思ってさ。」

それを聞いたMちゃんが「わざわざ寸法まで計って行ったんだよ〜。 それで探すの大変だったんだから〜」と笑っています。

「ほんとだ、ピッタリじゃん、どれどれ、お、見事に病院の薬の袋が収まってるね〜」
「だろ? それに可愛いでしょ? このカゴ。 お前、カゴ好きだしさ」

本当はカゴの内側に貼ってあるお花柄がどうも私の趣味ではないのですが、時々○Tはこういう可愛らしい物を買って来てくれます。

病院から持ち帰ったお薬の中に、「病院では金庫に入れて管理してます」と言われるモルヒネの水薬も頓服用に沢山ありました。
それらをその可愛らしいカゴに入れて、○Tは朝晩の食事の時に、そこから自分でお薬を出して飲む事にした様です。

この頃に飲んでいたお薬は以下の通りです。
ハイペン(炎症止め)
デパス(安定剤)
パリエット(胃薬)
酸化マグネシウム(便秘用)
オキシコンチン(痛み止め)
リンデロン(ステロイド剤)

どれも袋に大きく名前と、一日の回数などを書いておきました。


そして、この晩は、○Tは張り切って炒飯を作ってくれました。
「酸素付いてるの忘れないでよ〜!」
「大丈夫だよ〜」

「まあ、火傷する位だって聞いているけどさ」
「火を小さくしておくよ〜」

そう言いながら、作ってくれた○Tの久しぶりの炒飯でした。
毎回違う味になってしまう我が家の料理ですが、これが「家庭の味」だよね。
これが、○Tの味だったよね。

「○○買って来て、XX入れて、○Xと合わせて、大変だったんだよ〜、美味い〜?」
「うんうん、美味しいよ」

「お前は、自分が作らないで食べると何でも美味いって言っちゃうからな〜、信用出来ないんだよな〜」
「いやいや、ほんと美味しいって〜」

こんな会話の話を友人にすると、「まるで男と女が逆だよね〜、お宅は」と言われたものです。
そんないつもの会話をした後に、
「ねえ、撒く?」と○Tはカードを撒く仕草をしました。
「いいよ〜、負けた方がしっぺだよ〜」

”二人UNO”をやるのも久しぶりです。
テレビをつけっ放しで、11時頃まで遊び、布団に入りました。
酸素がついている事を除けば、本当に普通の人の様な○Tでした。

明日もこんな一日であります様に。

元気に退院

2007年2月23日(金)

酸素+1.5

いよいよ退院です!
この日は小雨だった様です。
私から出した朝のメールのタイトルに傘のマークがありました。
でも、返事は元気に「寝た寝たよ これから朝飯だ」と返って来ています。

9時過ぎに息子のDが私を迎えに来て、車で一緒に病院へ行くと、○Tは椅子に座って待っていました。
退院の手続きも自分で済ませ、本当に元気一杯で病院をあとにしました。

Dが一日付き合えると言うので、私は二人を家に残し、仕事に出かけました。


お昼過ぎに○Tからメールが入りました。
「久しぶりだよ、出前、Dも喜んで食ってるよ」と、いつか私達が行った鰻屋さんの出前を取った様です。 写真まで付いていました。 それもちょっと食べかけた所で・・・。
そう言えば、そこの鰻屋には、Dだけが一緒に行っていませんでした。
○Tは、きっとDにも食べさせたかったのでしょう。

夕方遅くなってから、私からメールを入れました。
病院の夕食は6時頃です。 「そろそろお腹空いちゃってるかも・・・」と思っていたら、その返事は「たら買って来た」でした。

「買って来た」と言う事は、すでにどこかに買い物に出たみたいです。
「フライパンで焼くんだよ」と調理法まで指定でした。

仕事が終わると、私は今まで通り、○Tの電話に”帰るコール”をしました。
まるで当たり前の様に○Tがその電話に出る事が嬉しくて、真冬の原チャリも苦になりませんでした。

この日の夕飯は、タラのホイル焼き、ゆでたブロッコリー、卵入り味噌汁、ご飯。
○Tは全てをペロリと食べ、満足そうでした。

家での酸素も問題なく、普通に歩いていました。
管が長過ぎるかな?と思っていたのですが、さすが音響屋の○Tは、上手にその管をまるでマイクのコードを巻く様にいわゆる”八の字巻き”にし、スルスルとそれを出して歩き、戻る時には、それを又巻いて棚に突き刺したドラムのスティックに掛けて戻していました。

「上手だね〜!」と私が感心していると
「そりゃそうだよ」と笑っていました。

「私だったら、めちゃくちゃにして引っ掛けそうだな」
「お前ならそうだよな、ま、俺だからな」

「でもさ、それって もう”かくれんぼ”出来ないね。 どこに○Tが居るかすぐにわかっちゃうもん」
「隠れてたのは、いつもお前だろ〜、俺は隠れないじゃん」

「あ、そうだね」
「馬鹿か」

私は時々、○Tが帰って来た時に部屋のどこかに隠れていた事がありました。
畳んだ布団だったり、押し入れだったり・・・。
最初の頃、一度だけ、隠れている事にも気づかずに、○Tは帰って来るなり電話を掛け始め、隠れていた私は、出るに出られなくなった事があります。
電話で話している間に、そおっと姿を表した私に○Tは受話器を落とさんばかりに驚いていました。
「あ〜、他の女に電話してるんじゃなくて良かった〜」と○Tは言って笑っていました。

それからは、私が帰っているはずなのに姿が見えない時は、(広い部屋ではないのですが、私が小さいので結構隠れられます)私が”かくれんぼ”を仕掛けていると理解してくれたみたいです。
あまり何度も仕掛けていたので、わざと探さないで放っておかれた事や普通に私が先にお風呂に入っていても、「隠れているのかと思った〜」と言われた位でした。

そして、この晩は久しぶりの我が家でのお風呂です。
湯船につかるのは入院以来です。 酸素を2にして、オキシメーターで指を挟んで94〜96、OKでした。

ところが、服を脱いだところで○Tが私を呼びました。
「M_B_ 、ねえ、ちょっと見てよ」
「なになに〜?」

「体が歪んでない?」
「へ?」

○Tの体の左の脇に、オマケのガンの出っ張りがまだ大部放射線での出血のあとが残っていました。
けれでも、○Tが言ったのは別のものでした。
腰骨の辺りと足の付け根の2カ所にポコンと膨らんだ物があり、全体には体が左側に歪んだ様に見えるのです。

「どうなってるんだ?」と静かに驚く○Tに、私も「なんだろうね?」と静かに聞き返しました。
「前からちょっと気になってたんだ」と○Tが言うので、
「先生に言ったの?」と私が聞くと、
「ううん、だってさ、こんな所だから・・・、先生、女だしさ〜・・・」

う〜ん・・・・私はうなって「これってリンパのある所だからさ、もしかして、今そこの傷とかの為に頑張ってるのかもよ」と言ってみました。
「そうなのかな〜?」と○Tも半信半疑です。

「今度聞いてみようか〜」と私が言うと
「放射線の先生に聞いてみるよ。 月曜から通うからさ」と言っていました。

「痛いの?」
「ううん、痛くはないんだよ、ま、とにかく風呂に入るね」
そう言って、○Tは久しぶりの我が家のお風呂に入りました。

この日はコンチンは3回、水薬は飲む事もなく、11:30には私の方が眠くなり、二人で布団に入りました。

酸素をつけた○Tの寝息は本当に穏やかで静かなものでした。
私は安心して目を閉じました。

ちょっとオマケの付いてしまった退院だけど、先生はあんな事言ったけど、先の事なんてわかりません。
もしかして、このオマケだって外せる時が来るかもしれないじゃない!
もし外れなくても、まだずっと一緒にいようね!

先生が言った「今が一番良い時」ならば、これがずっと続けば良いだけの話じゃないですか!


後になってDに聞いた話では、この日、鰻を食べならが、○TはDに謝っていたそうです。
「俺がずっとお前を引っ張って来ちゃってて、悪かったな。 この仕事に引きずり込んだのも俺だもんな」と。
Dは、親父が初めて自分に謝った時だったと言っていました。

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2007年2月22日(木)

酸素 +1.5
放射線 10回目(最終回!)

前の日からコンチンの量を増やしていた○Tの朝の様子が心配でしたが、メールの返事は
「だいじょぶだー」とデコメに走ってる人がくっついていました。

朝食もしっかり食べ、日課になった朝シャンもし、この日で放射線も終了でした。


放射線に行く時に、時々車椅子を押してくれる介護の女性が何人かいました。
この日もちょうど手があいていた一人が○Tの車椅子を押して連れて行ってくれました。

放射線室の中まで○Tを入れてくれると、出て来てその彼女が私に言いました。
「我慢強い方ですよね」
彼女はそれほど特別な思いを込めて言ったのではないのはすぐにわかりましたが、その言葉は私には辛く感じました。
「我慢なんてしてくれなくて良いのに・・・」言いながら私が泣き出しそうになったのを見て、彼女は
「ごめんなさい・・・そんなつもりじゃないんですよ」と慌てて慰められてしまいました。

放射線科はレントゲン等と同じフロアにあり、そこの受付にはいつもニコニコと愛想の良い女性が座っていました。
○Tはその丸顔の彼女を「おばちゃん」と言って、最初に入院した時からすっかり気に入っていました。

最初は車椅子で行っていたレントゲンに、歩いて行く様になった時には「あら! 歩ける様になったのね! 良かったわね〜」と言ってくれ、この2回目の入院で又車椅子に戻ってしまった時には「あらら、どうしちゃったの? 大丈夫なの? 頑張って」と声を掛けてくれる様な人でした。

この日が最後の放射線とあって私はカメラを持って、彼女とも記念写真を撮りました。

「明日退院なんだよ〜」
「一緒に写真撮らせて下さ〜い」と言う私達に、
「それは良かった〜! 写真? 勿論よ〜!」と言って笑顔で収まってくれました。

最後の放射線を終わって出て来ると、先生は「効果は一ヶ月位が最大になるはずです。」と言うので、私は思わず「ガンはやっつけられてるんですか? だったらいっその事散らばったガンも全部やっつけて欲しいもんだ〜。 肺全部に当てて欲しい位ですよ。」と言ってしまいました。
先生は真面目な顔をして「いや、それは・・・」と困っていました。

そんな事はわかっていますよ、先生・・・ちょっと言ってみたくなっただけです。

そして、病室に帰って、私が「終わったね〜、お疲れ〜」と労っていると○Tがまだこの先にも放射線をやるかも、と言い始めました。
「あの先生に言ったんだ。『腰が痛いのも骨だと思うから、治らないにしても少しでも延命につながるならやって欲しい』って。」
「え? だってやっと終わったのに・・・で、先生はなんて?」

「うん、勿論決めるのはNK先生だけど、『希望は言ってもらった方が良いです。 NK先生に相談しておきますから』って。 やるなら10回らしいけどね。」
「10回? どうやって? もう明日には退院だよ」

「通うんだよ。」
「通うの〜? 一人で?? 大丈夫なの?」

「うん、大丈夫だよ〜。 NK先生が何て言うかはわからないけどさ・・・・でも、俺、やってみたいんだ。 俺だってそれくらいは頑張らなくちゃ・・・でしょ?  だから俺から希望したの。」
「そっか、やってもらえると良いね」
「うん」

○Tはちょっぴりこの『俺から希望した』を強調して自慢げに言っていました。
その顔は、「俺の病気なんだから、俺が決める」とでも言いたそうでした。

明日が退院の日とあって、私はこの前先生から聞いていた「急変があり得る」と言う言葉が心にひっかかり、「急変する前に退院出来る事」ばかりを祈っていました。
タイミングを逃して、このまま退院を見送る事になる事が私には一番の心配でした。

けれでも、それを知らない○Tはもっと先を見ていました。

それで良いんだ・・・それで良いんだ・・・
そう思いながらも、私は仕事先から妙に間抜けなメールを入れてしまいました。

「無事?」
内容は忘れましたが、私は時々こう言うタイトルのメールを長い事連絡のない友人にも入れたりするので、この時はそれほどこのタイトルが特別な物だったとは思えないのですが、○Tの返事で、驚いてしまいました。
「なんで?」

そう聞かれて、私は初めて自分が必要以上にこの時の○Tの心配をしてしまっていた事に気づきました。
多分、この返事には「何してるのかな〜? と思って」と言う様な事を送ったと思います。

返事は
「そう思ったら そう言う風に書けよ、素直に薮からびょうに言われて、何書いていいかわからんよ、どら焼き食って、ミルク飲んで残してって、きりないぞ」でした。

”薮からびょう”・・・・????「薮から棒でしょ?」と訂正したら、それきり返事は返って来ませんでした。

「もう少し日本語ちゃんと勉強した方が良いよね〜・・・」と夜になって病院に帰ってから言うと、「良いじゃん、お前はわかったんだから〜」とむくれていました。

明日には○Tが又家に帰って来ます。
いつもコタツに寝転がって枕代わりにしていた縫いぐるみのジャンジャンも、洗ってキレイになっています。

酸素の機械のスイッチを何度もオンオフして、ちゃんと動くのか確認もしました。
ゴン4がいなくなってから、夜中にガサガサと音がしなくなった事が寂しくなっていましたが、その代わり、とても静かな酸素の機械のブーンと言う音がこの部屋に響きます。

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2007年2月21日(水)

酸素の機械が家にやって来る予定の日でした。
直接業者さんが午前中に我が家に出向いて来るのかと、○Tに確認のメールを入れると返事が返って来ました。
「その予定だよ 電話はおまえの家電教えてある、本体はまだ部屋にあるしな、これを持って行くんじゃないのかな」

前の日に、息子のDが機械を置く予定の場所の棚板をずらしてくれてありました。
棚板はハムスターのゴン4がいつも遊んでいた場所です。

しばらくすると、酸素の機械を持った業者さんがやって来ました。
予定していた場所に置き、使い方を説明してくれました。
この機械がこれから先、○Tの命をつなぐ物だと思うと、私はあれこれと質問をし、○Tが聞きたがっていた事も、つっこんで聞いてみました。

機械はスイッチを入れるだけですが、量を調節出来る様になっていました。
量は主治医からの指導の量と言う事でしたが、MAXが5までです。
機械には、蒸留水がセット出来る様になっていましたが、2以下で使う時だと管の中に却って水が溜まってしまう事があるので、それほど必要がないそうです。

管の長さは業者さんが適当な所で切ってくれようとしたのですが、きっと○Tの事だから、自分で切りたいと言うと思い、そのままにしてもらいました。
長さがあっても、途中でたるんでいても、出る量が途中で下がると言う事はないと言う話でした。

そして、○Tが聞いた話だと、「火のそばには近づかない様に」と言う事でしたが、本当に爆発するものなのか?と聞いてみました。
家に帰って来たら、○Tは今まで通り、料理もするつもりでした。
すると、「お料理位なら大丈夫ですよ。 まあ、もしあまり火が強くて万が一火が顔のそばに来ても、ちょっと火傷する位ですかね〜。  爆発する程の量じゃありませんよ」とケロリと言っていました。

それから、お出かけ用のタンクの説明でした。
こちらの方が使い方がちょっと複雑でした。
何故なら、機械の方は部屋の空気を取り込んで酸素を作る様になっていますが、お出かけ用はタンクの中に入っている酸素を使い切ったらおしまいで、取り替える様になっているからです。
そのため、消費量を押さえる為に、酸素は常に出っぱなしではなく、吸った時にだけ酸素が出る様にタンクに10センチX20センチ位の箱の様な器械を取り付けなければいけません。
吸った時にだけ出るなんて、まるでダイビングのレギュレーターみたいだ〜!と私は感激しながら見ていましたが、これも取り付け方を間違えると○Tにとっては命に関わるとあっては真剣に聞かざるを得ませんでした。

○Tが気にしていたのは、そのタンクを一度に2本しか貸し出してもらえない事でした。
「前の日に電話をくれればすぐに次の日にお届けします」と言うのですが、(土)(日)は休みなので、金曜に頼んだ物は月曜にしか届けてもらえません。

「もっと沢山出して欲しい」と言った○Tに、病院に来た担当さんは「危険物なので、何本も置いておく事は出来ません」とつっばねたと言うので、私はこの日に来た担当さんにもう一度ごり押しをしてみました。
すると、「わかりました。 多めに置いて行きましょう。 内緒ですよ」と快く応じてくれました。

そして、もう一つ聞きたかった事は、○Tが行きたがっていた温泉に、このタンクで大丈夫なのか?と言う事でした。
ここの業者さんは、全国どこにでも要望があれば、その器械を設置してくれるとは聞いていました。
例えば旅行に行く時に、宿泊先の部屋に器械を設置してくれると言うのです。
そこからの外出用のタンクも、現地に用意をしてくれるとは聞いていたのですが、温泉に入る事が出来るのかどうかを聞いてみました。
ところが、器械を脱衣所に置く事は無理だと言うのです。
「え〜! それじゃあダメじゃん。 じゃあ、タンク持って入れる?」と聞くと、例のレギュレーター代わりの器械が水はダメだと言うのです。

「それじゃあ、タンクを脱衣所に置いて管を長くすれば良い?」と聞くと、管が長過ぎるとレギュレーターが感知しなくて動作をしないと言われ、「じゃあ、どうすれば良いの? 温泉は諦めなきゃいけないの?!」とつめよりました。
すると、担当さんは裏技を教えてくれました。
レギュレーター無しで、直接タンクに管をつなげれば良いのだそうです。
但し、その場合は酸素が出っぱなしになるのでタンクが空になるのが早いので注意をする様にとは言われましたが、これで何とか温泉に入る事は出来そうです。
しかも、その担当さんは「万が一本当にそれを実行する時には、僕に連絡を下さい。 このままで直接タンクに管をつける事は出来ないので、別の部品をお貸ししますから。」と言ってくれました。

これで、準備万端です。

お昼には病院へ行き、○Tと一緒にご飯を食べました。
しかも、あこがれの(?)10階のレストランです。
この2回目の入院でも、酸素のポチが来てからは、○Tは何度か10階に食事に出かけていました。
でも、私は前回の時も今回も一度も行った事がなく、いつも「いいな〜、いいな〜」と言っていました。

お昼を食べ終わって病室に帰ると、仕事先の友人がお見舞いに来ていました。
一人は風邪気味だと言ってマスクをし、○Tから離れた所に座っていました。
思っていたよりも元気になっている○Tを見て、二人とも嬉しそうに写真を撮られていました。

二人がいる間に主治医のNK先生がやって来ました。
すっかり忘れていましたが、この日は3クール目の抗癌剤の1回目の日でした。

「私達外に出ていましょうか?」と二人が聞くと
「あ、大丈夫ですよ、すぐ終わりますし」と、まるで血圧でも計りに来たかの様な気楽さで先生は抗癌剤の準備を始めました。

「俺ね、血管太いから、このでかい注射みたいなので良いんだよ」と○Tが二人に得意気に言うと、先生に
「あ、このお薬は皆同じなんですよ、Tさんだけじゃないんですね〜」と軽くいなされていました。

「こんな患者めったにいないから、記念撮影しておこうか〜」と私が構えたカメラに○TはVサインでおちゃめにポーズまで決めてくれました。


この日、先生からオキシコンチンの量を増やす様に言われました。
前の晩も9時頃眠くなって寝てしまった○Tが、明け方痛くて目が覚めたのは、量が足りないからだと言うのです。
「Tさん、我慢しないで下さいね。 痛いのは極力取ってしまった方が良いですからね。 Tさんの使っている量は普通の方に比べると全然少ない方なんです。 痛かったらすぐに言って下さいね。」

この話をする為に先生が病室に来た時には、ちょうど○Tはとても痛がっている時でした。
「水薬飲みますか?」
と聞かれた○Tは「はい」と言って、先生に差し出された水薬を起き上がってむさぼる様に飲んでいました。
その姿は何とも言えず悲しい感じを受けましたが、飲み終わって10分もしないうちに○Tに笑顔が戻って来るのは、本当に嬉しいものでした。

とりあえず、この日からは痛み止めのオキシコンチンを起床時、朝食後、夕食後、寝る前の4回にする事にして様子を見る事になりました。

家での酸素の準備も出来、痛みのコントロールが出来、退院は23日と決定しました。

夜になって、この晩はDと社員候補のTMちゃんが病室を訪れ、私が帰った後も遅くまで色々と話込んでいた様です。

幼なじみとの仲直り

2007年2月20日(火)

酸素+1.5
放射線 8回目

私の出したメールの「おはよう」の後に、雲の絵文字がついているので、この日の朝はちょっと曇っていたみたいです。

返事が返って来ました。
「朝痛くなって みず痛み止め飲んで 小一時間で起きて 錠剤飲んで今緩和中 だいぶ良いよ」

私が病室に行った頃にはその錠剤のオキシコンチンが効いて、すっかり元気になり、朝ご飯もほぼ完食と言った感じでした。

放射線に行くと言う○Tのオマケのガンの所に大きなガーゼが貼ってありました。
放射線を当てている出っ張りの先がつぶれて血が出てしまったと言うのです。
「看護婦さんが貼ってくれたんだけどさ、貼り方が違うって放射線の先生に怒られてたんだ〜」
と○Tが言うので、良く見てみたのですが、どこがどう違うのかが私にはわかりませんでした。

これはこの先も貼らなければいけないのなら、私も聞いておかなければ・・・と、この日一緒に行ってみました。
この傷が化膿する事もあると、私は近所の仲良しの薬屋さんから聞いていました。
「その時はどうするの?」と不安気に聞いた私に
「それはただの傷だから、自分で治るんだけど、化膿したら市販のでも良いからお薬塗れば大丈夫よ。 あのね、なんとかマイシンとかって名前のお薬なら大丈夫よ。 マイシンって言うのがついているお薬は化膿止めが入っている物だからね」と教えてくれていました。

○Tが放射線をやっている間に、私はそこの先生にガーゼの貼り方を教えてもらいました。
ガーゼは大きめに当てる事と、それを止めるテープの向きが問題なのだそうです。
○Tの場合は体の横方向に放射線を当てているので、テープは縦向きに貼らないといけないのだそうです。
放射線が当たってしまっているはずの所にテープを貼ると、そこの皮膚も弱くなっているからなのだと教えてくれました。

そして、私はついでに、化膿したら なんとかマイシンって言う薬を塗って良いのかどうかも確認しました。
先生は「良いですよ、化膿止めですね、大丈夫ですよ。 傷自体は火傷みたいな物なので、日が経てばちゃんと治りますからね」と言っていました。

私は仕事へ行く前にさっそく、教えてくれた薬屋さんに行きました。
「ガーゼとなんとかマイシン下さい」
そのなんとかマイシンを教えてくれたそこのオーナーの女性は「アンタ、ホントにそう聞いたの? 先生に?」と呆れて笑っていましたが、この彼女も早くにご主人を亡くし、薬屋をきりもりし、女手一つで二人の息子を育てた強者です。
私がやっと覚えた『なんとかマイシン』と言う名前を、必死でお医者さんに聞いている所が目に浮かんだのでしょう。

「じゃあ、これね。 頑張りなさい、大丈夫だからね」と言ってその薬を渡してくれました。


この日は○Tの会社に少し大きな入金がある予定でした。
仕事の合間に通帳を記帳しに行き、入っていたのを確認すると○Tにメールを出しました。
「よかったよ」とほっとした様な返事が返って来ました。


17:50 珍しく○Tの方からメールが来ました。
「Y.Nが来たよ。 俺も 時間が経ち過ぎたかな 普通になったよ。」

何日か前、私の雇い主の息子で○Tの同級生のKJさんが電話をしたと言っていた人です。
中学からずっといつもいつも一緒だったNちゃんが○Tにいわば不義理をつけて、10年は経っていました。
私はNちゃんが来るかどうかを危ぶんでいましたが、彼はやって来ました。

私が病院に帰る頃にはもう居ませんでしたが、○Tは可笑しそうに話していました。
「もうさ、なんで会わなくなったんだかも、俺も覚えていないんだよな〜。  アイツが来なくなっていただけで、俺はどうでも良かったんだよ。
あのまま来ていれば良かったんだよな。
アイツさ、ドアの前でね『もしかして、ドアを開けてTが”帰れ! お前の顔なんて見たくない!”って言われるんじゃないかと思った。 そう言われたらどうしよう?』って思ったって言うんだよ〜。
馬鹿だな〜・・・・俺、そんな事言わないの知ってたくせに・・・・・・」

「そうだよね、○Tは『来る物拒まず、去る物追わず』ってずっと言ってたのにね。 でもさ、怒っていたのはむしろ私の方だったから、私には会いたくないんじゃないの?」
と私が言うと、○Tは
「うん、『M_ちゃんにも会って謝りたい』って言ってたよ。」と言いました。

「別にさ、私が怒っていたのはさ・・・」と私がそれを遮って言い始めると、
「わかってるよ・・・そんな事はさ、アイツだってわかってる。 だからさ、退院したら俺と一緒にお前の店にでも顔を出すって話にしたんだよ。 アイツ一人じゃお前に会い難いだろうからさ〜」

幼なじみの男同士の友情の前には、たかが20数年付き合った位の私には勝ち目はない様でした。

この二人を会わせてくれたKJさんのおせっかいに、私はとても感謝しています。
「二人とも喜んでいたよ」とKJさんに報告した時に、「だろ?」とだけ言ったKJさん、私は○TにはこれがKJさんの差し金だったとは、私は知っていたとは最後まで○Tには言いませんでしたよ、これも男の友情ってもんなんでしょ?


この日は、又Yっちゃんも来てくれていました。
Yっちゃんはこの○TとNちゃんの「仲直り再会」の一部始終を見ていた様です。
Nちゃんの事をまるで知らなかったYっちゃんは「何だか私が居ちゃ悪い様だったけど〜
でも、M_ちゃん、良かったね、○Tさん仲直り出来て」と素直に喜んでくれていました。


Nさんは昔からとても整った顔をしていて、女の子にはとてもモテていました。
ちょっぴり不細工な○Tに比べると、黙っていても女の子が寄って来ていて、「アイツはさ顔が良いから、何もしないんだよな〜、芸がないんだよ。でも俺はそれじゃダメだったから、沢山芸はあったんだよ」と○Tはよく言っていました。

私にはちょっぴり薄っぺらに見えていたNちゃんですが、○Tはその頃は「アイツの為なら火の中にでも入れる」と言っていた程のNちゃんです。
きっと私の知らないNちゃんの魅力が○Tにとっては沢山あったのでしょう。

学生の頃にはいつも○Tの言う事をNちゃんが黙って聞いていたらしいのですが、私と暮らし始めた頃からNちゃんが○Tに意見をする様になって来たと、嬉しそうに言っていたのを覚えています。

自分で仕事を始めて、会社を興して、気づいた時には付き合いの半分以上が仕事関係になってしまった○Tにとって、損得勘定ナシに付き合えた、そして子供の頃から一緒に成長をして来たNちゃんを、○Tがずっと許せない訳はなかっと思います。


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