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ビンボーおやじの腎不全保存期と心房細動
うっ血性心不全BNP500、腎疾患血清Cr値2.6、血圧270からのスタート

通院間隔一週間、かなり短い

前回の腎臓内科の通院から、一週間
また同じ腎臓内科へ通院、かなり短いと思う。
今までなかったくらいの短期間だ。

前回、それだけ各数値が全体的にたくさん上がったのだろうか。

腎機能だけではなく
心臓系のこともあったのだけれどね




腎機能カミンバック

ずっと少ない数値を維持していた方が
体調を悪くされて、急激に数値がどんどん悪くなり、
数か月で、人工透析になった、というような話も聞く。

主治医は、腎機能、あるいはどこかが急変したのか心配したようだね。
一昨年は夏に入院している。
その前の年の初夏は、三半規管のトラブルもあった


自分としては、腎臓や心臓のトラブル
もしそうなったら、なるようになるさ〜
気にしない気にしないと思いながら、
けれども、ちょっと緊張した検査結果。

前回より全体的に少しだけだけれど、良くなっていた。
主治医はうれしそうだったよ。
「pohhさん 数値がどんどん勢いよく悪くなっていますね」
と患者に告げるより、そりゃ、嬉しいよね ^^
でも、腎機能の数値は、以前のようには戻ってはいないのだけれどね。

腎臓カミンバック~
前に描いたなぁ ^^

イメージ 1



残念なことに、私は悪いのは腎機能だけではないから、
他で悪いことがあって、その結果、腎機能の低下につながることもあるのかも知れない。

「私の腎臓病は、慢性化していて、回復は無理。
今回も、ちょっと急に落ちたけれど、気落ちだけはしないで
だから、何とか、機能の低下をゆっくりさせるように頑張ります・・」
なんて自分から主治医に言っている うふふ



血圧も高い気がするのだが

血圧も
150から160くらいあり、ときどき170くらいになる
その心配も相談したのだけれど
極端に下げるのも良くないそうで、
暑くなって自然と下がることもあるから、
今のままで様子をみましょう、ということだったね。

以前、カルシウム拮抗剤、ARB、利尿剤などを併用して、
かなり血圧を下げていたのだ。
その当時の担当医は、血圧を下げることにこだわりがあったようだ。
それも一理あるんだろう。
8年前の入院では、270、下ですら190あったようなんだね。
今になると本当だろうかとも思うほどだ。

けれども、前回そして今回の主治医は、降圧剤を出すことに消極的。
最低限出して、様子をみる、という方針だね。
これにも一理ある。
私の体調も、その頃とは違うのだ。

ともあれ、今は今、自分が納得する方針でいいや。

薬の量の管理について、ちょっと話題がでたな

そういえば、薬は、薬局で買ってきて、数の確認をしないずぼらな私
これは、改めないとね ^^

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腎臓病の主治医が変わって初の通院。

残念なことに、検査結果では腎機能がけっこう落ちていたね。
このままずるずる落ちていくのかなぁ・・
落ちちゃ いやん〜

何年か前だったら、ひどくがっかりしてしまったところだけれど
この頃は「う〜ん、けっこう落ちたなぁ ま、しょうがないか」と、
けっこう気楽なんだ。

悲観することで、腎機能が良くなれば、いくらでも悲観するさ
でも そうじゃないと思う。
前向きな気持ちで 残された腎機能を維持することでいいじゃないか

もっとも、世の中、悲劇的な気分になることで癒される
カタルシスというものもあるけれどね。



腎機能が落ちても意外と
気楽なのは、一昨年の肺炎での入院のこともあってかも。
あの時は、腎機能が大幅に悪化しても、まったくおかしくなかった状況。
入院して減薬したりして、とりあえず、急激な腎機能の悪化は防いだ。
肺炎も治療した。
検査値での見かけ上では、腎機能が<良くなった>ように見えても
必要な薬を減らしたのだし、肺炎の体への負担もあったのだから、
いつかそのしわ寄せが出てきてもおかしくないよね。
自分では、そんなこともちょっと頭の隅にあったよ。

 <しわ寄せは 歩いてこない
  だから 歩いて いくんだね> 

それに
自分に合わないような頑張りをしたり
極度なタンパク質制限とかして
かえって体を悪くしてもよくないものね。
そうしたら、結局、腎機能にだって心機能にだって
良くないもんね


・・そんなこんな、自分の考えを
新しい主治医に伝えた。
丁寧に聞いて下さったから、うれしかったよ。



このところ、自分の疾患(慢性腎不全、排尿障害、心不全など)に関して、
あまり楽観していない。
でも、あまり悲観もしていない。
投げやりにもなりたくないから、自分の出来る範囲で明るい気持ちで頑張る。


病気になったことは、残念だけれど
悪いことばかりじゃないと思いたいね。
もちろん、病気になるのは良いことではないんだけれど
「善いこと」だってあるのではないか

私の場合は、8年前に死んでいたかも知れなかったのだよ。
心臓病や腎臓病が残ったけれど、助かったのだ。
今、生きているのだものね。

だから、自分の人生を見直すことができる。
その時間を授かったのだ。

 < 人生は わんつぱんち 休まないで歩け >

ただ、
貴重な時間、活動的に過ごすパンチ力はあまりないけれど うふふ





先日、ちょっと町はずれの森で
小鳥の心地よいさえずりを聞いた。

「ぴよぴよぴよ ぴ〜〜ぃ
 ぴよぴよぴよ ぴ〜〜ぃ
 ぴ ぴ ぴ ぴ ・・ ぴ ぴ ぴぃ〜〜〜」

みたいな感じだったかな。

春だなぁ。
何の鳥かなぁ
鳥のさえずりは、まったく詳しくない

ウグイス、鳩、カラス、ニワトリ、アヒル
ダチョウ、ペンギンではないことは確実だ(笑)

もっともダチョウが五月晴れの森でさえずっていたらすごいね
もうシュールレアリズムだ


シジュウカラかな
以前、リアル絵は描いたのだけれど
さえずり声はわからない。
地啼きはチチチみたいな感じのようなんだ

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昨日のカエルのこと
実は手のひらに包んだ時の、アマガエルの感触が懐かしかった。

アマガエルとかザリガニとかカナブン
子供の頃は、普通に遊び材料^^;だった
適当に遊んで、手加減がわからないからよく殺しちゃう

そうした遊んでいた小さな生物、死んじゃったら、どうしていたかな・・
適当に草むらとか川辺に捨てていたんだろうな。

う〜ん なんて極悪非道なやつなんだろうと我ながらあきれる。

でもね、可愛がっていた、例えば金魚とかクワガタとかが
死んじゃったら悲しんで、そして庭の片隅に埋めていたな

でも、埋めるまでは悲しむけれど
その後、すぐ忘れて、友達と遊びに出かける

やっぱり、非情な子供だったのかな^^;
でも、子供だから、生き物とオモチャの区別があまりつかなかったんだろう。

成長するとともに、命への洞察が深まり
他の生き物への愛情も複雑になるんだろうか。



弱々しい小さな生き物
愛らしい可愛らしいような生き物はたくさんいる。

でも、愛らしいだけではない。
どれもが、厳しい厳しい自然界で生きてきた。
一瞬先に、外敵に襲われ食べられてしまったり、
それがなくとも大きな怪我や致命的な病気は、当たり前の出来事。
そんな中で懸命に命をつなぎ続けてきたんだ。


そういえば、生き物をそっと手に包むって
久しくなかったな。

アマガエルを片手に包んだら
手の中でぴょこぴょこ跳ねていた。
その握った手に水をかけたらおとなしくなったんだ。
乾いた手のひらでは、苦しかったのだろうね。

そうだなぁ、この頃の手の中は、
いつの間にか機械に占拠されてしまった。
それが手放せなくなってしまった。

もっと忘れてはならないものがあるはずだよね。
手の中で育てていく大切なもの
五感で感じとっていく大切なものがあるはずだよね。

それは優しさだけじゃない

石垣りんさんの「儀式」という詩を思い出すよ。
力強い詩だね。でも、とってもいい

志賀直哉の「城の崎にて」もいいなぁ。



連休後半はちょっと文学モードだ うふふ


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