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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成29年(2017)7月17日(月曜日。祝日) 通算第5358号  
<フーバー大統領回想録『裏切られた自由』、ついに邦訳が刊行(宮崎正弘)をご紹介します。

 これは戦後出版界と歴史学界を画期する一大事件である
  フーバー大統領回想録『裏切られた自由』、ついに邦訳が刊行
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フーバー大統領
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  待望のフーバー大統領回想録『裏切られた自由』(草思社)の邦訳板刊行が始まった。
 同時にこの本を詳細に解説する渡邊惣樹『誰が第二次世界大戦を起こしたのか』(同)も出版され、戦後の歴史解釈が根底的にひっくりかえる。

 ガリレオが、コペルニクスが、あるいはダーウィンがそうであったように、世の中の通説を転覆させ、真実をのべることは勇気を必要とする。
アメリカ人が単純に信じ込む「米国=正義」に対して、
そのタブーに正面から挑戦したのが、フーバー大統領の回想録だからである。

 真珠湾攻撃は事前に暗号が解読されていて、むしろ日本をけしかけていたルーズベルト大統領の陰謀だったことは、いまや周知の事実である。しかし、日本の攻撃で一気にアメリカの厭戦ムードは吹き飛んだ。ルーズベルトの狙いは当たった。
 
アメリカは孤立主義から大きく逸脱し、まずはヨーロッパ戦線に大軍をさしむけ、ナチス・ドイツ、ムッソリーニのイタリアと戦闘。西側を勝利に導いた。いや、勝った筈だった。
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ところが敵であるはずのロシアを支援し、あろうことか、戦後秩序はソ連のスターリンが最大の裨益者となった。死力を尽くしたポーランドが共産化され、チェコ、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアばかりか、バルカン半島に到るまでソ連が手に入れた。
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極東では南樺太、全千島を手に入れても足りず、アジアは中国共産党の手に落ち、朝鮮半島は南北に分断され、とどのつまりルーズベルトはソ連の領土拡大に協力したことになる。
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 結果論の皮肉は、近年でもたとえば米軍がイラクに介入した結果、ISというテロリストを産み、イラクはイランの影響下に入り、アフガニスタンはタリバニスタンに変貌しつつあり、朝鮮半島では南が自ら赤化を望み、いそいそと中国圏に戻ろうとしている。
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フーバー大統領(任期1929−1933)はルーズベルト大統領に騙されていた。何かを仕掛けたなとは本能的に直感したが、当時、すべての密約は密封され、フーバーにさえ「ハルノート」という最後通牒を日本に突きつけていたことは知らされていなかった。
 フーバーは書類、議会議事録、外交文書そのほかを緻密に検証し、20年の歳月をかけて本書を書き残していた。
フーバーの言い分とは簡単に言えば「ルーズベルト外交は自由への裏切りであったということである。
 
 ▲マルタで東西冷戦は終わった
 東西冷戦は、ルーズベルトの失策がもたらした。そもそもルーズベルトの失敗は、ソ連を国家承認した(1933年11月)ときから始まった。大統領就任直後である。
それが世界に厄災を運び、ルーズベルト政権の周りはソ連のスパイと共産主義者に囲まれて国策を次々とあやまった。

大胆にソ連に挑戦したのは1981年のレーガンの登場だった。
スターウォーズ計画、ミサイル防衛網を前面に出して、ソ連と対峙姿勢をしめし、対抗策としてソ連は大軍拡にはしるのだが、経済力がついてこられず、あえなく頓挫。ペレストロイカ、グラスノスチを謳ったゴルバチョフが登場した。
1989年師走、ブッシュ大統領とゴルバチョフはマルタの沖合のヨットで会談し、東西冷戦が終結した。
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共産主義者は思想的敗北から逃れるために環境保護、人権運動、フェミニズム、少数性差別、反原発に流れ込み、日本でもその亜流がいまもメディアが牛耳っている。

さて、1938年3月8日に、フーバーはヒトラーと会見している。
「この会見でフーバーは、ヒトラーを狂信者であり、お飾りだけの愚か者だとする欧米の報道が間違っていることを確信した。ヒトラーは自身の言葉で国家社会主義思想に基づく経済再建を語った。情報の豊かさは彼の優れた記憶力を感じさせるものだった」(渡邊解説本、64p)。

その前年、1937年にルーズベルト政権はシカゴで演説した。有名な『隔離演説』である。しかも、この演説で、ルーズベルトは「国内の経済問題を話題にしなかった。具体的な名指しは避けたものの、日独伊三国によって世界の平和が乱されている、これを是正するためにはアメリカは積極的に国際政治に関与しなけれはならないと訴えた」(同72p)。

 1939年3月、ナチスはチェコに侵入した。
 「少なくとも軍事侵攻ではない。ハーハ(チェコ)大統領との合意によるものだった。さらに、フーバーが考える独ソ戦では、ドイツはソビエト侵攻のハイウエイとなるチェコスロバキアを通らざるを得ないことは自明である」(同88p)。

 次はポーランドだった。
 ここで英国のチエンバレンはポーランドの独立を保障する宣言を行った。英米は、ドイツはスターリンとの対決に向かうと考えていたから、ポーランド回廊を通過するのは自然であり、このポーランド独立を英国が保障するということは、フーバーからみれば愚かな選択であった。



▲ルーズベルトがスターリンに譲歩したのはアメリカを不幸にした
 ヒトラーは独ソ不可侵条約を結び、しかもソ連もポーランド侵攻に踏み切る。
「犬猿の仲であった独ソ両国の唯一の共通点。それが第一次大戦期に失った領土回復を希求する強い思いであった」(同99p)
独ソ不可侵条約(1939年8月23日
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舞台裏では何回も複雑に執拗に交渉が続いたが、ポーランドの誤断も手伝って、ついにナチスはポーランドへ侵攻する。
ドイツのソ連侵攻(1941年6月22日)
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「この戦いがなければ日米戦争がおこるはずもなかった」が、ポーランドの稚拙な対独外交が原因で、戦線が広がり、日米開戦への道が準備される。

その後の戦争の展開は周知の事実とはいえ、問題は「カイロ宣言」、「テヘラン会談」から「ヤルタ」会談の密約、そしてポツダムへと米英ソの『密約』が次々と進みアメリカ国民は何も知らされないままルーズベルトとスターリンの謀議は進展し、途中からチャーチルはのけ者にされ、やがて病魔に冒されたルーズベルトは正常な判断も出来なくなった。
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これぞまさに、東京裁判で日本に押しつけた「世界征服のための共同謀議」だ。
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トルーマンはルーズベルトから殆ど何も聞かされていなかった。原爆を保有したことさえ、トルーマンは知らなかったのだ。
こうしてフーバー回想録は、アメリカの歴史学主流に投げつけられた爆弾である。
かれらが『歴史修正主義』とレッテルを貼り付け非難してきたが、どちらが正しいかは明らかであり、ルーズベルトの評価が地獄に堕ちているのだが、これを認めようとしない一群の学者とメディアが、真実をいまも覆い隠しているのである。


渡邊氏は、解説書の最後を次のように結んでいる。
 「中国と韓国は、日本を『極悪国』として捉え、歴史認識では日本の主張を一切受け付けず、二十一世紀になっても非難を続けている。歴史の捏造が明らかな南京事件についても、いわゆる慰安婦問題についても、アメリカはプロパガンダであることを知っている。それにもかかわらず、アメリカが日本を擁護しようとしないのはなぜなのか。それは、ルーズベルトとチャーチルの戦争指導があまりに愚かであったからであり、その愚かさは、日本が(そしてナチス・ドイツが)問答無用に『悪の国』であったことにしないかぎり隠しようがないからである。
 歴史修正主義は、戦後築きあげられた『偉大な政治家神話』に擁護されている二人の政治家(ルーズベルトとチャーチル)の外交に疑いの目を向ける。ナチス・ドイツや戦前の日本が、胸を張れるほど素晴らしい国であったと声高に主張しているのではない。極悪国とされている国を『歪んだプリズム』を通して見ることは止めるべきだと主張しているに過ぎない。それにもかかわらず、歴史修正主義は枢軸国を擁護する歴史観だとのレッテルが貼られている。それは、ルーズベルトとチャーチルが引き起こした戦後世界の混乱の真因から目を逸らさせたい歴史家や政治家がいるからである)(同220p)。
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 歴史の偽造やフェイクをまだ信じているガクシャは、本書を読むと顔が引きつるだろうし、日本の論壇にまだ跋扈している左翼は卒倒するかも知れない。
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                「従軍慰安婦」以外、    藤原 帰一の弟子   「赤旗」連載『悪魔の飽食』
                信用ならん。  
                                   曰く「ヴェノナ(1995)を使ってる奴は学者じゃない。」

秦郁彦は政治的配慮を前提とする歴史家である? (にきみたまの道)

参考資料
フーバー回想録『裏切られた自由』(草思社) 

https://www.amazon.co.jp/%E8%A3%8F%E5%88%87%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E8%87%AA%E7%94%B1-%E4%B8%8A-%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98%E3%81%8C%E8%AA%9E%E3%82%8B%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6%E3%81%AE%E9%9A%A0%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%BE%8C%E9%81%BA%E7%97%87-%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88-%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC/dp/4794222750/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1500158565&sr=8-1&keywords=%E8%A3%8F%E5%88%87%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E8%87%AA%E7%94%B1

 同解説書
 渡邊惣樹『誰が第二次世界大戦を越したのか』(草思社)

https://www.amazon.co.jp/%E8%AA%B0%E3%81%8C%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6%E3%82%92%E8%B5%B7%E3%81%93%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B-%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98-%E8%A3%8F%E5%88%87%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E8%87%AA%E7%94%B1-%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%81%BF%E8%A7%A3%E3%81%8F-%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E6%83%A3%E6%A8%B9/dp/4794222777/ref=pd_bxgy_14_img_2?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=8XKCDTACRTE020QXBDGB


「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成29年(2017)7月21日(金曜日)通算第5364号
http://melma.com/backnumber_45206_6559042/に、この記事について感想が載せられていたので紹介します。

(読者の声2)貴誌5358号、フーバー大統領の回想録ですが、この話ももちろん重要ですが、ルーズベルト政権側から観た話も興味深いものです。
 シェーンノート将軍が米国人退役軍人のパイロットを募集してシナ駐在日本軍に対して爆撃していたのはご存知でしょう。
The Flying Tigerと呼ばれている爆撃部隊です。
米国統合参謀本部は当時「The JB」(The Joint Board)と呼ばれていましたが、そのThe JBがそれまでの限定的なThe Flying Tiger の活動を拡大して、当時の日本の軍需産業が集中していた、東京、大阪、長崎の工業地帯をシナにある基地から飛び立って爆撃する計画を策定して、ルーズベルト大統領に承認を求めました。
 全体で五千機くらいです。
 この計画書に1941年7月23日にルーズベルトが署名しており、その署名付きの文書が1970年代に発見されました。実際には、署名の二日後に、日本に対する石油輸出を禁止すれば日本の方から先制攻撃せざるを得ないので、その方が米国にとって有利であると判断され8月1日に日本に対する石油輸出が禁止されました。
このことは2007年にABC放送の人気番組20/20で報道されました。
日本はオランダ政府との間でジャヴァからの石油の輸入の協定を結んでいましたが、オランダ領ジャヴァで実際に石油を採掘していたStandard Vacuum社は米国資本であり、日本への石油輸出を拒否し、結果として日本は対米戦を始めました。
Standard Vacuum社がオランダ領ジャヴァに於いてオランダ政府と日本政府との間の協定を無視することは勿論ジャヴァの宗主国であるオランダの法に照らして違法行為です。
ルーズベルト大統領が翻意した理由は、日本に先制攻撃をさせることにより、道義上の優位を確保するためであるというのが今までの通説です。
私は多分そうでそうではないと考えます。
おそらくその時点でゼロ戦の存在が米軍に知られていて、シナから爆撃機の部隊を日本に飛び立たせても途中で撃ち落とされると判断したからでしょう。
表向きには日本のような野蛮国にまともな飛行機を作る技術はないとしていましたが、精確に事実を分析すす諜報スタッフがいたのでしょう。
 重要な点は、あのような人気番組で事実が報道されても日本の卑怯な真珠湾攻撃という嘘が米国民の間では信じられているということです。人間とはそういうものです。                                 (ST生、千葉)
 
 (宮崎正弘のコメント)湖南省の西南部、ほとんど山奥ですが、フライングタイガー基地跡を見に行きました。フライングタイガー記念館(飛虎紀念館)はたいそう立派な建物で、ブッシュ(パパ)大統領が訪問しています。
 シェーンノートと、中国人妻の展示もありました。

以下は、「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成29年(2017)7月22日(土曜日)より
(読者の声2) ルーズベルトの対日敵視政策
1.歴史には史実、政治史、宣伝史があります。日米戦争は政治史としては米国ではすでに見直されています。すなわち1951年にマッカーサーが米議会で日本の自衛戦争であったと証言しています。歴史の見直しは、宣伝史観側から見直し主義者として非難されますが、マッカーサーこそがリビジョニスト第1号です。また1953.11にはニクソン大統領が来日し憲法九条は誤りであったと述べました。ニクソンは第2号ということになります。

2.米国の対日敵視は日露戦争直後から始まっているという見方が多い。日本政府がハリマンの南満州鉄道買収を拒否したことが契機でした。米国は満洲に野心があった。だから日米戦争はその前の史実を分析する必要があります。

3.すでに1935年米国の長老外交官で極東専門家であるマクマレーは「このままだと戦争になる。日本を滅ぼしても、ソ連が南下するだけだから米国の思惑通りにはならない。日米戦争は両国の大損害になる。米国は過度の極東介入を止めるべき」という先見性のある建白書を国務省のホーンベック極東部長に提出し、グルー駐日大使も支持しましたが、無視されました。
しかし戦後予想は的中し、国際政治学者G・ケナンはもっとも優れた歴史的文書として激賞しています。
米国の具体的な反日政策としては、1937.8.13に支那事変が始まると、日本は米国に講和の仲介を頼みましたが、拒否され、逆に1938年から米国は蒋介石に軍事支援を始めます。米国の蒋介石を使った対日戦争は始まっていたのです。

4.現在のインドネシアは、戦前「東インド」と呼ばれ300年以上にわたりオランダの植民地でした。日本は米国の石油禁輸政策に困り商業ベースで石油の購入を要請しましたが、オランダ本国はすでにナチスの占領下で亡命政府がロンドンにあったため米英の方針に追従しました。そしてオランダは1941.12.10に日本に先に宣戦布告したのです。このため日本軍に反撃されて1週間で東印度は占領されました。オランダ軍は現地人の心が離れているので、ゲリラ戦には自信がなく、降服しました。

5.ゼロ戦の性能については、支那の現地から馬鹿に出来ないという情報が送られていましたが、欧米は日本を見くびる風習があり、無視されたそうです。1937.12.12のパネー号誤爆事件でも船底には支那事変で撃墜された日本機(ゼロ戦ではない)の残骸から収集した部品が秘密裏に積まれており、米側は日本側の無償引き揚げ提案をあわてて断ったそうです。

6.政治的な歴史観は、政治の必要性が動かしています。まさに「あらゆる歴史は現代史である(クローチェ)です。しかし、日本側は古くさい昔の反日宣伝歴史観の泥沼から足が抜けていません。反日外国と迎合勢力が悪用しているからです。日本人は現実に合わせて歴史観を変える柔軟性が必要です。

 なお大東亜戦争は、史実としては米ソに挟撃された日本の自存自衛の抵抗でした。欧米アジアの歴史専門家は皆知っています。         (東海子)


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