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自分は宮崎滔天という大陸浪人を尊敬しております。
けっして 天下を取りたいとか 出世したいとか そんな願望を持たない方で、
ただただ 民衆のために 自らを犠牲にした方であります。
以下は新与太随筆様のブログで 宮崎氏について書かれたものです。
お読み下さい。
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イギリスに半植民地化され、日本にも戦争(日清戦争)で破れ、ロシア、ドイツ、フランスにと食い物にされていた20世紀当初の清。
その清こと現在の中国から列強を排し、独立国家として自立できるようにしようとしようとする活動をしていた「中国革命の父」孫文(1866→1925。享年58歳)を支援し、辛亥革命を成功させた勢力の中に多くの日本人がいた。
その者等を、大陸浪人と呼んだ。
生命の危険を顧みず、隣国・清の独立に人生を掛けた日本人の大陸浪人の中で無名ながら、その頭領となった孫文に一番信頼され、全てを捧げて革命の原動力となった男に宮崎 滔天(みやざき とうてん)という浪人がいた。
宮崎は、1871(明治3)年熊本に生まれる。
明治維新を成功させ、やっとで自由を謳歌できるという気風で盛り上がりながら、威信を成功させた薩長閥偏重の不平等政治が中心となり、それに反旗を翻す自由民権運動が高まる中で成長した宮崎。
その気風に影響され、宮崎15歳の時に自由民権運動の闘士でジャーナリストの徳富蘇峰の大江義塾に入門する。
その後、早稲田大学に進学。
実兄の影響もあり、キリスト教に帰依しながら、欧米列強に蹂躙8じゅうりん)されるアジアの仲間達を屈辱から救おうという義侠心に掻(か)き立てられ、実家の財産を家族を騙してまで処分し、それを活動資金に運動に入り込んだ。
その過程で、1897(明治30)年、孫文と出会った。
武装蜂起に失敗し、日本に亡命していた最中の横浜で出会った。
革命家として名を轟かせていた孫文だが、実際に会ってみると小柄でいかにも折り目正しい紳士のような風貌。
大柄な宮崎は拍子抜けしたが、話を聞くうちにその印象はがらっと豹変した。
その舌鋒鋭い弁舌に、革命への熱情は、圧倒されたのである。
孫文に私淑した宮崎は、これ以降、生涯を掛けて孫文を徹底支援する事となる。
金銭の提供はもちろん、命の危険を顧みず生家を含め、匿(かくま)った。
宮崎は、結婚もしていた。
子どももいた。
家に金は一銭も入れない。
そして、ほとんど帰ってこない。
それも、帰ってきても金の無心が関の山。
更に、国家から命を狙われる宮崎が家に帰ってくる事は、妻や子どもを危険に晒(さら)すことに直接的につながる。
そんな無償の徹底支援の姿を見て、孫文は胸が詰まった。
宮崎の家の困窮振りは際立っていた。
その日の暮らしも、ままならない状況なのに、孫文を諸手を挙げて歓迎し、高待遇。
孫文の宮崎に対する信頼度は、高まるのに時間は掛からなかった。
1900(明治33)年、孫文は再び挙兵を企てるが、またも失敗に終わった。
宮崎が支援を依頼した日本人の大陸浪人の非業の死の責任に、利害関係の軋轢(あつれき)の複雑化。
宮崎は、失望と共に責任を感じ、孫文革命の支援から身を引いた。
しかし、それは形だけであった。
宮崎は、急に浪曲師に弟子入りする。
桃中軒牛右衛門(とうちゅうけん うしえもん)と名乗り、全国を巡業した。
当時の浪曲師は、多額のギャラが入る職であった。
それも、宮崎は生来、音楽好き。
朴訥(ぼくとつ)さを湛えた言い知れぬ迫力を持つ巨漢の宮崎の浪花節は、中々味のあるものだったと言う。
しかし、これは孫文の革命の資金獲得のためであった。
転んでも、ただでは起きない。
義を貫き通す、その一本気すぎる誠信さは妖気すら漂う迫力を発していた。
しかし、ここでも人の良さは際立ち、利用されたが何も気にはしなかった。
そして資金を溜めると、再び孫文の革命支援の舞台に舞い戻った。
悲願が迫っていた。
そして、ついに1911(明治44)年、悲願であった革命が成功した。
俗に言う「辛亥革命」である。
日本の明治維新をモデルに、ついに中国革命は成功したのである。
しかし、その後、孫文は同志である袁世凱(えんせいがい)に国家元首の地位を禅譲するが、これが失敗であった。
袁世凱は、野心家である。
すぐに、絶対権力を築き、自らが絶対君主となり、孫文が生命を掛け日本人の大陸浪人たちに助けられて成し遂げた革命前に逆戻りしてしまった。
そこで、袁世凱は宮崎に甘い言葉をかけてきた。
袁世凱打倒に立ち上がった孫文の勢力で一番怖い宮崎を、自勢力に取り込もうとしたのである。
中国米輸出権という多額の利権の独り占めという人参をぶら下げて、袁世凱は宮崎を懐柔しようとした。
しかし、極貧と死を恐れず、それを貫いて家族に強いた宮崎は、多額の利権で動じる男ではなかった。
変わらず、孫文を支援し続けたのである。
一人二人と、孫文の下を離れていく中で、宮崎は友情を真摯に貫いたのである。
そして、辛亥革命から11年のついに1922(大正11)年、宮崎は52歳の激動の生涯を閉じた。
その現実に接した孫文は、
「トウテンメイケイ(盟兄)ノシヲカナシム ソンイツセン」
と電報で悲しみを表した。
それに続くように、三年後の1925(大正14)年、朋友の孫文も58歳で死去。
「革命尚未成功 同志仍須努力(革命未だ成功に至らず)」
の遺言を残して。
宮崎は、大中国の自由を獲得する革命の下地を作った偉人である。
しかし、全く富や名声を手にしなかった。
「ボロ滔天」
これが、宮崎の俗称であった。
大きな事を成し遂げても、着物はいつもボロボロ。
金も持っていない。
家族は、清貧を貫いた。
頼まれたら断らない。
自分がどんなに、不利な状況になろうとも。
どんなに成功しようと、どんなに窮状に陥ろうと、見返りを求めず私利私欲に全く溺れない。
自らの命を逸する事を全く怖がらず、貧困も恥じず恐れず、金の魔力にも全く動じない。
それを根底にした行動力は際立っていた。
正に、
「無名有力」
の、本物が宮崎滔天であった。
この宮崎の生き様から学ぶのは、まず、
何事にも動じず、自分の信念を貫き通す意志力。
そして、
無償の友情を貫き通す事で、勝ち得る本物の信頼。
最後
に、
金も命も要らないという、手がつけられないと思わせて白旗を揚げさせ人間力の差を見せ付ける圧倒的な迫力。
この三つが、宮崎滔天から学ぶべき本物の所以でしょう。
明治から大正にかけて、このような本物の日本人がいた事を知ると、非常に誇らしい。
それに、この男義溢れた人生を見ると、憧憬の一念を禁じ得ない。
無名の偉人であるが、それだからこそその本物具合は偉大である。
宮崎滔天からは、多くのメッセージを頂く事が出来る偉大な人生であったと私は評価する。
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現在の日本で 果たして ここまで 自らの経済的犠牲を払いながら 私利私欲でなく、
民衆のために尽くす人間がいるでしょうか。戦後の教育によって それぞれ個人の生活が第一になって
しまっています。他人が苦しんでいても 援ける余裕が無いという 感覚を 多くの人が持っているのではないでしょうか。 本来ならば国民に模範を示せなければならない政治家と称する連中からして 自分が第一であるのですから。今回の定額給付金の問題にしても それぞれの政党に属する
議員は 選挙資金目当てのために 自分自身の意見を 政党に遠慮してはっきり表明できないという
情けない状況です。宮崎滔天先生に 少しでも見習って欲しい。そう感じています。
我々に関して言えば、私利私欲は 誰でも持っていて なかなか完全には捨て去ることはできませんが、
人への奉仕の精神を常に持つように各々が心がければ、 社会も変わってくると信じております。
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宮崎滔天先生は立派な方です。
私が知っているのは、宮崎家は全員が「民のために尽くす」人たちだったということです。たしか長兄(?)の八郎は、自由民権運動に奔走した後、西南戦争で西郷軍の一員として戦死しました。
八郎の遺体を収容しに行った時、遺族が見て驚いたものがありました。何だったと思いますか?
それは、八郎の遺体のフンドシから、ルソーの「民約論」(中江兆民訳)が出てきたことでした。この話を司馬遼太郎さんの本で知った時、私は非常に感動しました。自由民権運動と西南戦争は 直接関係ありませんが、宮崎家の人たちは全員、世のため人のために尽くすという生き方をしたのです。そういう家系・家風だったのでしょう。だから、宮崎滔天も幼児から薫陶を受け、あのような大人物になったと思います。
今では想像も出来ないような立派な一家・家系が、その頃はあったのでしょう。
2009/1/15(木) 午後 4:10 [ yajimatakehiro2007 ]
勉強になりました。このような貴重なる記事、感謝いたします。
頭山満・内田良平・宮崎滔天・大川周明・北一輝らは孫文の革命運動を徹底支援していきました。大アジア主義と言われていますね。
満州事変・満州国建国もこの大アジア主義路線を発展させたものです。
傑作クリック。
2009/1/15(木) 午後 8:35 [ 夢幻 ]
とても勉強となりました。
利ばかりの時代、義を大切にしたいです。
傑作○です。
2009/1/16(金) 午前 1:08
正念場様
我々はずっと平和ボケしていて 危機的状況に陥って 初めて
現状を認識したようです。これから大きな価値観の転換を行っていかなければ 潰されてしまう人が多々現れると思っております。ありがとうございます。
2009/1/16(金) 午前 9:48 [ たけい12 ]
矢嶋様
素晴らしい話ですね。亡くなるまで「民約論」を読んで勉強していたのですね。私利私欲がなく、公のために生きたご兄弟ですね。昔であれば政治家に、このような公のために生きた政治家は存在したのでしょうが、悲しいことに現在では皆無でしょう。時代なのでしょうか。もう、このような方は現われないのでしょうか。いや、本当に命をかける気持ちがあれば 既得権益にしがみついている輩と対決もできるとは思っております。
2009/1/16(金) 午前 9:57 [ たけい12 ]
ミナミ様
異国でありながら 同じアジア人として いろいろな援助をしたり
一緒に武装闘争を繰り広げたり、当時は「義」というものが 存在していましたね。現在は 義理人情という言葉が あまり聞かれなくなりました。悲しいことです。
2009/1/16(金) 午前 10:03 [ たけい12 ]
近野様
最近は、何をするにも まずは自分にとっての「利」を考える。悲しいことですね。全く、「利」を考えなければ いきずまってしましますが、自分の「利」以上に大切なものが 存在しているということを
それぞれが認識できるようにしたいものですね。
2009/1/16(金) 午前 10:07 [ たけい12 ]
同感です。
自助と互助の心は大切です。
2009/1/17(土) 午前 10:32
近野様
仰るとおり、同感です。
2009/1/17(土) 午後 2:10 [ たけい12 ]
それでは次の記事に期待しています。
2009/1/18(日) 午前 1:07
本当に勉強になりました。
素晴しい方ですね。 こういう方がいらっしゃる事を同じ日本人として誇りに思います。
とても足元にも及びませんが・・・。(恥)
傑作◎
2009/1/18(日) 午後 5:22 [ 敬天愛人 ]
近野様
ありがとうございます。今晩、考えてアップする予定です。よろしくお願いいたします。
2009/1/18(日) 午後 6:07 [ たけい12 ]
敬天愛人様
世の中には立派な方がいるものです。目標とするにも失礼な程、偉大な方です。些細な事に対して怒る自分が恥ずかしいです。
2009/1/18(日) 午後 6:21 [ たけい12 ]
こちらこそ、いつも有難うございます。
2009/1/19(月) 午前 0:52
宮崎滔天は絶対にぶれないですね。
今の日本の公○党みたいに自民党と組むのが不利になればかつて敵対する民主党に擦り寄ったり、本当に現代になればなるほどみっともない連中が出てくるように成りましたね。
滔天は今の日本の状況を天からどのように思っているのでしょうか。
傑作
2009/1/24(土) 午前 7:10
千葉日台様
宮崎氏は無一文になっても信念を貫き通しましたが目先の利益だけで、コロコロ変わり情けない限りです。まさしく政治屋ばかりです。
2009/1/24(土) 午前 7:26 [ たけい12 ]
新与太随筆って面白いブログを見つけましたね。とうてんは凄すぎる
2009/1/24(土) 午前 8:34 [ 鈴木 ]
鈴木様
ありがとうございます。文才がある方は本当に羨ましい限りです。読むと勉強になりますね。
2009/1/24(土) 午前 8:43 [ たけい12 ]
宮崎滔天は私も尊敬しております。傑作です。
2009/2/6(金) 午後 6:37 [ 長瀬 優 ]
恥ずかしながら宮崎滔天という日本人を知りました。凄いっすね。かっこうよいっす。ちょっと勉強したいです。
2009/5/19(火) 午前 8:29 [ ごんべい ]