風の吹く街、街に吹く風〜神戸〜

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【「無問・無答」】

【「無問・無答」】
 
 無問無答とは、問い無し、答え無しという謂いだ。それが不問不答なら、問わず答えずという謂いになるだろう。宗教や哲学について問答が有意義かどうか私は関知しない。私が言えることはそれぞれの人生だということだけだ。宗教学者や哲学者なら、それなりの人生があるはずだ。
 
 思想信条は自由である。ひとはおのが自由に物を考えていい。とすれば、他人が何を考えるかも自由にちがいない。
 
 私は、自分の信仰心の浅深は知らない。けれども科学的精神を持ちたいと願うので、それは宗教と科学の問題でもある。この世には分らないことがあると、私は思っているので、他人の信仰心について、とやかく言うことはない。ただし、迷信には関わりたくない。世人には、いろいろ迷信じみた人々がいて、訳が分からないこともある。科学的精神を照射して、迷信や妄想から脱却するほうがより幸福だろう。
 
 伝統的な宗教は、それなりに時代の風雪に耐えて、洗練されているようだ。例えば、キリスト教、仏教、儒教の歴史上の人物の言動には、心を打たれる思いがする。イスラム教にしても、開祖の物語があるようだ。
 
 私は読書人なので、宗教書に触れたことがある。それぞれ逸話があって興味深いものだ。ただし生身の人間に触れると、僧侶であっても、その職業的位置づけはともあれ、人格の陶冶という意味で、私の心の琴線には届かなかった。彼らは仏教協会で地位を占めていたようだが、寺院経営の帳簿について、ずさんな話であったり、税金はごまかすほうが得だというふうな口振りだったりしたので、私の思いにはそぐわなかった。
 
 亡母は信心深い人だった。宗旨が真言宗だったので私も、法事・法要はそのまま継承した。私は無宗教でもいいけれど、伝統的な形式なら、それなりに済ませることができる。それはそれで便利である。しかし便宜だけで人間は生きているわけでない。生老病死、四苦八苦の人生なのだ。楽しいだけの人生があるかどうか、私は知らない。それとても酔生夢死かもしれない。
 
 人は死ぬ。他人が死んだのを見聞きするのが人生でもある。そして自分もいつか死ぬ。救いはあるのか。救いはどこから来るのか。それにしても、私は自分以外の他人を神格化などしない。自分も含めて人間はしょせん人間以外の何物でもない。人間は人間であって、「神」や「仏」でないことは確かだ。人間であるかぎり、何人であっても生老病死や四苦八苦を免れたためしはない。すくなくとも私は知らない。
 
 

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