チョロQモーターズがサーキット事業から撤退、MINEサーキットは来月末閉鎖 タカラの子会社で電気自動車等を手がけ、MINEサーキットの営業を行なっていたチョロQモーターズがサーキット事業から撤退することを1月13日に発表した。これにより、MINEサーキットの営業は2月末で終了、閉鎖されることとなった。 チョロQモーターズが民事再生手続中のMINEサーキットを譲り受けたのは2003年の10月6日。譲渡額は2億3000万円だった。しかしながら、「サーキット事業の収益化と電気自動車事業およびタカラの玩具事業との相乗効果を得るべく努力したが、当初計画の成果を出すに至らなかった」(プレスリリースより)ため、サーキット事業から撤退を決定。タカラが本業である玩具事業への経営資源集中のため、グループ会社や周辺事業の整理を進めるという。 閉鎖の時期は2006年2月末でMINEサーキットにおける営業活動のすべてが終了され、閉鎖後は第三者への譲渡を計画中とのことだ。 なお、サーキットライセンス保持者に対して、残り期間分の精算、返金の準備が整い次第、1月末を目処に書面での連絡を行なうという。 また〜〜〜?と思ったら 今までと違って完全閉鎖って事だよね・・・ 私にとってサーキットデビューの美祢! 一番近いサーキットで一番通ったサーキットなのに〜〜〜っ! ショックだ!!! 今年もFNとS耐久が組まれてたのに・・・ 営業が再開されるのを待ってま〜す!!!
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こちらも毎年恒例のオートサロンが近づいてますね〜 |
時速6キロ、ジグザグ走行も ホンダのアシモが「進化」 両足を浮かせ俊敏に走る「ASIMO」=13日午前、東京・南青山のホンダ本社 ジグザグに走ったり、接客も完ぺきに−。ホンダは13日、人間そっくりに歩く2足歩行ロボット「ASIMO」(アシモ)の新技術を報道陣に公開した。 時速6キロで俊敏に走ることができ、福井威夫社長は「高いレベルで人と同じ身体能力を獲得できた」とあいさつ。ホンダはアシモの「進化」で培った技術を、オフィス向けや自動車の安全面などに活用する。 これまでは時速3キロで小走りに進んでいたが、両足が浮いている時でも姿勢の傾きを安定的に制御することでスピードアップを実現。体の重心を制御し、高速のまま旋回できるようになった。 毎年アシモちゃん、進化してるのね〜 生で会ってみたいな〜〜〜♪ ホンダさん・・・お金あるね(笑) |
☆受賞のコメント☆ ルーキーオブサイヤー 高木虎之介 「歳も歳年なのにルーキーとは……、でも一度しか取れない賞、インディでも獲ったこの賞をスーパーGTでもとれてうれしい」 ベストパフォーマンス賞 山野哲也 「JGTCからスーパーGTへと変わる2年間にチャンピオンを獲れてうれしいし、チームに感謝している。来年も3年連続を目指したい」 特別賞 レースアナウンサー ピエール北川 「自分だけが貰うことに対して受賞を迷ったが、支えてくれたスタッフに感謝し、その代表として受け取りたい」 特別賞 ARTA応援団 福本代表 「ファンの皆さんあっての受賞、ファンのみんなに感謝したいです」 チーム部門 300クラス(チャンピオン) レクリス 藤堂監督 「受賞はうれしい、来年も気を抜かずにいきたい」 チーム部門 500クラス(チャンピオン) ニスモ 出川監督 「クルマ、チーム力が拮抗して苦しいシーズンでトップにたったのが最後だという感じ。シリーズとしてはおもしろかった。来年も負けないようにがんばる」 ドライバー部門 300クラス(チャンピオン) 佐々木孝太選手(レクリス) 「やりました。チーム、そしてミシュランに感謝しています。今後はどうなるかわからないけどチームとともに500クラスを目指したいです」 ドライバー部門 300クラス(チャンピオン) 山野哲也(レクリス) 「人、チーム、ファン、スポンサー、すべてのパフォーマンスが集まっていい一年になりました」 ドライバー部門 300クラス(2位) 細川慎弥(M-TEC) 「目標である500クラスを目指して年末(各チームとの交渉を)がんばります」 ドライバー部門 300クラス(2位) 黒澤治樹(M-TEC) 「賞金楽しみです」 ドライバー部門 300クラス(3位) 新田守男(ARTA) 「皆さんのおかげで僕達は職を失ってしまいました。僕も年末がんばらないと」 ドライバー部門 300クラス(3位) 高木真一(ARTA) 「賞金がやっぱり楽しみ」 ドライバー部門 500クラス(チャンピオン) 立川祐路(ZENTセルモ) 「いきなりルーキーと組んでどうなることやらと思いましたが……、でもチャンピオン絶対のプレッシャーの中でみんながんばった」 ドライバー部門 500クラス(チャンピオン) 高木虎之介(ZENTセルモ) 「立川が最後ギリギリまで追い上げられ危なかったが自分だったらその前の周で抜かれてたんじゃないかな? でも3勝してチャンピオン獲れて良かった」 ドライバー部門 500クラス(2位) 伊藤大輔(ARTA) 「今まで辛いシーズンを過ごしてきたけど、今年は中盤からNAで表彰台、優勝とできて最後は悔しい思いをしたけどタイトル争いもできて、いいクルマを作ってくれたホンダとチームに感謝したい」 ドライバー部門 500クラス(3位) 本山哲(ザナヴィニスモ) 「3年連続を狙ってましたが、僕が3年連続獲るよりも新人が獲って面白くなったんじゃないですか。でもいいシーズンだったと思います。僕自身は中盤以降苦しんでたけどリチャードの頑張りでここまでなんとかなったけど、来年はタイトル獲りたいです」 今シーズンは、ほとんどGTは見なかったな・・・ CSのJスポーツを契約しなかったのもあるかな! 本山クンは3位! 細川クンは2位! お疲れさまでした〜〜〜♪ トラちゃんのルーキー賞は・・・たしかにエッ?よいお歳だよね(苦笑) |
【ヒューマン】レース界・芸能界でアクセル全開…近藤真彦 今年デビュー25周年を迎えた歌手、近藤真彦(41)が節目の年を境に芸能活動を全開させる。12月に、7年ぶりのディナーショー開催や新曲「挑戦者」をリリース。さらに今後はライブも視野にと活動の幅を広げていく。一方で、オーナー兼監督を務めるレーシングチーム「KONDO Racing」の活動も来年新たなレースカテゴリーに参戦するなど活発化。芸能界とレース界という“二足のわらじ生活”はますます多忙を極めるが、そこには不惑を過ぎた男のある熱い思いがあった。 ◇ たのきんトリオとして一世を風靡(ふうび)し、昭和55年のデビュー曲「スニーカーぶる〜す」から25年。あのマッチが不惑を過ぎた。が、深みのある笑顔、落ち着いた物腰、スリムに引き締まった身体…男としてますます素敵に年を重ねている感じだ。本人に素直にそう話すと…。 「そうですかぁ(少しはにかみながら)。ジャニーズ事務所の後輩たちを応援してくれている中高生の女の子のファンがいっぱいいますよね。これから、その一角に俺が割って入ろうって思っているんです。ありですかね!?」 全然ありです!!と、記者は思わず言ってしまったが、そう、マッチはいま燃えているのだ。 デビュー日にあたる12月12日から全国展開のディナーショーを7年ぶりに開催=別表=するのを皮切りに、同14日に7年7カ月ぶりのオリジナル新曲「挑戦者」をリリース。来年1月1日には25周年特別企画のCDボックス「マッチ箱」を発売するなど、芸能活動を全開させる。本気モードになった理由の1つには、ある“出会い”があった。 「夜酒場に行ったら、僕の歌を歌ってくれている同年代の男の人たちがいて。あの(若い)頃を思い出して、思いっきり歌っている姿を見て、かなりジーンときちゃったんです。僕の曲を愛してくれている人がたくさんいるんだし、僕ももう1回、歌わなきゃっていう気持ちにさせられました」 その熱い思いは、新曲「挑戦者」にかける意気込みからも伝わってくる。 「(曲の)主人公は、自分と自分の家族のために真面目に働いてきた男の人。その彼がもう1回自分にカツを入れて、もう1回元気になってみようって。僕もここで、もう1回元気になって歌の世界で皆に知ってもらえるように、いい曲を歌っていかなきゃいけない立場。自分にカツを入れられる曲だし、同年代の男の人にも元気になってもらえれば。この曲をきっかけに(芸能活動を)完全に再開していくつもりです」 まっすぐな視線がキラキラと輝く。今後は積極的に音楽番組などにも出演し、ライブも視野に本腰を入れていく。 一方で、レース界の活動も活発化させるという。10代後半、CMの関係でサーキットに行く機会があり、そこでモータースポーツの世界に魅了された。もともと車好きでもあり昭和59年にドライバーとしてレース界に参入。以来レースの世界にも身を置く。レース界は男として人間として成長した所だという。 「1人の男として自立していくには芸能界ひと筋というのは僕にはできなかった。とくに“スター”と呼ばれてしまった若い頃がある僕には芸能の世界だけでは難しかった。(周囲が見えず)どんどん突っ走ちゃうタイプだから、ほかの勉強は手がつかなかったと思います。レースの世界では人間関係や金銭的感覚など、いろいろなことを学べて男として少し幅ができたと思っています」 2年ほど前からレーサーとして走っておらず、現在は「KONDO Racing」のオーナー兼監督として活躍中。チームは来季、新たにスーパーGTにも参戦するという。 「物理的にすごく忙しくなっていきますが、逆にこの2つ(芸能とレース)が忙しくなるのは、なんてラッキーでチャンスなことなんだって。両方ともやりがいのある仕事。40歳過ぎた男がもう1回チャレンジできる。男冥利に尽きますね」 まぶしい笑顔が印象的だ。今後の抱負を尋ねると…。 「たぶん50歳を過ぎても同じことをやっていると思いますが、いかに集中して、このペースで何年続けていけるのかが僕のテーマでもあります。少なくともあと5年は、このままいければ」 “挑戦者”マッチの新たな章が幕を開けた。 ★男の子ができたらスーパースターに! 夫人の敦子さんと平成6年6月に結婚。25周年を迎え祝いの言葉などあった? 「とくにはなかったですが、新曲を聴かせたら嬉しそうな顔をしていたのが印象的でした」。今年で結婚生活12年目。「彼女は僕のことをすごく信用してくれていると思うので、仕事のことは細かく聞いてこない。僕も心配はかけたくないし。ただ僕をすごい見てくれていて、彼女の気持ちの大きさとかに感謝している僕がいる。リラックスして仕事ができます。いい距離を保ちながら12年ぐらいたちます」といまもラブラブな様子だ。 二世については「これだけは本当にいつできるか分からないので。いまは楽しくやっていますし、そんなに意識はしていないです」としながらも、「もし男の子ができたら、0歳からジャニーズ事務所に入れて最年少スーパースターにしようって言ってるんです。冗談で」と笑顔を見せた。 ★「マッチ箱」は僕の宝箱 25周年特別企画のCDボックス「マッチ箱」(生産限定商品、税込2万9800円)は昭和55年のデビュー曲「スニーカーぶる〜す」から平成14年のセルフカバー曲「ヨイショ!'02〜」まで、シングル全43枚に豪華特典のDVD、ブックレット付き。43曲中24曲はアナログ盤から初のCD化。「日本でいちばんこれを待っていたのは僕自身。シングル全曲は持っていないので。僕の“宝箱”です」。特典のDVDは「限りなくプライベートに近い」という素顔ショットが満載だ。 ■近藤真彦 (こんどう・まさひこ)本名同じ。昭和39年7月19日、神奈川県生まれ。昭和54年にTBS系「3年B組金八先生」に出演し田原俊彦、野村義男を加えた「たのきんトリオ」で人気沸騰。翌55年に「スニーカーぶる〜す」で歌手デビュー。62年「愚か者」で日本レコード大賞受賞。主なヒット曲は「ギンギラギンにさりげなく」「ケジメなさい」など多数。59年にレース界参入。12年にレーシングチーム「KONDO Racing」を設立。参戦レースはF3、F3000、フォーミュラ・ニッポン、ル・マン24時間耐久レースなど。平成6年に全日本GT選手権第3戦で優勝。12年のル・マンで8位。 スマスマにマッチが出てたな〜♪ SMAPと一緒に歌ってて新曲以外は歌えるんだな(笑) た〜まにカラオケでマッチメドレー(3種類あったっけ?)を歌うんだけど これまた、自分でもよく覚えてるな・・・と(爆) 私が最近ハマってるリュ・シウォンと同じように芸能活動+レース活動! ぜひとも頑張って欲しいな☆ ↑【マッチ箱】聴いてみた〜いな! |




