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3/11(日)
震災から7年が経ちました。
町はだいぶきれいに片付いてきましたが、
心は片付くどころかまだまだ忘れることとは逆に
思い出されることの方が鮮明になって来てしまいました。
普段はまるで忘れてしまったかのように暮らしていますが、
心はそう簡単には癒されません。
いつもいつも胸に痞えたままでいるのでしょう。
ちょっとしたことで涙があふれ、わ〜〜〜!
でも、
やっとこうして涙することが出来るようになったのかもしれません。
震災当時はそんな余裕など全く無く
目の前の状況に立ち向かうだけで必死でした。
私などは悲惨な目に遭ったといっても
みんなと比べたならとても軽い方でしたし、
こうしてみんなの支えや協力を頂いているので
大きなストレスを抱えることも無く、
「みんな大変なのだから、とにかく淡々と暮らしていかないと」と
思ってきました。
生まれた子供が小学校に入る年になりました、
と挨拶していた来賓の方。
思えば我が家でも生まれていたならそんな年になるんだなぁと。
Kくんのお陰でそんなことも緩和されています。
完全に忘れることなど一生ありませんが、
いつ起きるか判らない災害!
地震を知らないで育つこれからの小学生に怖さや考え方、
対応方法など伝えていくことは
体験者である我々の責任のように思います。
ただただ、みんなの心が荒まない様にと祈るのみです。
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忘れたらいけないことなんですけど
どこまで触れていいのか
あまり触れると怖い記憶が戻っちゃうんじゃないかと
そおゆうのがあって
あれだけのことを目の当たりにしたんですから
心の奥でまだ傷がいえていないのもわかります
2018/3/12(月) 午後 7:57
> OYAJIさん
確かにそういう思いになりますよね。
立場が違えば考えもきっとまた変わるのでしょうね。
被災の身からしてみれば、単に耳を傾けてくれるだけで
救われるのだと思います。 耳をふさがれたらもう何も
できませんし、心が荒むことでしょう。
こうしてOYAJIさんの様に聞いてくれる人がいるって
ことが私にとっても一番救われます。
2018/3/13(火) 午前 10:12
テレビや新聞の報道だけしか知らない者にとって、被災者の方たちの、当時の、またそれ以後の暮らしなど到底計りしれないものです。
徐々に復興しているようですが、なかなか思う様なスピードとはいかないようですね。
2018/3/15(木) 午後 9:02
> 遊 静さん
こればかりは被災しないと解りませんよね。
でも、皆さんがそうかそうかと耳を肩抜けていただくことが
やっぱり一番の救いです。
東松島市は復興が進んでいる方なんですよ^^
高台に小学校ができ、中学校もでき、郵便局や消防署ももうすぐ
営業!
宅地販売も進み、空き地も少なくなってきました。
仙台へのアクセスが便利ならこの街はもっと快適に
暮らせるのかもしれません。 今は普通電車で1時間掛かります。
30分で行けるのもありますが、本数が少ないのです。
2018/3/16(金) 午前 0:45
7年という歳月の経過に、感慨深いものがあるでしょう。
生涯忘れえぬ出来事としてずっと残るものですね。
悲しさもたくさんあるでしょう。未来が明るい人生になりますように。
2018/3/17(土) 午前 10:28
> fanさん
地震や津波は自然災害…敵いません
せめて人間の起こした戦争や原発被害は起きてほしく無いです!
ただ、こういう大きな事件があると人というものの在り方や
かわいさ、情けなどが身に染みて解りますね。
戦火を潜り抜けていた父が言っていましたっけ「戦争が
起きないと人はダメなんだ!」と。つまり人は戦争も無く
人や物のありがたさも感じない飽和状態になるとバカになる…と
言いたいのです。ピリッと生きなきゃね^^
2018/3/18(日) 午後 11:27