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百人一首67首目

 
 
 百人一首67首目 
 
 
 春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそ惜しけれ 
はるのよの      ゆめばかりなる    たまくらに    かいなくたたん     なこそおしけれ
 
周防内侍(すおうのないし) 11世紀後期
 
春の夜の夢のような、短くはかない間の手枕のために
 あなたと私の間につまらないうわさが立っては困ります
お戯れはやめてください
 
 
ある夜、関白藤原教道(かんぱくふじわらののりみち)のお屋敷で
女官たちが世間話に花を咲かせていました。
そのとき
女官の一人の周防内侍が
あたりを見回しながら「少し眠いので枕がほしい…」と云うと
突然、大納言藤原忠家(だいなごんふじわらのただいえ)が、
御簾の下から手を出してきて
「枕ならご遠慮なさらずに私の手枕をどうぞ」といってきたのです。
驚いた周防内侍は、すかさずこのうたをよんだのです。
 
 
周防内侍=周防守 平棟仲(すおうのかみ たいらのむねなか)の娘
本名は「仲子」(なかこ)  女流歌人として有名だった
後冷泉(ごれいぜん)・後三条(ごさんじょう)・
白河(しらかわ)・堀河(ほりかわ)四代の天皇に仕えた
 
 
春の夜の夢ばかりなる
(秋の夜長に対して)… 春の夜は短くてはかない夢と同じようなもの
そんな短くはかない間の
 
手枕
腕を枕にすることによって
 
かひなく立たむ
何のかいもなく立つであろう つまらないうわさが立つことをいったもの
「かひなく」は、「効な」(かいな)と「腕」(かいな)の掛詞
 
名こそ惜しけれ
噂の立つのが残念です
 
 
 
 

百人一首

 
 
 百人一首66首目 
 
  もろともに あわれともおもへ山桜 花よりほかに 知る人もなし   
 
 
 前大僧正行尊  
さきのだいそうじょうぎょうそん
 
山桜よ・・・
おまえを見ていると 心がなぐさめられ いとおしくなってくるように
どうかおまえも わたしをいとしみ なつかしく思っておくれ
このような山奥では おまえよりほかに さみしくて悲しいわたしの心を
わかってくれる友も居ないのだから…
もろともに= おまえもわたしも互いに
あはれと思え= ここでは しみじみといとおしく思い懐かしく思う気持ち のこと
 
 
行尊参議源基平(さんぎみなもとのもとひら)の子 
三条天皇のひ孫
十歳のとき父と死別 
十二歳のとき 三井寺(みいでら)に入りお坊さんになる
修行のため 吉野の山奥にある 大峯にのぼり
来る日も来る日も 一人ぼっちで 山の中を歩き回っているうちに 
思いもかけず 山桜の咲いているのを見つけた
行尊は 思わず山桜に語りかけるように このうたをうたった
 
行尊は後に 「天台座主」(てんだいざす) となる
(比叡山延暦寺と三井寺(みいでら)を合わせた最高責任者のこと)
さらにお坊さんとして最高の位である 「大僧正」(だいそうじょう) となった
書道や絵、和歌にも優れていた
 
 
 
 
 

百人一首65首目

 
 
 百人一首65首目 
 
うらみわび     ほさぬそでだにあるものを      こいにくちなむ     なこそおしけれ
恨みわび ほさぬ袖だにあるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ
 
 
- 解釈 -
 
恋して捨てられて…
相手の冷たさを恨み わが身の不運を嘆いて
涙にぬれた袖をかわかすひまさえないのに
そのうえ この恋のために わたしの評判までだめになってしまうのは
とても口惜しくてなりません
 
相模 ( さがみ )  
=生没年未詳 11世紀前期と思われる
 
歌合せの審判になるなど平安時代の一流女流歌人
相模守大江公資(さがみもりおおえのきみすけ)と結婚したので
「相模」 と呼ばれた
 
しかし結婚生活は長くは続かず 別れたのち
藤原定頼など たくさんの貴公子たちと次々に恋をしたので
恋多き女として有名になる
 
この歌をよんだのは五十歳過ぎだろうといわれている
 
大江山の酒吞童子(しゅてんどうじ)を退治した源頼光の娘ともいわれている
 

百人一首64首目

 
 百人一首64首目 
 
 あさぼらけ 宇治の川霧たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木  
 
★詠み人
 
権中納言定頼(ごんちゅうなごんさだより)
995年〜1045年
 
四条中納言(しじょうちゅうなごん)とも呼ばれていた
 
恋歌が多い百人一首の中でも数少ない風景をよんだもの
 
 
★解説
 
ある日に定頼が宇治川のほとりに出たときよんだ歌で、
 
夜がほのぼのと明けていくころ、
宇治川一面にたちこめていた霧が、とぎれとぎれに晴れて
晴れた所から少しずつ川の浅瀬に仕掛けた網代木が見えてきましたよ
 
と歌った
 
★言葉の意味
 
 あさぼらけ= 夜がほのぼのと明けること              
宇治の川霧= 宇治川にたちこめた霧 琵琶湖から出た瀬田川は
       京都府南部の宇治のあたりで宇治川と呼ば
下流は淀川と合流する      
  たえだえに= とぎれとぎれに  「川霧がとぎれとぎれ」の意味に、
                瀬々の網代木が切れ目切れ目にあらわれる意味を      
かけている              
あらわれわたる= あらわれてはずっと見えてくる               
   瀬々の= あちこちの瀬 「瀬」は川の浅いところ       
 網代木= 網代を張るために水中に打ち込んだくい   
        網代は魚をとるために竹や木を編んだもの 
 
 
宇治川の網代は、冬の漁法で、氷魚(ひお(アユの子))をとるためのもので
歌にもよくよまれた
 
定頼は歌の名人の藤原公任(ふじわらきんとう)の子
おっちょこちょいでうぬぼれが強く
時々失敗をする
小式部内侍(こしきぶのないし)をからかって
逆にやり込められて逃げ出した話は有名。
 
百人一首60首目に載っています。
 
参議→権中納言→正二位兵部卿と進んだ
 
 

百人一首63首目

 
百人一首63首目
 
 今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで いふよしもがな 
 
 
★詠み人
左京大夫道雅(さきょうのだいふみちまさ)
992〜1054
 
藤原道雅(ふじわらのみちまさ)のことで、斎宮に対してよんだ歌に傑作が多い
 
★解説
今となっては「あなたのことをきっぱりあきらめましょう」という
一言だけでも、せめて人伝てではなく、直接あなたに
告げる手立てはないものだろうか
 
★詠んだ経緯
三条天皇に「斎宮」(さいぐう)としての務めを果たし、
伊勢神宮から帰ったばかりの15歳の当子内親王(とうしないしんのう)と
道雅は恋仲になったが、三条天皇の知るところとなり二人の仲を引き裂いた
その後、当子内親王は尼となってしまった
もはや、どうすることも出来ない恋の切なさを道雅はこの歌によんだ
七年後、当子内親王は亡くなり、
道雅はその後やけっぱちになり、荒んだ生活を送った
 
★言葉の意味
今はただ=今となってはもう
思ひ絶えなむ=きっぱりとあきらめよう
とばかりを=とだけを
人づてならで=人を通じての伝言ではなく
いふよしもがな=いう方法があるとよいのになぁ
 
道雅は、内大臣藤原伊周(ふじわらのこれちか)の子 
祖母は儀同三司母(ぎどうさんしのはは)
 
内親王は、天皇の選んだ人としか結婚できなかった
 
道雅がこの歌をよんだのは24〜25歳ぐらいだといわれている
 
=斎宮=
昔からの宮中の習わしで、
天皇が即位する度に選ばれて、伊勢神宮につかわされる未婚の皇女
 
 

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