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移転の説明会

 
                        
 
            
 
気迫が無くなって来つつ…
 
11/7
集団移転に関する説明会に行ってきました。
集合時間は夜7:00!
しかも仙台からは約1時間ほど国道を車で走らなければ着きません!
高速なら早いのですが、夕方では混んでいてかえって遅くなることもあるのです。
ちょっと億劫になっていましたが、
それでも行動しなければ何もわからない!と言い聞かせ
頑張って行きました。
 
どうせ行くなら寄り道して、先日の岩手旅行写真を叔母にあげようと思い、
午前中はデジカメからプリントするための作業に集中!
弟家族にもあげようとあれこれいいショットを探しプリント。
 
さっさと出かけてしまうことも出来ますが、
毎日置いてけぼりではペットのメイプルがかわいそうな気がして
いつも私の行動は後手後手になりがち!
主人の分の夕食をセッティングして戸締りしていざGO ! 
 
たて続けにあくびをしながら運転! 
どんどんさみしくなっていく景色を見ていたら
どういうわけかか悲しくなってきました。
 いつも胸に詰まったものがあるのですぐ涙が出てしまいます。
歳をとったのでしょうか。 
叔母の顔を見たら何だかほっとしてしまい、
つい堪え切れなくなって泣いてしまいました。
別に何が辛いわけということでもないのです。 
逆に気持ちが落ち着いてきたからかと思います。
それと、やっぱり疲れていたのかなとも思いました。
もしかしたら母に似ている叔母だったから気が緩んだのかとも。
誰の胸でも泣いたりしなかったのに…。
 
会場の地区センターには約90人が集まりました。
 
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我が地区をさらに日別に分けて今週一杯で話し合います。
そのスタートに我が区の南側だけの住人が集まったのです。
どうやら我が家は移転の対象からは外されるようです。
「現状復興地域」になるのです。
それが、我が家にとっていいことなのかどうなのかはまだまだ分かりません。
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帰り道はいつも高速では帰らず、国道をのんびり走ります。
目の衰えを感じているので夜道を走るのは控えているのです。
 
地元に帰れた頃にはいろんな箇所に衰えが出る身になりそう…
なのに
より頑張らなければならない状況の地域になっているのでしょう。
億劫になる…
 
でも故郷は大事で愛おしいし…
などと
考えながら走りました。 
 
 

復興祭

 
      
地元で「復興祭」が開催されました!
              
 
場所は地元の小学校校庭です。
そこは現在、仮設の市民センターになっています。
 
10:45にオープニングの鼓心太鼓が空に響き渡り
14:30の閉会まで楽しい催しが沢山ありました。
 
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珍しく主人も行くというので一緒に出掛けましたが
朝、7:30には仙台を出発して
車でなら一時間ほど走った地域まで走り
床屋さんで散髪してもらってから参加するのです。
 
私は主人を送ってから自宅まで戻り、家に風を入れながら衣類の整理をして
オープニングを待ちました。
 
なかなか散髪が終わらないようなので、
迎えには行かず私のみ小学校に行ってみました。
弟も来ていて話をしながら衣類や雑貨の配布に並んだり、
お昼に卵かけごはんを頂いたりしているうちに
主人もいつの間にかバスで帰って来て会場を散策。
 
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もちろん、地元なのでたくさんの知人が来ていました。
 
「お〜元気〜!」
「今どこに住んでいるの?」
「家は住めるの?」
「情報あったら知らせてね!」
 
など
今までとは違った会話が飛び交いました。
 

東日本大震災

 
 
震災後の行動 (7/1〜9/30)
アパートに自主的に住んでいる被災者のために
「賃貸借り上げ制度」 というものが出来ました。
家族数によって家賃と部屋数が割り当てられ、県で費用を担ってくれるものです。
 
私たちは被災から今までの三か月以上は六人で3DKに住んでいました。
もちろん賃料を二家族で半分づつ出し合って暮らしていましたが、
この制度が出来たということで、
私たち夫婦は仙台のアパートに引っ越すことにしたのです。
 
主人の勤務地に近くなることと、ペットも可という点、
弟家族は勤務地の都合で今までのアパートの方が良いこと。
そのアパートなら四人でも対象になるし、
私たち二人では広すぎ、規格外となってしまうので
必然的に私たちが移動する方が効率的だったのです。
地元には遠くなりますが、だいぶボランティアさんが入ってくれたおかげで
そう頻繁にはいかなくてもよくなっていました。
なので
 
7/6
に引っ越しました!
二階の2DKのアパートで新婚時代に戻ったみたいな生活が始まりました。
 
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毎日毎日買い物と地域を知るために外出ばかり!
地元に帰りたいセンチな気持ちが増すばかりでした。
意外にもペットのパピヨン「メイプル」ちゃんは落ち着いていましたが。
 
7/12
赤十字社からの贈り物として、家電品が六点届きました。
①テレビ
②冷蔵庫
③洗濯機
  ④電子レンジ
 ⑤電気がま
  ⑥電気ポット
 
7/15
被災者生活再建支援金が支給になりました。 我が家は100万円です。
 
7/16〜17
仙台市内で  「六祭」 (ろっこんさい)  が開催され、
娘がスタッフで参加。私は孫と留守番。
 
7/20
手織りの先生宅に久しぶりにお邪魔しました。
叔父のお見舞いにも行きましたが、眠っていたのでそっとしてあげようと帰ってきました。
 
7/28
上の孫の誕生日です。すっかり男の子の遊びになりきりです。
いろんなことが仙台に居たら近くって楽になりました。
 
 
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8/14
初盆のお参りにお寺まで行きました。
元職場の仲間の一人が花束を供えてほしいと二束くれたので
両親の遺影も華やかになりました。
 
8/16
病院の内科へ行きました。脇腹の神経がぴくぴくと痛くなったので、
こじれる前にと思い行ってきたのですが、「健康保険一部負担金免除証明書」を持参しなかったので
診察代はまるまる支払いました。 もちろん次の日持っていき払い戻してもらいましたが。
尿検や血液検査しても大したことはな、く痛み止めの薬を貰ってきたのみでした。
 
8/29
被災で仙台に住んでいる竹馬の友と会いました。もう一人の竹馬の友と三人は
話しが弾みお昼御飯もそこそこ。 気が置けない者通しはホントに安らぎますね。
何もj知らずに話し込んでいた時間に実家が解体されていたようです。
後で知りました。 立ち会いたかった〜!
 
9/10
 “台湾佛教ツーチー基金会” より
災害見舞金の贈呈がありました。
家族数で差がありましたが、私たちのように二人暮らしの家庭には5万円頂けました。
ありがたいことですね。
 
 
 
そんなこんなで今に至っている私です。
暗〜い震災のことをずっと付き合って聞いてくださった皆さんに感謝しています。
 
他のこまかい話は「ファン限定」できいて頂きたいのでまたよろしくお願いいたしますね。
 
 

東日本大震災

 
震災後の行動(6/1〜6/30)
6/18 (土)
震災から百日目となりました。
自衛隊基地の格納庫での合同慰霊祭でした。
 
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そこで会いたかった人と出会えました。
 
俳句の会の帰りに父たちを車に乗せて送ってくれた市の職員の方です!
彼女も命からがらでしたが何とか命だけは助かったのです。
彼女に父達が無事自宅に帰れたと話したら
「よかったぁ 帰れたのね〜!」
と喜んでくれました。
 
そうです! もし渋滞のままでその場にいたら父達はおろか
彼女もろとも津波で川を流されていったに違いないのでした。
そして、行方不明者リストに載らないとも限らなかったのです。
結局父は亡くなってしまったけれど、
家に帰れたし、女房のそばで、しかも嫁に抱えられて幸せでした。
きっと今日は両親が彼女に合わせてくれたのだと思いました。 
 
  津波が来る直前に開いた携帯を
 主人が見つけてくれました                  今年もちゃんと三羽のツバメの子が孵りましたよ♪
 
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冗談ですが、私は ボランティア恐怖 になりました!   
というのも六月は頻繁にボランティアさんが応援に入ってくれたのです。
みんな明るい! 若いっていいなぁ!
私はここしばらく笑顔を忘れていたっけ!
 
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しかも労力を惜しまずに懸命に働くし、
ちゃんと時間を守るし、礼儀正しいうえ、励ましてくれる!
 
被災者側が望んでいることは
 
  ◎ 話を聞いてほしいこと
      ◎ 明るく作業をしてほしいこと
  ◎ いくら瓦礫と化しても
            家の物は丁寧に扱ってほしいこと
 
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 家から南をカメラで!
 これでも80%瓦礫が片付いたところです。          災害ボランティアセンター。一軒の家を借りてます。
 
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6/26(日)
やっと住職さんのおかげで
お寺での合同葬儀が出来ました。
亡くなった人一人ひとりに向けて
身内が弔辞を述べました。
両親へは姪が読み上げたのですが、
名字の関係で一番最後になりました。
それがことさら良かったようで、姪はしめに相応しい言葉で立派に読み終え、みんな感動してくれました。
その後は会食。
 
 
 にぎやかなことが大好きだった両親なのだから遠慮はらないのに、みんなとても静かな会となりまし  た。 もちろん長女も東京からかけつけました。  
  
 
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今日は何と20人ものボランティアさんが
入ってくれました。
床下の泥除けや、ブロックを割って外して
くれたり、食器まで洗ってもらいました
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ついにみんなに聞きました、私。
「どうしてボランティアしたいと思ったの?」と。
 
「達成感!」 
「じっとしてはいられなかったから」 
「自分はいかに幸せなのかを実感するため、そうするとまた来たくなるから」 「被災者の皆さんの笑顔を見たいから」 
「自分にできることをしないではいられないから」
「自分もお世話になったことがあって、何かしら恩返ししたいから」
 
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最後、みんなに
「ありがとうございました!」
と云ってもらいびっくり  !
しかも
「元気出して頑張ってくださいね」と。
急に胸が詰まってしまいました。
 
                                  
 
 
震災後の行動(5/9〜5/31)
 
 
5/9
石巻にある動物救護センターへ。
災害でかなり壊れてしまった実家にいつの間にやら
知らない猫達が出入りするようになりました。
そもそも、姪は飼っていた二匹の猫のうち、一匹が見当たらず、
いつか帰って来るのではないかと願いつつ、
一日置きぐらいに実家に行き、ドライキャットフードと水を置いてきていました。
それに気が付いた他の猫たちが餌場としてくるようになっていたのです。
災害で飼い主が亡くなってしまったのかもしれないし…と実家の家族は
マメにフードを置いてきていました。
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その中で一匹だけ鼻水を垂らしている猫が居て、
なんとなく弱い感じで慣れないため、捕まえることも難しかったのですが、
何とかキャリーに入れることが出来ましたので、早速
救護センターに預かって頂くようみんなで車で30分かけて行ってきました。
     
センターにはたくさんの猫や犬などが居て、ボランティアさん達も次々来て応援していました。
みんなは偉いなぁと痛感! 
その後何日たったかしら…飼い主が見つかったと
センターから姪の所に連絡が入りました。
 みんなで やった〜! と大喜び。 
感激で私は泣けてしまいました。  きっと姪も部屋で泣いたことでしょう。
センターでは  ネットに載せててくれたのです。
飼い主さんがくれぐれもよろしく言って下さいと云っていたそう。
実家の猫も誰かに救ってもらっていたなら…と思わすにはいられませんでした。
 
 
5/10
先日のこと、
 コンビニに止めようと駐車場に入ったら、出ようとしていた車がバックしてきました。
そのあとに入ろうと止まって待っていた私の車までずっとバックしてくるではありませんか!
あれっ!という間もなくガシャンとバンパーにぶつかってしまったのです!
 
もちろん完全に彼のミス! 
忙しかったのだけれど、仕方ありません、
彼が警察を呼び検証となりました。 
まぁ警察もこれはこじれるような問題ないと思ったのか、
彼にのみ
  「駐車場という場所はスピードが出ていないからと云っても事故の起きやすい場所なんだよ!
いつ子供が車の後ろを通るかしれないところだし、いつ他の車が動き出すかしれない!
急いでいてもより一層慎重に左右確認してゆっくり出ないとね!」
と注意していました。
 
今日は車をいつもの工場に修理依頼してきました。
このことがあってから「これは彼の問題だけではなく、自分にも注意しなさいと
言ってくれているんだな」とおもうようになり、駐車場や交差点ではより慎重に
運転操作をするようになりました。
ありがたいと思っています。
 
 
5/12
役場へ石灰と土嚢袋を貰いに!
石灰は名前記入が必要でした。 土嚢はもちろん泥とがれきを入れるため。
石灰は泥を除けた所に撒いて虫やカビなどで環境悪くならないようにしました。
大きながれきは役場に申請して除去してもらいます。
 
日々、コインランドリーに通っては濡れてしまった衣類を洗ったり、
ボランティアさんとともにがれきや日用品の泥除け、
両親の預金関係のことで  銀行や  郵便局に行くなど
今までにないことばかりの作業をしていました。
 
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5/27
元の職場仲間の六人が私のためにとランチに誘ってくれました。
みんなは災害も大したことはなく、私のみが大変だったようです。
 
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5/29
両親の火葬の日を迎えました。
お棺はきれいなものに取り換えられてトラックで火葬場まで運ばれてきました。
霊柩車じゃないと嫌だという場合は自分で手続きをするようになっています。
弟と相談して隊にお願いする方が父も喜ぶだろうと決めました。
お棺はもう釘打ちされていましたからもう会えませんでしたが、
番号で確認するようになっていました。
親戚も来てくれ待っている間、災害の話などしていました。
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   5/30
アパートで暮らしている被災者の家賃も
県が負担してくれる制度が出来たということで申請してきました。
 「賃貸借り上げ制度」 です。
仮設住宅の建設が追い付かず、やむなくアパートに入っている人たちのために、仮設と
同じ扱いになるよう設けられました。 これはありがたい!
 
                               
 

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