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母はいつもの茶の間に、父は「俳句の会」の会場である地区センターにいるうちに地震に遭い、
危ないからと、職員の方に何人かの人を車で送ってもらったのです。
ところが途中で渋滞になり、待っているより歩いたほうが早いと降ろされたそうです。
そこから車なら30秒も走れば着く実家なので、父はすり足で橋を越えて寒い雪の中
歩いてきたのでした。 家に着いたときは疲れたのでしょう、ゆがんで倒れかかっていた
郵便受けに寄りかかっていたのです。
そうとも知らない私は自宅に向かう際、父の姿をみて
「ア〜ハハ・・おじいちゃん何やってるの?そんなことしている場合じゃないのに〜!」と
ユーモアのように見えた父を指さして笑っちゃったのです。
父が、倒れかけていた郵便受けを起こそうとしているように見えたのです。
父は私の声を聞いて振り向くのがやっとのよう。
それが父を見た最後になるとはまったく考えもしませんでした。
私が自宅に戻ってから嫁の方は、避難するよ!と言ってもすんなり行動取りにくい体の両親を
何とか腕に抱え込んで移動させようとしました。
呑気なもので、はじめ父はズボンを取り換えようとしたそうです。
そこへ巨大津波があっという間に突進してきて、そのまま三人は天井まで押し上げられたそうです。
母が「息できない〜!」と云ったようです。
嫁は両腕に親を抱えていて、呼吸もままならなかったのですが、ラッキーなことに足元に畳が
流れ込んで来たのだそう!なので両親をしっかり抱えていられたのです。
その畳につま先立ちして何とか呼吸でき、わりに早く引いた津波だったので何とか一命を取り留め
たのでした。
甥や姪は二階に上がったので無事! 津波が引き始めたので「おかあさ〜ん!」と
叫びながら降りて来たら声がしたのでホッとしたと言っていました。
両親は安置所に15日に運ばれ、仮埋葬までには9日経過していました。
急きょ設定した丘の上の埋葬場所に、両親の土葬の日、身内が立ち会いに行きました。
この時ほど自衛隊のみなさんに感謝したことはなかったのではと思いました。
きれいに取り換えられた布に包まれた両親の棺を、それはそれは丁重に運んでいただき、
花束も添えられ全自衛官で敬礼です。
両親は主人の元職場でもあった(主人は海上ですが…)隊の皆さんに守られながら
埋葬されてとてもラッキーでした。
土の中に納められた両親の確認を弟が取り、身内で棺に少しづつ土をかぶせてあげました。
安置所にいつまでも置いたままでは腐敗が早くなってしまうため応急の土葬です。
何体の棺があったのか数えませんでしたが、まるで仮設住宅みたいに一列に並んだ
たくさんの棺が何列もあり、一人ひとりベニヤ板で仕切られています。
見れば隣り近所だった人たちの名前がかなり多くありました。
それから両親が火葬してもらえたのは66日も後のことでした。
そう二か月以上も経っていました。
それでも両親は行方不明者ではなかったのでラッキー!早い方です。
それに、ところてんみたいに流れ作業的な火葬にはしたくなかったので待っていてよかったです。
棺も綺麗なものに取り換えられての火葬。さすがに本人確認はさせないようです。
ナンバー確認だけに止まりました。
火葬を終えてもお墓も流されているので、お寺に預かっていただきました。
住職さんは地域のまちづくり活動の際、同じ部だったので何かと気が楽でいろいろ相談ができ
遺影も母好みのものになりラッキーでした。
今も納骨堂にはたくさんの地元の方々の遺影とお骨が…。
両親はみんなと居られてラッキーです。
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