絵画

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ムリリョ

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MURILLO, Bartolomé Esteban, Spanish painter (bone 1617, Sevilla, dead 1682, Sevilla)
1645-46 Murillo 'Boys Eating Fruit (Grape and Melon Eaters)'
Oil on canvas, 146 x 104 cm
Loction: Alte Pinakothek, Munich
私の一番好きな絵画です。二人の乞食の子供の絵ですが、兄弟なのか、知り合った仲間なのか。
当時は、こんな情景がヨーロッパ(日本でも同様)のどこでも見られたのでしょう。
日本では、1646年豊臣秀吉が亡くなった。

1640-45 Murillo 'Joseph and Potiphar's Wife'
Oil on canvas, 197 x 254 cm
Location: Staatliche Museen, Kassel
この絵の意味するところを想像ください。(ムリリョの同じ場面の異なる絵画を11月下旬に載せました)

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答えは:
旧約聖書より、エジプト奴隷のJosephは、Potipherの警護隊長になったが、Potipherの妻から色目を使われ、その誘惑から逃れようとしている。彼女が彼のコートを離さなかったので、その場にコートだけが残った。
何度も試みたが、誘惑は成功しなかった。ついに彼女は主人のPotipherに、Josephが言い寄ったと告げ口したので、Josephは牢屋に入れられた。
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美人画 その2

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江戸時代から昭和までの美人画には、それぞれのパターンがある。
江戸時代は、絵師が男性であったので、男が見た美女の姿だった。この時代は、浮世絵版画である。
明治以後は、女性の進出もあるが、絵師の男女の差は見分けがつかない。日本画から派生したことから、特にぼかしを使った柔らかな女性の皮膚の感覚が伝わってくる。
二枚は、江戸中期、明治初期。明治-昭和は、前のブログを参考にしてください。

美人画

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亡くなった母が、多忙な合間に「美人画」を小さな趣味として描いていた記憶がある。殆どが鏑木清方や志村立美や竹久夢二の模写であるが手書きの美人画も何枚かあった。今ではどこに仕舞い込んだのか不明。
美人画は殆どが実在のモデルをつかい、絶世の美人に仕立てている。勿論、明治、大正、昭和というような時代に沿って多少変化してきてはいるが、浮世絵のような抽象化されたものでなく、写実そのものである。
最近の幾つかの美人画には、似顔絵的で多少抽象化された表現をする作品もあるが、本来の美人画とは隔世の感がある。
絵の心得も多少あるので、暇が出来たら美人画の模写でもしたいと思っている。

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ゴッホは、美術商の伯父の店で10年間熱心に働いていたので、絵画を評価する素地はもっていた。1880年(27才)に画家となることを決心し、ブリュッセルでデッサンの勉強を始め、1881年にオランダの実家に戻り、両親と暮らし始め、自宅に画室を作る。義理の従兄弟にあたる画家アントン・モーヴにも指導を受ける。画家としての活動した期間は、1890年夏37才で自殺するまでの、ほんの10年間である。ゴッホは、毎日一枚以上絵を描き続けたと思われるので、3,000点以上の作品があるはずである。
ゴッホの絵画を見て行くうちに、幾つかの特徴があるのに気付く。初期の頃は印象派を出発点とした油絵で静物画が殆どを占めている。それもおびただしい数であることに驚かされる。120年以上前の作品であるから、当時の絵の明るさは不明だが、性格的なものが反映しているのか、1885年までに描かれた初期の絵は、ほとんどが暗い色使いをしている。後期の絵にあるような強烈で個性的な明るい色彩豊な絵画ではなく、現代の我々が描くような個性の無いドス暗い絵である。当時どこの家にもあった食器・瓶・野菜・果物・花などが対象である。1886年以後は明るい静物画に一変している。名も無いゴッホが、当時の時代背景から、このような絵が売れたとは、とても考えにくい。そのため、兄弟の援助を受けながら、極貧の生活を余儀なくされたのは当然である。
南フランスのアルル地方に移り住むことにより、風景画を描くようになり、後世評価われるような明るい個性的で強烈なタッチに変わっている。11人の友人を呼んだが、来たのはゴーギャンただ一人だけであった。二人はアルル地方の雄大な風景に没頭した。ゴッホは、刈入れ間近の黄色い麦畑、大きな糸杉、農家、丘陵、星空、カフェなど、故郷のオランダとは隔絶した世界のアルルの風景をおおらかに描いている。ゴッホにとっては、実に感動的な世界であったのである。この頃のゴーギャンの絵を見ると、ゴッホに影響されたような強い筆のタッチがみえる。
ゴッホは耳の形がおかしいとゴーギャンに言われ、耳を切り落としてしまった。不和がもとで、ゴーギャンが逃げ出した。友人を失ったゴッホは、ブリュッセルにもどり、精神科医に通う生活をしながら絵を描き続けた。最後は散弾銃で自殺を図ったのか、恐怖に駆られた周りの人に撃たれたのか不明だが、2日後に亡くなる。いわゆる天才と気違いを地で行くような強烈さで、時代の趨勢を冷静に見守ることから隔絶した人間性の持ち主であったのかも知れない。
しかし、ゴッホは廣重の版画を模写しており、色彩に富んだ東洋の抽象画の典型である浮世絵に対して、どんな感慨を持っていたのか不明だが、絵画の新しい世界を模索して悩み続けたのかも知れない。この時代、印象派は下降線を辿っており、個性的な抽象画の台頭が始まっていたので、ゴッホはその時代背景の波に乗っていたのであるが、本人はそれに気付くことはなかったのであろうし、気付いていたら自殺などすることはなかった筈である。自殺したことを幸いに、ゴッホの絵画は、才能を予見していた親戚の画商が引き取り、莫大な利益を得たという事実は、実に皮肉なことである。
(挿絵 Gogh「星空」(アルル地方) 1889年6月)

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