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28日はE233系田町車の配給がありましたので、高崎駅まで出かけてきました。 高崎駅に入場し、配給を捉えるため6番線に降り立つと・・・ 単****レ 中線からEF81が大宮方面へ発車していくところでした。 昨夜青森から帰ってきたEF64 1001とDD51 842をエスコートしてきたカマです。田端へお帰りになった模様。 配9772レ クハE233-3508 サハE233-3008 モハE233-3608 モハE232-3608 クハE232-3508 クハE233-3008 モハE233-3208 モハE232-3008 モハE233-3408 モハE232-3808 サロE233-3008 サロE232-3008 モハE233-3008 モハE232-3408 クハE232-3008 後追い 以下、停車中に観察したものをいくつか。 側面行き先表示 駅名対照表 見たところ国府津のE233系やE231系1000番代と共通のようです。 従って信越線横川がある代わりに両毛線小山がないわけで、211系高崎車の置換えが本格化したときどうなるのかが気になるところです。 なお、こちらに対照表の再現画像を掲載しています。 ↑このページもリニューアルしたいなぁ・・・(心の声) 6番に入線「してしまった(汗)」115系と。 配9772レの発車を見送って撤収しました。
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記事が書けずちょっと更新が遅れましたが、26日の早朝、高崎操に再び特大貨物がやってきました。 9795レ ヘッドライトはハイビームだったのかなぁ?前回よりも気になります。 しかし暗いですね。 ピンボケなのはたぶん気のせいでしょう(^^; 撮ったときは全然気づきませんでした。 EH200の運転台では乗務員2人がなにやら打ち合わせ中。 最後に編成写真をもう一枚。
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愛教大附岡崎中や市立竜海中の西に芦池橋電停はありました。 この歩道橋の先あたりでしょうか。 バスのいる辺りが新田橋電停跡。この先で国道248号と交差します。 その国道(もちろん廃止後にできたもの)を過ぎたところが車庫前電停跡。 車庫は交差点の南東あたりにありました。国道ができたことや、区画整理が行われたことにより痕跡は残っていません。 イオンモールの南端、戸崎新町交差点のあたりに戸崎町電停があったと思われます。 イオンモールがあるところが日清紡績戸崎工場の跡。ここへ引込み線が延びていました。 さらに南、戸崎元町交差点のあたりが戸崎口電停跡。 地図では交差点の南にしましたが北側だったかもしれません。 羽根ガード東の交差点。北羽根電停はこのあたりにありました。 羽根ガード東交差点の次、羽根交差点。奥には岡崎駅が見えています。 岡崎駅東口。市内線ののりばがあったのはちょうど自由通路のあたり。そこからさらに南へ福岡線が延びていました。 正面の空き地は名鉄西尾線(旧線)岡崎新駅跡。ここから西尾へ西尾線が延びていました。 昭和18年に休止されたのち昭和26年に福岡町までが福岡線として復活しました。 昭和37年に市内線とともに廃止されています。 (訪問日:2011.3.19) |
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カーブの先です。このあたりが神明町電停跡。 歩道橋の手前、交差点のあたりが能見町電停跡。同名のバス停がありました。 能見町をすぎると、線路跡の県道はSカーブを描きます。最初の左カーブのあたりに電停がありました。 カーブを曲がった先の康生通交差点の手前が康生町電停跡。 岡崎市内線は大樹寺と岡崎駅前を除いて安全地帯がなく、路面から直接乗降していました。 康生通南交差点の歩道橋から。中央左の名鉄バスは殿橋バス停に停車中。 このバス停あたりの道路中央が岡崎殿橋電停でした。 昭和2年に架けられた橋で、この橋の上を電車も走っていました。 乙川を渡り、堤防からの下り坂を降りきるとそこが東岡崎駅前電停跡。名鉄のガードの北側、明大寺本町交差点の手前に乗り場がありました。 名鉄の東岡崎駅はここから東へ200mほどのところにあります。 ガードを潜って2つ目の信号のあたりが大学下電停。 電車が来なくなって久しいこの道も、在りし日の記憶だけは残っているようです。 (訪問日:2011.3.19) |
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明治44年に社名を岡崎電気軌道に改称、翌年から電車運転を開始しました。昭和2年に三河鉄道へ、16年に名古屋鉄道へ合併されています。昭和37年に廃止、バス化されました。 最盛期の運転系統は大樹寺〜福岡町でしたが、大樹寺〜岡崎井田は鉄道法に基づく名鉄挙母線、岡崎駅前〜福岡町は福岡線(西尾線旧線)でした。 電化方式は直流600Vで、大樹寺〜康生町が単線、康生町〜岡崎駅前が複線でした。 今回は大樹寺〜岡崎駅前を歩きます。 大樹寺駅跡は名鉄バスのバスターミナルになっています。ここから岡崎井田までは挙母線の一部でしたが、大樹寺で系統分割されていました。 また、駅の南西にあるユニチカ岡崎工場への引込み線もあったようです。 右側の駐車場のあたりを走っていたようです。 Y字路の先すぐのところに岡崎井田(井田町)電停はありました。 正式名称は岡崎井田でしたが、方向幕も電停の脇に建つ電柱の腹巻も「井田町」でした。 奥の右カーブを抜けると、 下り坂を降りきったところにある次の信号が伊賀町です。 その伊賀町交差点の南あたりに乗り場があったようです。 ここ伊賀町から能見町までは道幅が狭いため、道路の左側を走っていました。 伊賀町を出てしばらく進み、伊賀川を渡るとそこが八幡社電停跡。 伊賀川にかかる橋の上からの撮影ですが、左端に写る欄干の左側を専用軌道で渡っており、当時の橋脚が昨年まで残っていたとか。 (訪問日:2011.3.19) |




