急行きそ3号

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廃線跡

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岡崎市内線は今回が最終回。

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【芦池橋(あしいけばし)】
愛教大附岡崎中や市立竜海中の西に芦池橋電停はありました。
この歩道橋の先あたりでしょうか。

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【新田橋(しんでんばし)】
バスのいる辺りが新田橋電停跡。この先で国道248号と交差します。

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【車庫前(しゃこまえ)】
その国道(もちろん廃止後にできたもの)を過ぎたところが車庫前電停跡。
車庫は交差点の南東あたりにありました。国道ができたことや、区画整理が行われたことにより痕跡は残っていません。

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【戸崎町(とざきまち)】
イオンモールの南端、戸崎新町交差点のあたりに戸崎町電停があったと思われます。
イオンモールがあるところが日清紡績戸崎工場の跡。ここへ引込み線が延びていました。

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【戸崎口(とざきぐち)】
さらに南、戸崎元町交差点のあたりが戸崎口電停跡。
地図では交差点の南にしましたが北側だったかもしれません。

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【北羽根(きたばね)】
羽根ガード東の交差点。北羽根電停はこのあたりにありました。

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羽根ガード東交差点の次、羽根交差点。奥には岡崎駅が見えています。

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正面がJR岡崎駅。市内線は道なりにまっすぐ駅東口へ向かっていました。

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【岡崎駅前(おかざきえきまえ)】
岡崎駅東口。市内線ののりばがあったのはちょうど自由通路のあたり。そこからさらに南へ福岡線が延びていました。

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自由通路から。
正面の空き地は名鉄西尾線(旧線)岡崎新駅跡。ここから西尾へ西尾線が延びていました。
昭和18年に休止されたのち昭和26年に福岡町までが福岡線として復活しました。
昭和37年に市内線とともに廃止されています。

(訪問日:2011.3.19)


【関連項目】
廃線跡INDEX
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電車は県道上をひたすら南へ進んでいました。

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神明宮のすぐ東、カーブの先あたりが神明町電停跡と思われます。

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【神明町(しんめいちょう)】
カーブの先です。このあたりが神明町電停跡。

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【能見町(のみちょう)】
歩道橋の手前、交差点のあたりが能見町電停跡。同名のバス停がありました。

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【本町(ほんまち)】
能見町をすぎると、線路跡の県道はSカーブを描きます。最初の左カーブのあたりに電停がありました。

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【康生町(こうせいちょう)】
カーブを曲がった先の康生通交差点の手前が康生町電停跡。
岡崎市内線は大樹寺と岡崎駅前を除いて安全地帯がなく、路面から直接乗降していました。

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【岡崎殿橋(おかざきとのばし)】
康生通南交差点の歩道橋から。中央左の名鉄バスは殿橋バス停に停車中。
このバス停あたりの道路中央が岡崎殿橋電停でした。

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岡崎殿橋電停を出るとすぐに乙川を渡ります。この橋が殿橋。
昭和2年に架けられた橋で、この橋の上を電車も走っていました。

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【東岡崎駅前(ひがしおかざきえきまえ)】
乙川を渡り、堤防からの下り坂を降りきるとそこが東岡崎駅前電停跡。名鉄のガードの北側、明大寺本町交差点の手前に乗り場がありました。
名鉄の東岡崎駅はここから東へ200mほどのところにあります。

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名鉄のガードの下から。徳川清康(家康の祖父)が建立した龍海院の西辺りです。

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【大学下(だいがくした)】
ガードを潜って2つ目の信号のあたりが大学下電停。

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歩道にこんなプレートが埋め込まれていました。
電車が来なくなって久しいこの道も、在りし日の記憶だけは残っているようです。

(訪問日:2011.3.19)


【関連項目】
廃線跡INDEX
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岡崎市内線は岡崎市の市街地を縦断していた路線。明治31年に開通した岡崎馬車鉄道が起源です。
明治44年に社名を岡崎電気軌道に改称、翌年から電車運転を開始しました。昭和2年に三河鉄道へ、16年に名古屋鉄道へ合併されています。昭和37年に廃止、バス化されました。
最盛期の運転系統は大樹寺〜福岡町でしたが、大樹寺〜岡崎井田は鉄道法に基づく名鉄挙母線、岡崎駅前〜福岡町は福岡線(西尾線旧線)でした。
電化方式は直流600Vで、大樹寺〜康生町が単線、康生町〜岡崎駅前が複線でした。
今回は大樹寺〜岡崎駅前を歩きます。

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【大樹寺(だいじゅじ)】
大樹寺駅跡は名鉄バスのバスターミナルになっています。ここから岡崎井田までは挙母線の一部でしたが、大樹寺で系統分割されていました。
また、駅の南西にあるユニチカ岡崎工場への引込み線もあったようです。

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大樹寺から井田町の手前までは専用軌道でした。
右側の駐車場のあたりを走っていたようです。

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青い屋根の民家が線路跡。道路の先でやや左にカーブしていました。

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民家の先で細い路地に合流します。ここも当時は専用軌道でした。

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専用軌道はここまで。ここから先は県道39号上の併用軌道になっていました。

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併用軌道になってすぐにY字路にぶつかります。ここは右です。

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【岡崎井田(井田町)(おかざきいだ(いだちょう))】
Y字路の先すぐのところに岡崎井田(井田町)電停はありました。
正式名称は岡崎井田でしたが、方向幕も電停の脇に建つ電柱の腹巻も「井田町」でした。

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電車は県道の中央を走っていました。道幅も当時とほぼ同じ。
奥の右カーブを抜けると、

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緩〜い下り坂になります。
下り坂を降りきったところにある次の信号が伊賀町です。

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【伊賀町(いがちょう)】
その伊賀町交差点の南あたりに乗り場があったようです。
ここ伊賀町から能見町までは道幅が狭いため、道路の左側を走っていました。

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【八幡社(はちまんしゃ)】
伊賀町を出てしばらく進み、伊賀川を渡るとそこが八幡社電停跡。
伊賀川にかかる橋の上からの撮影ですが、左端に写る欄干の左側を専用軌道で渡っており、当時の橋脚が昨年まで残っていたとか。

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ここの東側には昌光律寺があります。1763年に創建された寺だそうな。

(訪問日:2011.3.19)


【関連項目】
廃線跡INDEX

名古屋市電堀内町線

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堀内町線は、名古屋電気鉄道が笹島町と那古野町をつなぐ目的で名古屋市移管直前の大正10年12月に名古屋駅前(後の笹島町)〜那古野町間を敷設したものです。
昭和12年4月に国鉄名古屋駅移転に伴う笹島線・桜町西線開通により笹島町〜堀内町間は廃止。残りの区間も昭和18年の広井町線開通により桜町西線とともに役目を終え、同年3月に廃止されました。

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【那古野町(なごのちょう)】
那古野交差点、その北東角から。左から私の背後へは押切線が、正面へは堀内町線が、右奥へは堀内町線を廃止に追いやった広井町線が延びていました。
この交差点の北西角にある名古屋プライムセントラルタワーの敷地は、かつて名古屋電気鉄道が開業した際に開設された那古野車庫があった場所。車庫のほか本社や変電所も併設されていました。
昭和5年に市バス車庫に転用され那古野営業所(末期の名称)となり、名古屋駅を発着するバスの多くが塒としていました。
近年市バスの減車が続くなかで平成15年に廃止。跡地は民間に売却されましたが1Fにバスの回転場が残されています。
現在は名古屋駅のバスターミナルが建て替えのため、この回転場がフル活用されていました。

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交差点の先です。この決して広くない道路を市電が複線で走っていました。正面の四角い高層ビルは名古屋駅前のミッドランドスクエアです。

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ミッドランドスクエアの左に見える円柱状の建物は笹島交差点脇の名古屋モード学園。あのビルの脇が今回の終点です。

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【堀内町(ほりうちちょう)】
ビルの谷間で何ともわかりにくいですが、この交差点のあたりに堀内町電停がありました。
ここから先は昭和12年に桜町西線と笹島線の開通と同時に廃止された区間です。

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堀内町を出ると、道路はT字路にぶつかります。当時、この道路の右側は名古屋駅の敷地で、軌道は正面のビル(三井ビル西館)の敷地を突っ切っていました。
右端の建物は先ほどのミッドランドスクエアです。

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左折し大通りに出ると、すぐに錦通とのT字路にぶつかります。当時錦通はまだありませんでした。三井ビル西館を突っ切ってきた軌道はこのあたりで南を向き、笹島交差点へ向かっていました。
左隅のラッパのようなものは先ほどの名古屋モード学園の敷地にあります。用途は不明ですが(^^;

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【笹島町(ささしまちょう)】
そのラッパの横です(爆)
この交差点に笹島町電停がありました。昭和12年以前はここを左折、栄方面へ向かっていました。

(訪問日:2011.2.18)
(2011.7.14 文章・地図を再編集しました)


上州電気鉄道 補遺

以前こちらで記事にした上州電気鉄道の考察です。
上州電気鉄道は、大正9年に上州電気軌道として安中〜長野原間に併用軌道を敷設する免許を出願したのが始まり。
大正12年には第一期線として安中から岩島までの区間を、第二期線として岩島〜草津と岩島〜中之条、室田〜榛名湖畔、北高崎〜室田の各路線を整備することとした趣意書を提出しています。
同年には社名を上州電気鉄道として地方鉄道に変更したほか、高崎〜板鼻の免許も申請しています。
ただ、経営状態は思わしくはなかったようで、工事はほとんど進んでおらず、大正15年には安中〜板鼻と上里見〜岩島の、昭和3年に高崎〜板鼻の免許を失効しています。
会社としても事態を打開するべく、昭和5年に起点を群馬八幡に変更するなど対策はとられましたが解決には至らなかったようで、昭和7年に会社は破産。翌年に残った区間の免許も取り消されました。

大正12年時点での路線図を以下に示します。
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赤い線で示したのが上州電気鉄道の計画線、黒い線は他の路線です。
当時国鉄は渋川までしか開通しておらず、上越線の沼田延伸は翌年の大正13年、水上延伸は昭和3年です。吾妻線が長野原まで開通したのは昭和20年。全通は昭和46年まで待たなければなりません。
草津軽便鉄道(→草津電気鉄道→草軽電気鉄道)の草津温泉延伸も大正15年のことであり、鉄道の無い空白地帯を結ぶという意味で上州電気鉄道の存在意義は一定程度あったと思われます。
しかし、ただでさえ山岳路線で難工事が予想されるうえに、経営陣に工事を進める意思があまり無かったとする資料もあり、結局路線が開通することはありませんでした。

計画線を現在の地図に当てはめると以下のようになります。
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大正12年の趣意書をもとに推測したものです。
おおよそこんな感じでしょうか。

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ほとんど工事の進んでいなかった上州電気鉄道の、唯一の遺構です。安中市板鼻にあります。
ここの室田側には車庫の予定地のほか、造りかけた築堤の跡があるとの話もあります。
古い航空写真を見るとそれらしいものが見えますが、河岸段丘など他の要因で形成された可能性も捨て切れていません。

(訪問日:2010.5.30)


【関連項目】
廃線跡INDEX

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