急行きそ3号

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廃線跡

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イメージ 1
他のネタが多くなかなか進みませんが、今回で利根川東岸は最後です。
今回は、地図上の「下箱田住民センター」の北あたりから、坂東橋東交差点までです。

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相変わらず普通車がやっと通れるぐらいの道幅が続きます。
右側の路肩、電柱が建っているスペースが線路跡です。

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左側の視界を遮っていた水路が少しずつ離れていきます。
右側は相変わらずの断崖絶壁(^^; このあたりは土砂災害警戒区域に指定されています。

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【下箱田(しもはこだ)】
右側の少し広くなったスペースが下箱田電停跡。交換設備があったようです。
あのドラム缶は何だろう(・・?

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あと少しで現道に合流です。

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ここで現道へ合流。線路跡は歩道になっています。

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【坂東橋(ばんどうばし)】
なんだかだだっ広い広場にしか見えませんが(汗)、このあたりが坂東橋電停でした。
この先で90度左へ向きを変えて利根川を渡ります。

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左側から来た線路はここで向きを変え、坂東橋を渡ります。
当時の橋はこの橋のすぐ北側(画面右側)にありました。現在も橋台が残っています。
当時の橋はアメリカ製の輸入鋼材で造られたペンシルバニア型トラス鉄橋で、1スパンが六合村に移設され現在も使われているそうです。

次回は、坂東橋を渡り渋川の市街地を目指します。

(訪問日:2010.7.29)


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今回の区間は山地と利根川の間の僅かな平地を進みます。

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【田口(たぐち)】
このあたりが田口電停でした。奥の信号が田口北交差点です。
ここには交換設備がありました。
この先はしばらくカーブが続きます。

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カーブを曲がりきったところです。
右の山は橘山。しばらくこの山の山裾を走ります。

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ここから軌道跡は現道を外れ、正面の水門の右側を抜けて消えていきます。

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上の写真の水門の裏へ回り込んできました。奥が前橋方、私の背後が渋川方です。

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同じ場所で渋川方を向いたところです。
ここはかつての国道17号。昭和24年ごろに坂東橋から田口方面へ直線で抜けるバイパスができ、この旧道は生活道路になりました。軌道も移設されず、廃止時まで崖下の旧道を走っていました。
その後水力発電所の導水路が造られ、旧道前橋方の取付け部は分断されてしまいました。

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軌道跡は旧道とともに橘山の崖下をなぞるように続いています。
軌道は道路右側の路肩を走っていました。

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道路の右、電柱が建っている辺りが線路跡です。舗装されずに残っているようです。

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奥の拓けたところが橘橋です。

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【橘橋(たちばなばし)】
橘橋です。利根川の支流を渡ります。その支流は橋の左で導水路を乗り越し、利根川へそそいでいます。
橋を渡ったところに電停がありました。

次回は坂東橋を目指します。

(訪問日:2010.7.29)


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今回は前橋市北部、赤城山と利根川との間を進みます。

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【上小出(かみこいで)】
敷島公園東交差点の手前のこのあたりに電停があったと思われます。
今では面影はありませんが、一面の田園風景の中に住宅が点在する長閑な風景だったようです。

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【大師(だいし)】
関東の三大師の一つ、青柳大師(龍蔵寺)の最寄駅で、正月の三が日には大変な賑わいだったそうです。
ここには交換設備がありました。

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【荒牧(あらまき)】
荒牧町北交差点付近が荒牧電停。このあたりは家も少なく、赤城山の眺めが見事だったそうです。

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【関根(せきね)】
桃ノ木橋の南に電停があったようです。
ここは関根の集落の丁度真ん中辺りです。
ここには交換設備のほか、変電所があったようです。

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桃ノ木橋の上から。
ラッシュ時間も過ぎたためか自動車はまばらです。
道路の東端に線路は敷かれていて、道幅は現在の2車線ほどしかなかったようです。

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田口町交差点の少し南に地図にはない交差点がありました(^^;
国道17号の前橋渋川バイパスで、渋川市内で旧道と合流するようです。

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そのバイパスです。造りかけの陸橋を見ると、将来的にはさらに東(南)へ延長する計画があるようです。

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【法華沢橋(ほっけざわばし)】
田口町交差点の辺りが電停でした。
この先、橘山と利根川に挟まれた狭隘な土地を進みます。

(訪問日:2010.7.29)


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少し間があいてしまいましたが、今回は本町1丁目交差点から群馬大学医学部の先までです。

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本町1丁目交差点で北を向いたところです。
ここは国道17号、東京から新潟を結ぶ国道です。渋川駅の直前までこの国道上を走ります。

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【竪町(たてまち)】
この奥が千代田町3丁目交差点。このあたりに電停がありました。

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【岩神(いわがみ)】
交番前交差点の手前のこのあたりに岩神電停があったと思われます。
奥の鉄塔はNTTの電波塔です。

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【国領(こくりょう)】
このあたりに国領電停がありました。遠くに見えるサティのあたりが萩町電停です。

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【萩町(はぎまち)】
ここには車庫がありました。そのため戦時中や廃止直前は萩町〜渋川間で折り返し運転をしていたそうです。
このあたりまでは民家や工場などが点在していたものの、ここから先は田園風景が広がっていたそうです。

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【医大前(いだいまえ)】
群馬大学医学部、かつての前橋医科大学の最寄り駅でした。
ここには国領2丁目バス停があります。

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上の写真にある歩道橋の上から渋川方向です。
前橋方面行きが渋滞しているのは、丁度朝のラッシュだったから。昼間は暑いので、曇りの日の早朝に歩いていました(^^;

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【鯉里橋(こいざとばし)】
随分「郊外」の雰囲気が出てきました。ここ下小出町2丁目交差点付近に鯉里橋電停がありました。
このあたりも一面の田園風景だったそうです。

(訪問日:2010.7.29)


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今回から前橋線です。全7回と長いですがどうぞお付合いください。

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【前橋駅前(まえばしえきまえ)】
大きな樹木があり見づらいですが、前橋駅前です。奥の高架が前橋駅です。
当時は地上駅でしたが高架化の際、地平ホームの南側に高架線が建設されたため、当時の駅舎は左側の樹木のすぐ向こう側、電停は樹木の手前辺りになるようです。
樹木の手前(画面左端あたり)から信号2本のあいだ(のあたり)を抜けて、左後方へ線路はのびていました。

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駅前からのびる大通り、現在は拡幅されていますが当時も広かったようです。
道路の中央を単線で走っていました。

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【商工会議所前(しょうこうかいぎしょまえ)】
T字路の向こうに十字路と、大きな交差点が接近して五叉路のようになっているこのあたりに電停はありました。
線路は奥の十字路を西へ進みます。

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上の写真に出てくる歩道橋の上から前橋駅方向をみています。
当時としては幅広だった大通りの中央を電車は走っていました。

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同じ歩道橋から西側を見ています。ここは国道50号。前橋からJR両毛線と水戸線に近いルートで水戸へ続いています。
前橋駅から来た電車はこの交差点を左折、この通りをまっすぐ奥へ向かっていました。

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商工会議所前電停跡から曲輪町電停跡の間の舗道上には前橋の歴史を示した石碑がいくつか設置されています。
その中に東武前橋線の石碑がありました。

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こちらは前橋馬車軌道です。

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【曲輪町(くるわまち)】
この奥、バスが右折しているのが本町1丁目交差点。ここに曲輪町電停がありました。
ここが国道50号の起点です。
バスと同じように電車もここで右折、北へ向かっていました。

(訪問日:2010.7.29〜7.30)


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