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今回は、地図上の「下箱田住民センター」の北あたりから、坂東橋東交差点までです。 右側の路肩、電柱が建っているスペースが線路跡です。 右側は相変わらずの断崖絶壁(^^; このあたりは土砂災害警戒区域に指定されています。 右側の少し広くなったスペースが下箱田電停跡。交換設備があったようです。 あのドラム缶は何だろう(・・? なんだかだだっ広い広場にしか見えませんが(汗)、このあたりが坂東橋電停でした。 この先で90度左へ向きを変えて利根川を渡ります。 当時の橋はこの橋のすぐ北側(画面右側)にありました。現在も橋台が残っています。 当時の橋はアメリカ製の輸入鋼材で造られたペンシルバニア型トラス鉄橋で、1スパンが六合村に移設され現在も使われているそうです。 次回は、坂東橋を渡り渋川の市街地を目指します。 (訪問日:2010.7.29) |
廃線跡
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このあたりが田口電停でした。奥の信号が田口北交差点です。 ここには交換設備がありました。 この先はしばらくカーブが続きます。 右の山は橘山。しばらくこの山の山裾を走ります。 ここはかつての国道17号。昭和24年ごろに坂東橋から田口方面へ直線で抜けるバイパスができ、この旧道は生活道路になりました。軌道も移設されず、廃止時まで崖下の旧道を走っていました。 その後水力発電所の導水路が造られ、旧道前橋方の取付け部は分断されてしまいました。 軌道は道路右側の路肩を走っていました。 橘橋です。利根川の支流を渡ります。その支流は橋の左で導水路を乗り越し、利根川へそそいでいます。 橋を渡ったところに電停がありました。 次回は坂東橋を目指します。 (訪問日:2010.7.29) |
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敷島公園東交差点の手前のこのあたりに電停があったと思われます。 今では面影はありませんが、一面の田園風景の中に住宅が点在する長閑な風景だったようです。 関東の三大師の一つ、青柳大師(龍蔵寺)の最寄駅で、正月の三が日には大変な賑わいだったそうです。 ここには交換設備がありました。 荒牧町北交差点付近が荒牧電停。このあたりは家も少なく、赤城山の眺めが見事だったそうです。 桃ノ木橋の南に電停があったようです。 ここは関根の集落の丁度真ん中辺りです。 ここには交換設備のほか、変電所があったようです。 ラッシュ時間も過ぎたためか自動車はまばらです。 道路の東端に線路は敷かれていて、道幅は現在の2車線ほどしかなかったようです。 国道17号の前橋渋川バイパスで、渋川市内で旧道と合流するようです。 田口町交差点の辺りが電停でした。 この先、橘山と利根川に挟まれた狭隘な土地を進みます。 (訪問日:2010.7.29) |
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ここは国道17号、東京から新潟を結ぶ国道です。渋川駅の直前までこの国道上を走ります。 この奥が千代田町3丁目交差点。このあたりに電停がありました。 交番前交差点の手前のこのあたりに岩神電停があったと思われます。 奥の鉄塔はNTTの電波塔です。 このあたりに国領電停がありました。遠くに見えるサティのあたりが萩町電停です。 ここには車庫がありました。そのため戦時中や廃止直前は萩町〜渋川間で折り返し運転をしていたそうです。 このあたりまでは民家や工場などが点在していたものの、ここから先は田園風景が広がっていたそうです。 群馬大学医学部、かつての前橋医科大学の最寄り駅でした。 ここには国領2丁目バス停があります。 前橋方面行きが渋滞しているのは、丁度朝のラッシュだったから。昼間は暑いので、曇りの日の早朝に歩いていました(^^; 随分「郊外」の雰囲気が出てきました。ここ下小出町2丁目交差点付近に鯉里橋電停がありました。 このあたりも一面の田園風景だったそうです。 (訪問日:2010.7.29) |
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大きな樹木があり見づらいですが、前橋駅前です。奥の高架が前橋駅です。 当時は地上駅でしたが高架化の際、地平ホームの南側に高架線が建設されたため、当時の駅舎は左側の樹木のすぐ向こう側、電停は樹木の手前辺りになるようです。 樹木の手前(画面左端あたり)から信号2本のあいだ(のあたり)を抜けて、左後方へ線路はのびていました。 道路の中央を単線で走っていました。 T字路の向こうに十字路と、大きな交差点が接近して五叉路のようになっているこのあたりに電停はありました。 線路は奥の十字路を西へ進みます。 当時としては幅広だった大通りの中央を電車は走っていました。 前橋駅から来た電車はこの交差点を左折、この通りをまっすぐ奥へ向かっていました。 その中に東武前橋線の石碑がありました。 この奥、バスが右折しているのが本町1丁目交差点。ここに曲輪町電停がありました。 ここが国道50号の起点です。 バスと同じように電車もここで右折、北へ向かっていました。 (訪問日:2010.7.29〜7.30) |


