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上に示した地図には記載されていますが、近年道路が整備されたようで手元の地図にはない道路がありました(爆) ここは石原の交差点をすぎたところです。交差点の前後は広めの2車線と右折レーン、それに広い舗道まで整備されていましたがそれもほんの100mほどで、すぐに元の道幅に戻ってしまいます。 「〜ちょう」と読ませる資料がほとんどなのですが、「〜町」という地名があれば「〜まち」と読ませるのがこのあたりの通例なので、ここだけ「〜ちょう」というのはやや不自然に感じます。 実際に現在の町名や交差点名は「ながつかまち」なのですが電停名はどうだったのでしょうか。 ご存知の方がいらっしゃいましたらぜひコメント欄にてご教示願います。 さて電停は交差点手前のこのあたりと推測しています。飯塚からここまで県道高崎渋川線を北上してきましたが、この先から専用軌道になります。 なお大正6年までは県道上をさらに北上し、伊香保線の下之町電停(のちの渋川四ツ角電停。下之町交差点辺り)につながっていました。 この先、上に示した地図上では渋川署の「渋」のあたりで左手に軌道が分かれ、川を渡ったところ(現在の白銀屋あたり)に工場がありました。 この広い道路は当時はありませんで、手前から左手方向に引込線が、背後の消防署の敷地に変電所がありました。 ここ渋川新町は伊香保線や前橋線の乗換え駅。このあたりに高崎線の乗り場がありました。 この先で伊香保線と線路がつながっていたようです。 当時の雰囲気を残したところもありますがそこは車社会群馬。各所で道路の拡幅や新設が行われ当時の面影はほとんどありませんでした。 ずいぶんかかりましたが今回で高崎線は終了、次回から前橋線に入ります。前橋駅前→渋川駅前とたどりますがこちらも道路拡幅に悩まされました。 (訪問日:2010.7.9) |
廃線跡
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少々わかりにくいですが、地図上の渋川伊香保ICあたりの緑線は前橋線です。 ここは野田神社、華蔵寺、野田薬師、正福寺と、神社仏閣が集中する地区です。 バス停は小倉四ツ角となっていますが、電停は単に「小倉」としていたようです。 この辺りのバス停には「〜四ツ角」というバス停がしばしばあります。これ自体他の地域ではあまり見かけないような気がしますが、バス停の表示は「〜四ツ角」でも地図上や時刻表上は「〜十字路」になっており、どちらが本当か気になるところです。 確かに四つ角も十字路も意味は同じですが・・・。 ここから東へ1kmほどのところに上越線の八木原駅があります。 手前から二つ目の◇のところに小さな橋があり、それを渡ったあたりに交換設備を持つ電停がありました。 画面奥、緩い左カーブを曲がったところに有馬の交差点があり、その先から道幅が急に広くなります。 なお、小倉を過ぎたあたりから渋川市に入っています。 このあたりはスーパーや書店など郊外型の店舗が多く、道幅もやや広くなっています。 ここは総合グランド前バス停。この手前はさらにもう少し広かったです。 道幅は元に戻りましたが比較的大きな店舗があちこちにあり、拓けた印象があります。 渋川の市街地ももうすぐです。 (訪問日:2010.7.9) |
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当時の雰囲気を比較的よく残している(と思われる)道が続きます。 吉岡町に入って最初の電停です。 現在は痕跡はありませんがここにも交換設備がありました。 このあたりの土地は南下といい、バス停も南下ですが電停は北下を名乗っていたようです。 北下地区はもう少し北にあります。 吉岡町役場の目の前です。このあたりは古くからの豪邸と最近の住宅が混在する地域でもあります。 ここには交換設備がありました。 次回は、渋川市へ入ります。東武高崎線はあと2回です。 (訪問日:2010.7.9) |
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ここはバス停でもないのに道幅が広く、電停跡?と思いたいところです。 地図上でもここか、もう少し奥にあったことになっています。 バス停メインで撮ってしまいましたが、ちょうど画面の右端あたりから背後の交差点の辺りが金古電停でした。 ここには交換設備のほか留置線が一線あり、電車が留置されていたほか金古〜高崎で区間運転も行っていました。 ここから前橋市に入ります。前橋市は端をかすめるだけで、すぐに吉岡町に入ります。 妙な名前の電停ですが、この辺りが昔野良犬村であっていたことに由来します。 野良犬村の名前は、如来野が転じて野良犬になったという説、このあたりはかつて狼が多かったからという説などがあるそうです。 なお馬車鉄道開通直前に周辺町村と合併し清里村となり、野良犬村は消滅しています。 ここには交換設備がありました。 この先から吉岡町に入ります。 (訪問日:2010.7.3) |
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交換設備があった中泉電停。大幅に拡幅されており当時の面影はありません。 道幅が少し狭まり、バス停の部分だけ若干広くなっています。ここが電停跡・・・と思いたいところですが、おそらく後年の拡張でしょう。 ここには交換設備があったほか、変電所もあったそうです。 先ほどより道幅はさらに狭まりますが、やはりバス停部分だけ道幅が広く、気になるところです。 観音寺の裏手、というか横にあった電停です。少し南、参道が分かれるあたりに「観音寺前」という電停があった時期もあるようです。 ここにも交換設備がありました。おおよそ一つおきに交換設備が整備されていたようです。 足門付近で見かけた国鉄ワラ1の倉庫。一瞬、伊香保軌道線の車両発見!と小躍りしたのはナイショです(^^; (訪問日:2010.7.3) |



