「村にアイヌの人たちの集落があり、よく遊びに行ってました。飼い犬が死んだ時、アイヌの古老が歌う歌を聞いて、震えるほど感動しました。聞けば題名もないし、二度は歌えない。つまり即興のバラードだったんですね。その時、素人の僕が作曲することは、ちっとも恥ずかしくないことだと思いました」(伊福部昭) 清瀬保二がでてくれば、つぎは伊福部昭(1914-2006)の登場となる。≪北海道釧路町(現釧路市)・・・にうまれる。伊福部家は因幡の古代豪族を先祖とする。昭の代で67代目。本籍は鳥取県岩美郡国府町。・・・北海道帝国大学(現北海道大学)農学部林学実科卒業。早坂文雄らと独学で作曲法を習得し、伝統的な日本の音楽に根ざした作品造りに取り組んだ。大学を卒業した1935年に「日本狂詩曲」がアレクサンドル・チェレプニン賞第1位に入賞し、世界的評価を得る。1938年に「ピアノ組曲」がヴェネチア国際現代音楽祭入選。1935年厚岸森林事務所に林務官として勤務。1946年から1953年まで東京音楽学校(現東京藝術大学)作曲科講師。1974年東京音楽大学教授就任、1976年同大学長、1987年同大民族音楽研究所所長を経て、同大名誉教授。教育者として芥川也寸志、黛敏郎、矢代秋雄、三木稔、石井真木、松村禎三、和田薫など多くの作曲家を育てた。≫(WIKIPEDIA)。 武満徹と清瀬保二、黛敏郎と伊福部昭の師弟関係からの短絡も多少あるかもしれないけれど。武満は早々と師の清瀬保二らの民族主義的情緒・抒情からはなれ、むしろ早坂文雄の浪漫主義にねざした<われわれの古き文化を常にわれわれの新しい文化へと変容せしめてゆく>洗練にこそ道が開けていると了解したことであっただろう。同時代西欧の新思潮への受容はそうしたことの実践にとっては必然であり、欠くべからざることであっただろう。アトーナルへの全面的展開には踏み込まず、また旋律への確信もゆらぐことはなかった。70年代に入り、自らの音楽への確信は次のようにことばとなって表されこととなる。 ≪調性(トナリティー)をおそれ、それを拒むことによって、いかに多くの音楽が、今日、不毛であることか。また、旋律への意志を放棄し、曖昧な響きに依存する、明確な言語としての音を喪った音楽が、いかに現実性(リアリティ)をかちえないものであるか。作曲家は反省しなければならない。変革は、個人の内部を見きわめることからはじまる。それは、過去を、未来に向かって役立つ過去を、科学的に択びとることである。無気力な先祖がえりではない。明確な意識と、強靭な意志とによって、それはなされなければならない。≫ もちろん実験的試みに先端切った戦後アヴァンギャルドの寵児として耳目集めた黛敏郎も異議はなかろう。のちの優れた作品の道行きがそれらを証左しているだろう。やはり感性の磁場は<生>の現実性(リアリティ)にあった。 伊福部昭に師事した一人、松村禎三は≪コンクールにとおった(1955年度毎日コンクール管弦楽部門一位)直後、伊福部さんに師事しだした。そして「春の祭典」にぶつかって惹かれたし、アジアというものを考えだしたりもした。それに十二音楽っていうものを聴いて、こんなふうにエネルギーのないひきつったものならば、僕にとって音楽は無縁なものでいいとさえおもったね。僕はもっと自分にとって本当に命のかよった生命力のあるものを創りたい、そういうふうに思ったんだよ。≫(秋山邦晴「日本の作曲家たち」より)。 師事した芥川也寸志、黛敏郎、松村禎三らは総じてこうした志向性をもち、その表現としてオスティナートの高揚感・生命力を作品に聴くことができる。もちろん師、伊福部昭よりも西欧新音楽潮流の波をくぐった教え子たちのそれらはより洗練された形で受け継がれ発展させられているのは言うまでもない。人は時代の制約を超えることはできない。 それにしてもなんと明確な輪郭のはっきりした日本的抒情の情緒纏綿たる音たちだろう。戦前世代には稀なほどの豊麗なオーケストレーション(昭和の初めにはまだ音楽学校には作曲科というものさえなかった。東京音楽学校<現・芸大音楽部=明治12年創立>にはじめて作曲部が設置されたのは、なんと昭和7年のことであった。―秋山邦晴)とオスティナートの多用を特徴とするエネルギッシュな展開に生のリアリティをめざす力強さは伊福部昭の特徴とする最たるものだろう。 もっとも、私には単線的な直情イメージがぬぐえないものの、歴史的に未整備の時代制約のもと,創造にいそしんだ戦前世代の、きわだって優れた民俗派作曲家伊福部昭の<信>をそこに聴くことだろう。「バイオリン協奏曲第二番」(1978)の、雄渾であり、また繊細なオーケストレーションに交感する哀愁に満ちたヴァイオリンソロに心うたれることだろう。戦前戦後の際立つ(音楽)断絶を思い、先人の偉業としてぜひとも聴いてみるべき伊福部昭の「タプカーラ交響曲」(1955)と「バイオリン協奏曲第二番」の2曲である。 |
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