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オリヴィエ・メシアン 以上の3曲が入った音盤を聴く。メシアンの『管弦楽のためのクロノクロミー』は、1953年来より音楽語法探求のための鳥の鳴き声の採譜に没入し、多くの作品をものしたリズム探求の時期の作品であり、そのオーケストラ版である。 そう、≪音響的ないし旋律的素材としては、フランスとスウェーデンと日本とメキシコの鳥の歌声が用いられた。・・・・さらに、フランス・アルプスで採集した山中の急流の騒音も素材に加えられた。≫(オリヴィエ・メシアン)とあるように、鳥が随所で鳴いている。 一見聞いたことのないような奇異な感じで児戯とさえも印象するが、しかし展開を見せるにつれ作品は豊麗で微細多彩な色彩感にあふれる音楽となっていくのだ。終結部の弦楽合奏部分など流麗とさえいえる美しさは、まさにメシアンのスタイル確立といえるようだ。 ≪ひじょうに複雑な音と音色の混合は持続に奉仕するのであり、それらを色づけしながら強調しなければならぬ。色彩は時間の分断をはっきりさせるのに役立てられる。題名もそこに由来している。すなわち<クロノクロミー>(ギリシャ語のクロノス=時間、クローマ=色)を訳すなら【時間の色彩】である≫(メシアン・スコアー付記自作コメント)。なるほど納得である。 最後に、先日のメシアン『8つの前奏曲集』のブログ記事稿で利用させてもらったネットページでは≪1960年の「クロノクロミー」では実に18人のソリストが18種の鳥たちの歌声を別々のテンポで同時に演奏するという巨大なポリフォニーが聴かれる。≫とあったことを記しておこう。 ところでメシアンのこうした鳥だけではなく、自然からリズム、音楽語法の探求を飽くことなくしつづけていたことに対してブーレーズは次のように言っている。以下は拙ブログからの引用である。 【彼(オリヴィエ・メシアン)の音楽の「例外的な強靱さはリズム、つまり時間概念にあった」。こんにちの音楽における「リズム概念の革新の重要さを私たちに理解させたのがメシアンであり、その根源に《春の祭典》があった」とブーレーズが言う。・・・・・「彼は鳥の鳴き声、岩山、風景、色彩、山々といった自然からインスピレーションを受けたのではない」とブーレーズは続ける、「そうではなく、彼はそれらが語るものをそのまま音楽に移し換えたのだった(…)メシアンにとって音楽とは、そうした宇宙的な現象の一環であり(…)、作曲とは、そもそも<コンポジット>(組み合わせ)という言葉を内包する作業だった。メシアンは自身の複雑な音楽思想の彼方に子供のような新鮮さとあらゆることに感動できる感性を持ち続けることに成功した。」≫(「音楽の友」1992)これらのことばは、オリヴィエ・メシアンにたいする、優れた思想的批評家でもあるブーレーズの見方である。このことばを目にし、ふとジョン・ケージの≪子供の時に子供でいるより、大人になって子供になるほうがいい。≫ということばを思い出した。そこでこそ露わになり、より見えてくるものがあるということだ。】 さて、1867年生まれのシャルル・ケクラン『交響詩「レ・バンダール=ログ」』(1940)。わざわざ生年を出したのも、やはり理由はお分かりだろう。あらゆる当時の技法、たとえば無調・音列書法などの習熟、熟知はあるものの、やはり古典的な表題音楽の残滓が耳に残り、いい悪い以前の好みに帰せられて受け取る以外出来なかったことを云っておこう。さて残るブーレーズの作品『水の太陽』(1948)である。これは、ファースト・ヴァージョンが1948、セカンドが1950、1958、そして1965年とかくヴァージョンがあるそうである。どのような変遷があるのか興味あるところだけれど、それらはま ピエール・ブーレーズ 「私は現代音楽の未来に、なんら不安を持ったことはない」Pierre Boulez(1925〜)
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"私は現代音楽の未来に、なんら不安を持ったことはない"最近の現代音楽を聴くと私には?なんですが。緑の森さんはどう思いますか?
2007/1/13(土) 午前 7:41 [ ova*6*20 ]
音楽も解体的ボーダレスの時代だとは思います。長いスパンで云えば、これらは構造(秩序)生成への避けがたい道なのかもしれない。ノイズ(カオス)が音楽だ!と受容される感性世界に入ってきているのでしょうか。たぶん次元が一つ上がったと受け取るべきなのかも。
2007/1/13(土) 午前 11:24