|
ルチアーノ・ベリオLuciano Berio 今日取り上げる『ラボリントス2』(1965)は、その言葉と音楽がしなやかな詩情で歌い上げられている≪オペラではない、音楽の舞台化≫の試みに印象の斬新を感じ取ることだろう。 ≪言葉というものは、意思の伝達という使命の他に、発音された音としての要素を持っている。しかもこの第2の要素は、第1の要素と同様、音楽にとっては重要な現象だ≫と語るベリオでは、言葉自体がはや音楽である。 ≪1965年ダンテ生誕記念として、フランス国立放送局(O.R.T.F)の委嘱で作曲された≫とあるように、≪人生の道もなかばまできた35才のダンテが、人間理性の象徴であるヴェルギリウスと神学の象徴であるベアトリーチェの手引きで、地獄、煉獄、天国を巡礼するというもので、最後に至高の天で三位一体の神秘を見る≫というダンテの「神曲」を暗示するさまざまな詩人の詩句の断片でストーリーが作られているということである。≪ダンテの「神曲」と「新生」、現代アメリカの詩人E.L.パウンドと現代イギリスの詩人T.S.エリオットの詩集、さらに「聖書」を参照にし、それらにもとづいて≫E.サンギネッティーが台本にまとめて≪オペラではない、音楽の舞台化≫を試みたそうだ。 この作品の編成は≪語り手・女声(メッゾ・ソプラノ)のソロ・2人の子供の声(あるいはソプラノ)・8人のパントマイムのダンサー(合唱)・14の楽器奏者<フルート1・クラリネット3・トロンボーン3、ハープ2・打楽器奏者2・チェロ2・コントラバス1>となっている。≫ 電子音のループ再生を織り交ぜての、言葉と響きの波状的な広がりに、これぞベリオといったリリシズムが、曲名とおり<ラビリンス=迷宮>から造語された<ラボリントス>として、マニエリスティックに展開されてゆく。 もちろん、ここでもケージの音楽革命はその影響を見せている。二つのスコアーの一方には≪演奏は指揮者の指示に従わなければならない≫、そしてもう一方のスコアーには≪演奏は指揮者に直接コントロールされてはいけないと指定されている≫(以上レコード解説より引用)とある。この不確定と確定との並列パフォ−マンスの違いがいかほどかは判断しがたいところであり、またもともとの資質ゆえのしなやかさ、繊細さが、生き生きとした音の表情を担保しているのかどうかは、しょうじき分からない。 しかし曲名に<ラボリントス>とあるように、さまざまな音楽要素が次々とコラージュ的に表れては消えゆく響きの彩色凛動のほどは、やはり快感ですらある。まさにコレクティブ・フリージャズが表れてくるほどの多形式ぶり、その楽の音の<ラビリンス=迷宮>ぶりは、この時期のベリオをベリオたらしめていたといえるのだろう。この『ラボリントス2』のテキストは次の詩句よりはじめられる。 「この部分において
私の記憶のこの部分において この本のこの部分において 私の記憶を記した本のこの部分において 新しい生命は始まる。」 |
ルチアーノ・ベリオ
[ リスト ]



