|
フランスの文化人類学者のクロード・ギュスタヴ・レヴィ=ストロースClaude Gustave Lévi-Strauss(1908 - )は現代にあって神話的役割を担っているとして音楽をあげているそうである。 まさに、先のヘッセのことば「人間は芸術の助けをかりて神性なものに通じる扉を開けておくであろう。」とは、そのことをも含意しているのだろう。その意味であらゆる芸術形式はなくなりはしないということなのだろう。理性ではなく、芸術が神性を淵源としていることは先験的のように思える。 ≪人間を教会へ向かわせる衝動と劇場へ向かわせる衝動とは、出発点においては同一のものなのである。≫(ジェーン・エレン・ハリソン(Jane Ellen Harrison(1850– 1928))「古代芸術と祭式」) と、こけおどしに偉人のことばを引っ張り出してくることもないのだろうけれど。純粋に感動として受けとるだけでいいわけで。しかし音楽や絵画を、いやことばの芸術、詩などを鑑賞し感動を覚えると、やはり先のような美の神(秘)性、感動の超越性を考えることだろう。 今日取り上げるル チャーノ・ベリオ(Luciano Berio, 1925 - 2003)の『エピフェアニー、フォークソング』には、そうしたことを感じさせたのだった。 B面の「フォークソングfolk song」の方は、文字通り≪アメリカ、アルメニア、フランス、イタリア、ロシアといった世界各国の民謡が11曲収められている≫、もちろん作曲家ルチャーノ・ベリオによる編曲の妙こそが味わうべきところであり、その感性の叙情性がこうした試みへと向かわせたのだろう。ベリオが思う民謡、イメージする民謡像といったところだろうか。 A面の「エピフェアニーepifanie」辞書に≪3 ((e-))《文》エピファニー:物・事・人物の本質が露呈する瞬間;それを描いた文学作品(の一部).≫の語義がある如く、神性の「出現」「顕現」ともいえるだろうか。 ケージ・ショックに対するエスタブリッシュメントからの応え、いわゆる「管理された偶然性」を使っての作品で、≪ソプラノとオーケストラのための「エピフェアニー」は、7つの短いオーケストラの曲と5つの声楽曲から成立しているが、この2つの系列の12個の断片は、指揮者の選択によって自由に組み合わされている。したがって、オーケストラ曲と声楽曲が、ある時は相互に複雑に交錯し、またある時はそれぞれの系列で相互に無関係に演奏されることになるのである。≫(解説・船山隆) とあるように、≪瞬間的なことば(現代文学作品から採られたテキスト)と音楽の輝きをつくりだす≫という偶然の出会の美、その「出現」「顕現」という意味でのエピフェアニーであり、神性の音連れということも出来るのだろう。芸術は超越だ、ということであり、なにもそんな難しいことをいわずとも【「ハレ」と「ヶ」】で、労働のともなう日常生活の「ヶ」対しての「ハレ」としての快楽・エロスの歌、慰撫、音楽と括ってもいいのかもしれないが。 I Wonder as I Wander - Maureen Hegarty I wonder as I wander out under the sky How Jesus the Savior did come for to die For poor on'ry people like you and like I I wonder as I wander out under the sky With wise men and farmers and shepherds and all But high from God's heaven, a star's light did fall And the promise of ages it then did recall If Jesus had wanted for any wee thing A star in the sky or a bird on the wing Or all of God's angels in heav'n for to sing He surely could have it, 'cause He was the King I wonder as I wander out under the sky
How Jesus the Savior did come for to die For poor on'ry people like you and like I I wonder as I wander out under the sky |
ルチアーノ・ベリオ
[ リスト ]




エピフェアニーは知りませんが、フォークソングは大好きな曲です。
あの伴奏にはしびれます!
エピフェアニーは魅力ですね。聴きたくなりました。
2007/12/2(日) 午後 9:55 [ salonen2010 ]
<魂>と言うのでしょうか、歌いつがれてきた民謡はいいものですね。ベリオのことばへのこだわりは<美>を生み出す源のように思えます。それに対して、ケージのことばへのかかわり方は対照的なようです。ことばを意味(場)から引き剥がしてモノとして扱う。延々数時間、ことばの断片を淡々と繰り返し、会場内、失笑罵倒ヤジ騒然の中、臆することなくパフォーマンスし終えたたそうです。最後は、その壮挙?に対してやんや(あきれて?)の拍手だったそうです。
2007/12/3(月) 午後 7:07