これからのアジア、いや世界は、中国、インドが、その人口の数とその欲望の増大、つまりは経済の膨張が結果する予測不能の事態を招来する台風の目となるだろうとの観測はほぼ間違いないことのように思える。したがって、日本の政治経済的な地位の低下は、ほぼ間違いなく遠くない将来にやって来るだろう。ようするに属国化と謂うことだ。歴史的にさかのぼるいつぞやの中国を軸とした 冊封(さくほう)秩序形成への道行きとなることだろう。のっけからどうしてこう謂う話しになったのか。というのも、今日取り上げる テリー・ライリーの2枚組みの瞑想音楽、たぶんにインド音楽のメンタリティをバックにミニマル展開を成し遂げたとおもわれる彼の音楽を聴きながらのつぶやきだったのだ。このレコードに収められているパフォーマンスは、71年のロサンジェルス、および72年パリでの テリー・ライリー一人で長時間演奏した、各々約40数分に亘るそのカット盤と謂うことだ。エレクトリック・オルガンとフィードバック装置によるエンドレス、永久運動のごとき、瞑想にたゆたう単独自演の音楽。ところで、インドは日本から果てしなく遠いのだろうか。こうした音楽を聴くにつけそう思う。私が知らないだけかもしれないけれど、小杉武久以外、徹底性を貫きこうした無窮活動を展開しているセイントsaintを漂わす芸術家の存在を知らない。チマチマと世界の民族音楽様式のマネゴト吸収で音楽をライトに作ってはいても、ゆるぎない一つの形式まで練り上げ、実践しているのを知らない。禅、易経を音楽に取り込んで衝撃を世界にもたらしたのはアメリカ人のジョン・ケージだった。彼がそれに至りつく転機となったのは インド思想だったそうだ。またミニマルコンセプトを音楽でトコトン突きつめ画期をもたらしたのもアメリカ人で、その各々の思想的背景は インド思想だったようだ。中国、インド、とりわけインド。インドは日本からははるかに遠いようだ。いやインド、中国はあまりに歴史がありすぎ深すぎて近寄りがたいのだろうか。日本人にはエキゾチズムで片付けられない微妙な位置関係にあるからなのだろうか。表層的な響きは巷に在るにはあるのだけれど・・・。
Terry Riley – Persian Surgery Dervishes
(Two versions: Los Angeles 1971 & Paris 1972)
Newtone Records nt 6715.
Terry Riley [electric organ & feedback]
Durations: LA version: 43:13, Paris version: 47:15
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