以前、何の記事か忘れたけれど、寝て唄う歌ってあるのか?というのがあったように記憶する。もちろんコンサートでのそれのことなのだけれど。日常生活上では子どもを寝かしつける子守唄は寝ながら唄う歌で、べつに珍しくもない。よくあることだ。だが、コンサートで胡坐かいて唄うパフォーマンスはあっても、寝ながら唄うパフォーマンスってあるのかしら。そうしたことを思う、きょうのシュトックハウゼンの『 シュティムング(調律) 6ボーカリストのための』(1968)だった。レコードの中入れ冊子には6人のボーカリストが車座になってパフォーマンスしている写真画像がある。たぶんこの坐ってのパフォーマンスがこの合唱曲『シュティムングStimmung』にはふさわしい姿形なのだろう。≪ 「シュティムング」は六つの音からなる単一の和音のみを基本構造として全曲が構成される6人の歌手の為の音楽で、母音の様々なタイプの移ろいによる音色変化を聴く音楽である≫(WIKI)ということなのだそうだ。クダクダしく言うまでもなく、詳しくは 作品について(1969・作曲家自身が記したプログラムノート)、を読んでいただけば済むことなのだけれど・・・。ようするに人が発する声の< 倍音>への徹底した着目探求により成った合唱音楽ということなのだろう。≪そこには言葉の普通の意味でのメロディーは存在せず、むしろ六つの基音の倍音スペクトルの範囲内での倍音メロディーが存在します。・・・ドイツ語の『シュティムング』には、雰囲気、オーラ、心の状態や気分という意味があります・・・『シュティムング』は本当に瞑想的な音楽です。時間は停止します。音響の内部、和声的スペクトルの内部、母音の内部、「内なるもの」に耳を傾けます。最も微妙な波動 --- まれな爆発 ---、あらゆる感覚が敏感で穏やかです。官能的な美のなかで永遠の美が輝きます。≫(作曲家自身が記したプログラムノートより)。如何にもシュトックハウゼン!といった言葉だ。≪永遠の美≫を招きよせる倍音唱法を車座になって行っているさまを想像していて、ふと、先の釈迦入滅の横臥の 涅槃像が≪寝ながら唄うパフォーマンスってあるのか≫?との言葉と連想で口をついてでてきたのだった。≪釈迦の像には・・・大別して立像・坐像・涅槃像の3種類があり、一説に立像は「出山(しゅっさん)の釈迦」に代表されるように、いまだ修行中で悟りを開く前の姿、坐像は修行して悟りを開かんとしている時(あるいは開いた直後)の姿、そして涅槃像はすべての教えを説き終えて入滅せんとする姿を顕すとされる。≫(WIKI)とある。≪坐像は修行して悟りを開かんとしている時(あるいは開いた直後)の姿≫が、まさしく≪官能的な美のなかで永遠の美≫を求める車座のパフォーマンスに相同とするなら、当然≪心の安らぎ、心の平和によって得られる楽しい境地≫(WIKI)でもある 涅槃は釈迦入滅横臥の姿と相同の、寝て(横臥)の合唱パフォーマンスとはならないか・・・。舞台上で演奏者が横臥して倍音唱法で唄う・・・、さて観衆も 宇宙の波動、ウェーブに身をまかせ横臥して聴くべきなのだろうか・・・。
Karlheinz stockhausen『Stimmung fur 6 vokalisten』(1968)
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「Stimmung」
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「fortsetzung」
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シュティムングって音は高尚なイメージですが
歌詞はお馬鹿(というかエロ)なんですよね。。。
http://www001.upp.so-net.ne.jp/kst-info/linerNotes/CD12/Stimmung.html
この解説の最後に一部の歌詞が邦訳されていますが
「俺の手は二つの鐘突き ブリンブルン
おまえの乳房の上でブリンブルンブヨンボロンボヨヨン」
…ギリシア神話のように神々の戯れと受け取れば良いのでしょうか?
2009/5/14(木) 午前 2:17 [ que**dax ]
歌詞内容のことはあまり考え及びませんでした。ご指摘のようにあまり詩的とは言いがたいですね。どう了解すればいいのでしょうね。文学的感性の深浅なのでしょうか・・・わかりませんね。
2009/5/14(木) 午後 10:34