「多くの人たちは、芸術とは理解すべきものだと思っている。でも、それは違う。むしろ芸術とは経験すること」 「ぼくはただ耳を開いて、心は空っぽに、ただしいつでも反応できるようにしておく。ただそれだけだ。するといろんな音が聞こえてくる。純粋な響きも、そうでない響きも――この二つのあいだには区別があるようだけれど、ぼくにとってはとりたてて言うほどの違いはなにもない。どんな音でもあるがままにとらえようと、ぼくは努めている。」
「内面を完全に空っぽにするんだ。やってごらん。音楽の流れに、ただ身を任せればいい」 (上記ジョン・ケージ) 『新しい音を恐れるな―― 現代音楽、複数の肖像』(春秋社)。まあなんとも仰々しく強迫的なタイトルだこと。ネット図書館で検索キーワードに<現代音楽>を打ち込んだら出くわしたのだった。この著者のインゴ・メッツマッハー(Ingo Metzmacher, 1957 - )は先鋭な音楽団体を率い現代音楽演奏のスペシャリストとして著名な指揮者で、その音楽活動で現代音楽の普及に努め、貢献大の音楽家としても知られている。ま、その畑では・・・と注釈を必要とする、我が一般的認知程度なのかも知れないが。このような本を読んだからといって、とかくの偏頗な?<現代音楽>がオモシロくなるわけではないだろうけれど、現代音楽数寄の拙音楽ブログ管理者からすれば、軽く読み流し程度でも目を通して<現代音楽>認知の一助としていただきたい書物と言っておきたい。登場するのは現代音楽でも音楽史的に評価され、いまやエスタブリッシュメントと言えなくはない現代音楽の作曲家たちとその代表的な作品ばかりだから。 まさに、『新しい音を恐れるな』!。いや、未だにこう言いつづけなければならないのも難儀なことと思うのだけれど。 「塊をなしてもよいし、ばらばらに流れていってもよい。じっと動かずにいてもよいし、生気に満ちて荒れ狂うのもよい。いかなる形であれ、音楽は人間が認識しうる最高の高みにある。そして音楽がもたらす感覚は、「概念」とはまったく無関係に、人の胸に直接とどくのだ。」(フェルッチョ・ブゾーニ Ferruccio Busoni, 1866 - 1924) 「われわれは異常な時代に生きている。空を飛んでいる音楽をラジオで受信する。バッハやワーグナーの時代には、誰も夢想だにしなかったことだろう。現代的であるということは、言うまでもなく、自らの生きている時代の精神を解釈するということだ。私はわざわざ異常なものを追い求めているのではないと、自信をもって断言できる。私にとって自分の作品は、自らの時代を生き、そこで創作する、ひとりの音楽家としての発言にほかならない。」(エドガー・ヴァレーズ) Luigi Nono (1924-1990) - Il Canto Sospeso (1956, brani orchestrali)
|
全体表示
[ リスト ]





メッツマッハーは大晦日に「WHO IS AFRAID OF 20TH CENTURY MUSIC?」という演奏会をやっておりました。この演奏会は大成功だったようでライブCDが数枚あります。本の題名もこの演奏会の延長上で、「OOを恐れるな」はメッツマッハーの決まり文句なんです。
2010/9/20(月) 午前 6:05 [ salonen2010 ]
「新しい音を恐れるな」と啓蒙しなければならない現代音楽。いや、どの芸術分野にもついてまわる問題なのでしょうね。
芸術が感性による世界認識活動であるのなら<あたらしさ>はつねに少数派たらざるをえないのでしょう。
「現代的であるということは、言うまでもなく、自らの生きている時代の精神を解釈するということだ。」(エドガー・ヴァレーズ)
ことばでは了解なのでしょうが・・・。
2010/9/20(月) 午後 6:58