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http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/63810348.html わが家に子犬がやってきた。もう犬を飼うのはやめようと思っていたのに・・・。 と綴ったのは7ヶ月ほど前だった。その子犬もはや子を生す体の娘となり、飼い主の甘い性格を見抜いてか、分をわきまえず、境なしのしたい放題ふるまってコマッタの数々をひき起こし、騒々しくも愉しき若きドッグイヤーの日々をいま送っている。 歌の文句ではないけれど、「逢うは別れのはじまり・・・。」生あるものいつか離別の悲しみを伴うのを分かっていながら、こりずにまたペットを飼う。 生を得るは必ず死を必定とする。生きとし生けるものみな生老病死に悲嘆する。ただ疑念なく従い、一途に愛し寄り添って共に生きてきたペットの老いと死を目前にするとき、人はその別れから人の業苦の多くを教えられる。 今流行りの?人間どものばかげた終活などとはまさに無縁な、介護を要する衰えた体をさらしつつも、しかし毅然とした死の受容、飼い主との自然なお別れには、胸塞がれ瞑目させるものがある。 目に涙を潤ませ苦悶する姿にあっても、ことばで訴えるすべをもたない動物のかなしさ。 オシッコ、ウンチの垂れ流し。ウンチにまみれ横たわるわが老犬。褥瘡の痛みに哭き、飼い主の介護に身を預けまかせ、生きる意志をまっとうせんとする老犬。 部屋の中のケージに囲まれたシーツの上ばかりではと、元気なとき駆け回っていた庭の匂いにいくぶんの生気をと縁側に腰掛け、赤ん坊をあやすごとく膝の上にのせて、自らの頭も起こせず半身不随でほとんど寝たきりの我が柴犬と日向ぼっこをした。 気持ちいいのか、その膝の上でよくウンチをした。 1年以上の要介護の闘病のすえ15才8ヶ月でお別れした。あれからはや3年近くたつ。 そうしたことどもがこの伊藤比呂美の『犬心』を読んでせつなく胸をよぎったのだった。 タケ(著者のジャーマンシェパード)は十分生きた。病気になるなら、なる。死ぬなら、死ぬ。 ペットとの胸ふさぐ別れを経験したことのある人には、それも老犬介護を経ての終末を迎えた飼い主にとっては、遠いまなざしをもってその日々を想いつつの読書となることでしょう。 今は亡き、病に伏せるわが柴犬・メイ
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