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[ kus***** ]
2018/9/16(日) 午後 1:35
過剰な虐待でもしつけで片付けられるほどの時代なんだなぁと思った。そしてそれが調和とか罪を贖うとかいう宗教の論理で、まるで理不尽が理不尽ではないかのようにされている。
寒い中トイレに閉じ込められたからといって、それは子供にとっては意味がわからないし、トラウマだけしか残らない。その子が大人になってから、なぜか、それを大人の自分がやった罪のように彼女自身が見なして、いらぬ反省を宗教を用いてするだろう。
ここには書いてないけど、羊飼いのものになって家畜以下の生活を強いられた少年が、成長して、追い剥ぎ殺人で死刑になる話にも触れたい。最期には牢屋でキリスト教の教育を受けて、「昔は豚の餌を喜んでいたけど神様のお恵みのおかげで神様のお胸に死ねることができます」お言うようなことをいってて、そうじゃないだろと私は思った。満足に食べられないこどもだったら豚の餌でも食べたいと思うだろうし、それが子供の罪というほどのものか。その当時は自分のしていることの善悪があまりわからなかっただろうに、あとで反省して、その時の虐待すらまるで必要だと言わんばかりだ。
松竹120周年映画音楽
その他音楽
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[ tos*i*ohd*x ]
2017/8/24(木) 午後 7:45
[ mat*da4* ]
2017/2/9(木) 午前 7:59
カリスマ⚪⚪の居ない・・と言う表現は、完全に過去の話です。
時代も過ぎ淘汰され何が残っているのか、正しく整理して欲しい。音の表現かたちはそのまま残ったりするから不思議です。何が本当のことか、このLPは海賊版の方が多く出回っていて、海外のファンの間で昔から伝説的な一枚。(良いか悪いかでは無い) 20年過ぎて小杉抜きでの1997年マージナル•コンソートに、それは確かに引き継がれている。そこまでの20年、日本発の集団即興の試みに新たな展開はあっただろうか。小杉武久は何をした人なのか、新たな展開は78年の春の時点で、お告げの通り過去は完結し始めていたのか、ってか。・・さらにまたも20年が過ぎて、マージナルが演奏する場が多くなって来ている。EBSの時代の微妙な時代背景と新しさが生み出された出会いから、音は奇跡的に今も変わらず生きていて、魂が飛び出したそのままの自由な音素を聴いたり見たりするのは、言葉と感性の、受け止め方の違いだろうか。これがこの時代のチグハグさを表した表現か、時代がやっとそこに追いついたのか、やっと戻れたのか。最終楽章はスタートし始めている。




