イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

変わったジャンルの音楽のメッセージで脳をマッサージ。

アンビエント

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Tramp & Tom Waits / Jesus' Blood Never Failed Me Yet

           

例えば、薄汚れたぼろぎれを身にまとい、足には寸法の合わない綻びて口のあいたぼろ靴を履き、ヤニついて黄ばみ、薄汚れた歯がところどころ欠けて抜け落ち、垢だらけの顔に長髪ヒゲ面のひとりの浮浪者が同じフレーズを延々繰り返し歌っているとせよ。しかもそれが救いを求め祈る歌のフレーズである。そう、頭には帽子でなくイバラを冠していたらいっそう、それはキリストであるやもしれぬ。そうした形相の現世の垢にまみれた浮浪乞食には異和への恐れ、憐憫とともに一種聖性を感じなくはない。どうしてだろう?神は畸形で異形の姿をとりこの世に人びとを試しにやってくる。施しを求めあなたを試す。そして問いを投げかける。最も現世的に劣るものとして、悲惨として、弱きものとして人びとを試しに冥き不明のあちらから問いをもってやってくる。あなたの人間性を試し、指弾するかのように面前にやってくる。そして、あなたのいま在る平安を問い質すのだ。私はあなたでもあり、あなたの哀しみでもあるのだと。聖性をその乞食の浮浪の身に纏い、己の存在を哀しむでもなく、淡々と同じフレーズを、それが救いであり、祈りであるかのように歌いつぶやく。そのさまは人を粛然とさせる。信仰とは斯くあるや?こうしたことありての平安とは、予定調和とは何か?


≪・・・で、その五つになる女の子を、教養ある両親は、ありとあらゆる拷問にかけるんだ。自分でもなんのためやらわからないで、ただ無性にぶつ、たたく、ける、しまいには、いたいけな子供のからだが一面紫ばれに成ってしまった。が、とうとうそれにも飽きて、巧妙な技巧を弄するようになった。ほかでもない、凍てつくような極寒の時節に、その子を一晩じゅう便所の中へ閉じこめるのだ。それもただその子が夜中にうんこを知らせなかったから、というだけなんだ。(いったい天使のようにすやすやと寝入っている五つやそこいらの子供が、そんなことを知らせるような知恵があると思っているのかしら)。そうして、もらしたうんこをその子の顔に塗りつけたり、むりやり食べさしたりするのだ。しかも、これが現在の母親の仕事なんだからね!この母親は、よる夜なかきたないところへ閉じ込められた哀れな子供のうめき声を聞きながら、平気で寝ていられるというじゃないか!お前にはわかるかい、まだ自分の身に生じていることを完全に理解することのできないちっちゃな子供が、暗い寒い便所の中でいたいけなこぶしを固めながら、痙攣に引きむしられたような胸をたたいたり、悪げのない素直な涙を流しながら、『神ちゃま』に助けを祈ったりするんだよ、――え、アリョーシャ、おまえはこの不合理な話が、説明できるかい、おまえはぼくの親友だ、神につかえる修行僧だ、いったいなんの必要があってこんな不合理がつくり出されたのか?一つ説明してくれないか!この不合理がなくては、人間は地上に生活してゆかれない、なんとなれば、善悪を認識することができないから、などと人は言うけれども、こんな価を払ってまで、くだらない善悪なんか認識する必要がどこにある?もしそうなら、認識の世界ぜんたいをあげても、この子供が『神ちゃま』に流した涙だけの価もないのだ。≫(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』第五編・Pro et Contraより)


"Jesus' blood never failed me yet, never failed me yet, Jesus' blood never failed me yet, never failed me yet, this one thing I know, for he loves me so. "

「イエスの血は決して私を見捨てたことがない
決して見捨てたことがない
イエスの血は決して私を見捨てたことがない
それは私が知っている一つのこと
彼は私を愛してくださる」

ひとは見捨てはしない、ひとは愛してくださる。と言い換えて何が不都合だろう。

ひとは見捨てはしない、ひとは愛してくださる。私は見捨てはしない。私は愛する。それは私たちの切なる言葉でもあるだろう。

「イエスの血は決して私を見捨てたことがない
決して見捨てたことがない
イエスの血は決して私を見捨てたことがない
それは私が知っている一つのこと
彼は私を愛してくださる」

ギャビン・ブライヤーズ・Gavin bryars(1943−)、
『Jesus' Blood Never Failed Me Yet・イエスの血は決して私を見捨てたことがない』
実際の浮浪者のテープに取られたこの歌声を、延々とループ、反復して流されること約75分。そしてバックに穏やかに、またもの哀しく弦楽の音が緩やかに奏される。人の<生>は斯く在るといわんばかりの、嫌になるほどの繰り返しであり、それゆえに、切なく、そして哀しいほどに美しいのだった。穏やかさが美しい、こんな祈りの音の世界もあるのだ。

≪よく晴れた日だった。三時過ぎになって、太陽が西へ傾きはじめると、その赤い斜めの光線がまっすぐに部屋の壁に当たって、鮮やかな斑点となってその場所を照らし出すのを、おれは知っていた。おれはそれが前の何日かの経験でよくわかっていた。そして一時間後には必ずそのとおりになる。しかもなにより問題なのは、ニニが四というくらい正確に、おれには前もってそれがわかっているということが、腹の中が煮えくり返るくらいおれには癪にさわってならなかった。おれは発作的に大きく寝返りを打った。ところが突然、物音一つ聞こえない静寂を破って『われらが主、イエス・キリスト、なにとぞ我らを憐れみたまえ』という言葉が、はっきりとおれの耳に聞こえたではないか。その言葉はなかばささやくような声で、そのあとに胸いっぱいの深い溜め息がつづいた。そしてあたりは再びひっそりと静まり返った≫(ドストエフスキー『未成年』第三部第一章)


Arvo Pärt – Sanctus


『Jesus' Blood Never Failed Me Yet・イエスの血は決して私を見捨てたことがない』
試聴できます。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000040UT/kairakugensok-22

ギャビン・ブライヤーズ(Gavin bryars)、マイブログ――
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/19608042.html

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  Harold Budd - Gypsy Violin part one http://www.youtube.com/watch?v=Wz0KiPaTsK0

一瞬レコードプレーヤーのサーボモーターが変調をきたしたかと思わせるような音程をはずす違和感覚を持続音の流れの中にたくみに取り入れ不思議なサウンドの世界を創出している。これがためにか、曲の主調トーンにある甘美な感覚への傾斜を巧妙に削いでいる。こうしたアイデアにこの作曲家のオリジナルな個性が発揮されていると見るべきだろうか。音程のゆれが奇妙に魅力的で哀調が弥増す、『LOVERY THUNDER』(1986)とタイトルされたこのアルバムのB面20分に亘る「GYPSY VIOLIN」はシンセサイザーを駆使しての作品と思われるが、哀調帯びて悲しげななかに甘美なまでの、豊麗ともいえる揺らめきながら極めて緩やかに流れるサウンドの世界は、ある種アンビエントな作品として受け取ることが出来るだろう。ハロルド・バッドHAROLD BUDD(1936年〜、アメリカ)『彼は独創的でありながら活発にアンビエントミュージックのスタイルを追究していった。ブライアン・イーノとの合作であるThe Plateaux of MirrorとThe Pearlをリリースしたときから次第に彼の特徴である浮遊した感覚のピアノスタイルを確立していった。』(WIKIPEDIA)残念ながら私はまだこのイーノの環境音楽・アンビエントミュージックの主要傑作作品を聴いたことがないので、この共演者ハロルド・バッドの存在も知らなかった。が、(以下またエラーメッセージ)。

先にこのブログでイギリスのブライアンイーノがオブスキュアーレーベルで出した自らの作品のほか、ミニマル、アンビエントの傾向を示す彼自らのぷろでゅーす作品のいくらかを採り上げた。こうした活動からブライアンイーノの環境音楽の試みは賛仰すべきことと思われる。このようなポップスとクラシックとのジャンルの境目で行われているアンビエント、ミニマルの活動は大きな主流としての潮流・ウネリを持つには至らないまでも注目すべき動きであることは確かなことだと思われる。機会があれば是非上記のイーノとの共演アルバムの作品を聴きたいものである。ハロルド・バッドに関してはWIKIPEDIAのほかに下記のネットページがおおいに参考になりました。
www.netlaputa.ne.jp/~pass-age/HBTop.html

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人のおおくの事どもが堆積し生のふくらみが増す。ゆったりとした時間の流れに人間の一生のさまざまな事どもが昇華し時間のかなたへ愛のまなざしと祈りと共に静かに消え行くような、まるで人間の人生を穏やかに讃歌しているかのようだ。同じことの反復繰り返しを耐えることの人の真実は静穏な精神・心にこそあるのだと言わんばかりの作品だ。退屈というより、ゆったりと反復演奏されるゆえにより一層メロディーの美しが際立ってそして聞き入る。どれほどの深みで人は、さまざまな人生の出来事を救い上げることが出来るのだろうか。穏やかに、激することなく、物語らずに愛すること、受容すること、そうした想念が作品を聴く中で醸成されるかのようだ。ギャビン・ブライヤーズ(Gavin bryars)の作品集「THE SINKING OF THE TITANIC」『タイタニック号の沈没』では、賛美歌「オータム」の美しいメロディーが反復演奏され、「JESUS’BLOOD NEVER FAILD ME YET」でもまた賛美歌『イエスの血は決して私を見捨てたことはない』の歌のフレーズを延々と反復し、背景で美しいメロディがオーケストレイションで緩やかに奏でられ且つじょじょに膨らみと厚みををましてやがて小さく消え入るように終わる。穏やかさが美しい、こんな音の世界もあるのだ。


YOUTUBE:
http://www.youtube.com/watch?v=2sBZpv97aPo

Gavin bryars
http://www.gavinbryars.com/

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             1 - 100 - Michael Nyman 'Decay Music'.mp4
             http://www.youtube.com/watch?v=xfrmWdTwjO4

主張しない音楽。少なくともオーソドキシーな音楽は何らかの表現でありメタファーとして音を位置づけ奏でている、それが作品であることの成立の前提でもあろう。だからこそ、明確なメロディー、リズムなどの欠如は、いやあったとしても明瞭さが欠ける場合には聴くという当たり前の構えを不安定にさせ、人を不満にし、イラつかせる。こんなの音楽じゃないと。しかしそうした約束事の不明瞭な定まらぬ時空にただよう音もまた音であってみれば、強くその存在を主張しないでひそやかにそこはかとなく在ることはバルネラビリティの選択であるかもしれない。当然のようにして価値を主張する正当性に弱々しく抵抗をみせるのだ。枠組みの堅固さの中で音と出会うことに省みることをせず過剰の中で退屈を放散している人々。しばしもう音楽なんぞ聴きたくない、静謐に身をおきたいと誰しも思うことだろう。ありふれた音に疲れるのだ。ポツリポツリと静穏にシンプルに奏でる音に心の会話が内省のうちにすすむ。多言はいらない、思索もいらない、日常の会話が淡々と沁みるように出来ればいいのだ。日々を生きている世人に静かに寄り添う音楽とでも言えよう。そのような静穏極まる「1−100」なる作品は、友人の映画監督ピーター・グリーナウェーのサウンドトラックとして作曲されたものの、未実現に終わったそうである。もう一曲の「BELL SET No.1」はガムラン音楽の響きはもつものの、限られたわずかの打楽器が奏でるシンプルにして単純な繰り返しのささやかな音に、これまた不思議な静謐な印象を感じさせる。その精神のありかに興味深さをもたらされることだろう。

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             Brian Eno: Discreet Music (Part I)
             http://www.youtube.com/watch?v=8zvmdO3K7LQ&feature=related
             Brian Eno: Discreet Music (Part II)
             http://www.youtube.com/watch?v=EEKHH2f0w2A&feature=related

1970年前後プログレッシブロックなるものもひとつの潮流であった。とりわけヨーロッパに於いて盛んなものがあった。あの現代音楽の60年代の旗手と評されていたストックハウゼンが大きく迷走しだすのと同じくしてサイケデリックカウンターカルチャーの特徴といえるインド音楽、東洋的瞑想の世界への傾斜が色濃く出ている音楽がロック、ジャズの世界でも聴かれたものです。シンセサイザーなど極めて大掛かりな電子機器を駆使しての多様なサウンドに新鮮さを聞いてもいたのだろう。ロックがロックンロールから、ジャズがデキシーランドジャズからと言うように現代ポップス、大衆音楽の生成発展はアメリカであってもその革新はいづれもヨーロッパであったように思われる。しょせんといっては失礼かもしれないが文化、伝統、その土台の違いかもしれない。概ね、アメリカのクラシカルな世界での革新者たちはヨーロッパで自らの練成に時を過ごしている。ケージにしてからがシェーンベルグの門をたたき、デュシャンらダダイストと接触があったそうである。ところでプログレッシブロックにタンジェリンドリーム、ファースト、クラウスシュルツ、クラフトワークらドイツの面々に対して、イギリスのロバートフィリップ、ジョンケールらと互いに触発活動していたのがこのブライアンイーノであった。経歴にラモンテヤングと活動を共にしていたとある。確かに反復繰り返しがもたらす瞑想的世界へ<我>を放つ楽想が感ぜられるのも肯ける。タイトルは<DISCREET MUSIC>とある。控えめという意味だそうであるが、音楽が前面に作品として出るのではなく、何気なく聞くとも無く耳に入ってくる。そのような音楽である。やさしく心地よく時に聞き入るような音楽。環境音楽と言うそうだが。一度聴いてください。ひょっとして知らぬまま何かの映画音楽として似たような作品を聴いているかもしれません

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