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四季折々 山や海 、山間の街々、瀬戸の島々‥‥‥絵筆と共に巡ります

書庫〃 とびしま海道

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菅原道真公 大宰府左遷の際、船でこの地に立ち寄り、
手を洗われたことから、この地名の由来になったといわれています。
菅原公ゆかりの井戸や歌碑があります。
御手洗(みたらい) 町並み保存地区に天満神社はあります、桜の綺麗な場所です。
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※大崎下島 御手洗へは、呉市仁方より四つの橋を渡ります。
 かって御手洗は、瀬戸内海航路の潮待ち、風待ちの港として栄えました。
 今も、当時の町並みが保存されています。

















安芸灘とびしま海道は、呉市から島つたいに、7つの橋が架かっています。
豊浜大橋は、呉市方面から4つ目の橋です。
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安芸灘とびしま海道は、呉市から7つの島を7つの橋で結びます。
松濤園(しょうとうえん)は、一番目の島、下蒲刈島にあります。
向かいの島が二番目の島、上蒲刈島で、右の橋は蒲刈大橋です。
松濤園の中には、御番所、陶磁器館、あかり館、他
御馳走一番館と名付けられた、朝鮮通信使資料館があります。
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朝鮮通信使は、室町時代から江戸時代にかけて、日本に派遣された外交使節団です。
総勢500人程で、正使、副使、楽隊、輸送隊、通訳、医師等で構成されていました
広島藩は、この地に、風待ち、潮待ちの港を、整備し、おもてなしをしました。
当時の、おもてなし御馳走一番館の料理、三汁、十五菜や、
朝鮮通信使の行列、正使、旗手、楽隊等、一行の模型が、展示されています。
瀬戸内海に入ってからの、朝鮮通信使一行の寄港地は、
下関〜上関〜下蒲刈〜鞆〜牛窓〜室津です。




とびしま海道 福島雁木(がんぎ)
呉市川尻町から安芸灘大橋を渡ると下蒲刈島に着きます。
この島の三ノ瀬港には、約400年前に広島藩主 福島正則により整備された、
福島雁木(船着き場に作られた石段)56mが、今は漁港として現存しています。
この港は、かって、朝鮮通信使(当時の外交使節団)の寄港地として栄えました。
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※瀬戸内海に入ってからの朝鮮通信使一行の寄港地は、西から順番に
 下関〜上関〜下蒲刈〜鞆〜牛窓〜室津 です。
 通信使一行は、正使の他に、旗手、楽隊、通訳、料理人、医師、水夫、等々で、
 総ぜい、約500人で構成されていたそうです。

 いにしえに思いを馳せながらのスケッチはとても楽しい時間です。





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