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<疑問5>「金子みすゞ著作保存会」の設立は、果たして全集出版直後だったのか? 実際は90年代のブームが起きたあとではなかったのか?

 前回記事冒頭に書いたように、著作保存会の設立時期について、矢崎氏や大村氏が全集の出版(1984年)の直後だったかのように言い振りをしているのですが、どこにも正確な設立時期が書かれていません。不思議なことに、『別冊文藝』の巻末に、矢崎氏編による「金子みすゞ略年譜」という資料が掲載されていて、そこには、全集発行後の様々な出来事、例えば、〇〇の絵本が出版された、顕彰会が設立されたとか、記念館が開館した、詩碑が建立された等々のことが詳しくかかれていながら、それと横並びからすれば当然書かれてしかるべきはずの著作保存会の設立とその時期が書かれていないのです。

 もしかして・・・彼らにとってそれを明らかにすると不都合なのではないか?と感じて、そういう目で見てみると、既に書いたように、競合他社が出版する可能性がでてきて実際にみすゞ本が一斉に出始めたのは、1995年以降のことですから、著作保存会の設立もそのあたりの時期なのではないのか?との疑問が湧いてきます。大村代表も、「いろいろの出版社の方と相談するなかで」と述べていますから、そういう局面は93年以降だと考えれば合点がいきます。
この点は、単純な事実関係の話ですから、設立年月が明らかになれば決着するのですが、もし、設立が93年の本格的ブーム到来以降のことだとすると、矢崎氏やJULA出版局によるみすゞの「著作権」の必要性についての説明は破綻してしまいます。
 
①「遺族に著作権の恩恵を得てもらいたいこと」と「未発見の詩の『発掘』の努力を尊重してほしいこと」が、著作保存会設立の趣旨だったはずですが、それであれば、彼らの説明しているように、全集や第一選集の出版当時に設立されなければならなかったはずです。
 ところが、実際の「著作権料」支払いが始まったのは10年も経った95年頃以降のことだということが明らかとなりました。著作保存会の設立が93年以降だったとすると、このことはつじつまがあってきます。それまでは、全集の増刷分や選集の売れ行きが芳しくなく、競合他社が出現する気配はなかったわけですから、その面での心配はなかったでしょう。「著作権の恩恵を遺族に」という発想も、そういう状況下では生まれにくかったと思います。それに、全集出版当初から遺族への還元という趣旨で著作保存会を設立したのであれば、ふさえさんが95年頃まで何も支払いを受けずに黙っているとは考えにくいところです。
 彼らの設立の趣旨説明は、実際に本格的ブームが起き始めた時点で、自らの独占・管理下に置くための「後付け」の理屈だったのではないか?との「仮説」に立つと、10年間の著作権料未払いという事実についての疑問が氷解します。
 
②週刊文春(昨年121日号)では、矢崎氏とJULAの大村代表は、インタビューに応じて次のように述べています。
 
「保存会を設立したのは、雅輔さんから『渡した遺稿の管理はそちらでやってくれ』と 頼まれたのがキッカケ。」(矢崎氏)
 
「雅輔さんに著作権料を支払わなかったのは、雅輔さんから『著作権料はふさえさんに』との申し出があったからです。」(大村氏)
 
 と話していますが、実弟の上山雅輔氏が亡くなったのは、1989のことです。もし著作保存会の設立が1993年以降だったとすると、保存会設立が、本当に雅輔氏の意向によるものだったのか?という疑問も湧いてきます。雅輔氏存命中に「著作権料はふさえさんに」と言われていたのであれば、その死去の89年時点はもちろん、それから6年近くも著作料を支払っていなかったというのは考えにくいところです。

 むしろ、93年以降にブレークしたので、急遽、著作保存会を設立して、みすゞ本の出版や詩の利用を矢崎氏及びJULAの管理下に置こうとしたと解釈するほうが自然ではないでしょうか。
 角川春樹氏のハルキ文庫は、その意向を尊重してくれたけれども、他の出版社は必ずしもそういうことではなくて、週刊文春の記事にあったように、無理筋の著作権の解釈、みすゞの独占、他社の出版への介入に対する批判が高まってきたがために、1999年に商標登録の出願をした、と考えれば、すべてが符合します。
 

● 調べていくと、以上のような疑問が次々を湧いてきます。
矢崎氏や大村代表の話を読んでいると、週刊文春記事にもあったように、おそらく当初は私利私欲があったわけではないのだろう、という気はします。最初に全集や選集を出版した際には、純粋に金子みすゞとその詩に魅入られての動機だったのだろうと思います。
 しかし、やはりその後のみすゞ大ブレークという状況の激変で、回りが見えなくなってしまったのではないかと感じます。以下のような点で、矢崎氏及びJULA出版局の行動は、保存会設立の趣旨の説明とは明らかに乖離・矛盾してしまっています。もしその説明内容を信じるとしても、今ではもはや変質してしまっているといってもいいでしょう。
 
① 金子みすゞ(の遺族)の著作権を主張する以上、まず塊から始めるべきであり、他者には著作権を認めて支払うよう要求しておきながら、自らは著作権料を支払わなかったということは許されることではありません。
単体で赤字だからといって、出版全体としては黒字だったはずですから、10年もの長きにわたって著作権料を全く支払わなかったということはあまりに不合理です。
仮にJULA側が言うように「全集や選集が単体赤字だったから支払えなかった」ということを認めるとして、それであれば、黒字になって以降に、遡って著作権料を支払う(筋からすれば金利をつけて)のが筋だと思われます。あれだけ他人には「著作権」「出版権」の尊重を強いてきたわけですから、自らはその点の筋を通して然るべきです。
JULAや矢崎氏の説明を信じて、「著作権料」を支払ってきた人たちかすれば、唖然、茫然ではないでしょうか。
 
②出版権、二次著作権の主張、更には商標権の取得という行為まで考えると、遺族であるふさえさんに著作権の恩恵を得てもらうという視点を超えて、JULA出版局による独占を意図したと思われても仕方がありません。
 みすゞの遺稿集をそのまま活字にしておきながら、二次著作権というような主張はあり得ないことですし、ましてや、詩集等の出版物までも指定商品として商標権の取得までするに至っては、もはや狙いはみすゞ本を独占し、JULAの管理下におくことにあるというより解釈しようがありません。出版関係者、文藝関係者であれば、誰でもか嘲笑を以て振り返る夏目漱石の遺族による商標登録申請事件と同じことをやるなど、申し開きようがないでしょう。
 
③更に、研究・評論や演劇等に対してまで、「著作権」の名の下に干渉、排除しているのだとすれば、それは到底許されない行為です。
 研究、鑑賞は、解釈の問題であり、思想表現学問の自由によって、最大限尊重されなければなりません。研究・評論における詩の引用は、著作権があったとして、まったく自由です。
金子みすゞの人生、詩作の経過・変遷、実弟の上山雅輔氏との関係等々、波乱に富んだものだけに、様々な解釈ができるわけであり、その研究や解釈に基づく発表、出版、公演等を妨げることはあってはなりません。もちろん、それに対して矢崎氏らが批判、反論をするのも自由です。そういうそれぞれの解釈に基づく発表とそれに対する批判が闊達に行われること、その自由が保障されているのが、「文学」という学問のあるべき姿でしょう。児童文「学者」であれば、当然理解していて然るべきです。
週刊文春記事では、自分の意に沿わ合い研究者に対しては、資料を貸さないという話が書いてありましたが、文「学者」であれば、そういうことはあり得ないことであり、むしろ社会での研究が促進されるように、関係資料の公開を積極的に進めたり、電子データとして公開していく等の取組みが求められていると思います。

しかし矢崎氏はそれとは対極的な姿勢のようであり、週刊文春の記事では、矢崎氏は次のような問題発言をしています。
 
「みすゞさんの詩が彼女の意図に反して使われることのないよう、今後とも保存会は続けていくつもりです」
 
 この発言は、「みすゞの意図」を自分が独占解釈するのだ、自らの意に沿わない他人の使用、研究に干渉していくのだ、という考えの表れでしょう。
 
 矢崎氏の意に沿わない高遠信次氏の評論著作(「詩論・金子みすゞ−その視点の謎」)を排斥したり、演劇のシナリオが気に入らないからといって上演に干渉したり、
 
高遠氏のブログ記事にあるように、みすゞ詩集の発行を進めていた他の出版社を公衆の面前で罵倒して断念させたり、
 
 等々の行為があったのであれば、それは「みすゞはわがもの」というみすゞ溺愛・盲目化のなせるものでしょう。

 週刊文春が引用している上村ふさえさんの矢崎氏に対する言葉「その時先生は、まだ『みすゞはわがもの』と思っていたわけですよね(笑)」というのは、金銭面の独占ということではなく、みすゞ溺愛のエピソードを評した言葉だと思います。この言葉は、『別冊文藝』のふさえ氏に対するインタビュー記事の最後で語られています。
 
ふさえ 先生はその106日(注:ふさえ氏の娘の結婚式)に講演していて具合が悪くなっちゃったの(笑)
矢崎 これは笑い話なんですが、初めて東京で講演会をやったんですよ。「いつもはみすゞさんがうしろ   にいてくれるのに、今日はお孫さんの結婚式で、そちらに行っちゃってるんです」と言って10分くらい   経ったら、立っていられなくなっちゃったんです(笑)。吐き気をもよおして。それで、30分だけ横になら  してもらったんです。あんな経験は、生涯できっと最初で最後ですよ(笑)。
ふさえ その時先生は、まだ『みすゞはわがもの』と思っていたわけですよね(笑)
矢崎 そんなことは思ってないですよ(笑)
 

 今や、金子みすゞに関する矢崎氏とJULA出版局の著作権の主張は、「遺族への還元」「『発掘』者の労に報いる」という観点からはるか遠くに逸脱・変質してしまい、単に矢崎氏の信じる「金子みすゞ信仰」への異端者排斥の手段、JULA出版局の詩集・絵本の独占販売維持の手段に変質してしまっているのではないでしょうか。


※ 先日、金子みすゞの詩集『繭と墓』の復刻本(大空出版。2003年発行)を見てみましたら、矢崎氏の解説が付いて、奥付きに「金子みすゞ著作保存会」の魚マークが記されていました。
 この本は、矢崎氏がみすゞの詩を「発掘」する過程で、大きな役割を果たした先駆的詩集であり、JULA全集本発行よりもはるかに早く昭和45年(1970年)に発行されていたものです。私家版的なものとはいっても、大正の童謡詩人の詩を詩人ごとにまとめた数巻のひとつであり、矢崎氏が敬意を払うべき存在だと思います。
 しかし、その復刻本についても、著作保存会の「了解」の印たる魚マークを記させることには、大きな違和感を感じました。「その詩集の1970年時点では、まだ著作権が存続していたけれども、その詩集の存在について、遺族は認知していますよ」という意味合いのつもりでしょうか。 矢崎氏の「発掘」を支えてくれた恩人、先輩的詩集に対して、矢崎氏がお墨付きを与える、という印象が出てしまって、なにかこう・・・「不遜」というと言い過ぎかもしれませんが、いい印象は持てませんでした。

                                        続く
 

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