しみじみと朗読に聴き入りたい

素晴らしい朗読が聴けるサイトやCDを発掘してご紹介します。著作権関係の意見も発信しています。.

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朗読をされる皆さんに、大事なことをお話しておかなければなりません。ご存じの方はとっくにご存じかもしれませんが、それは、
 
TPP大筋合意により、保護期間が「死後70年」に延長になるというのは、作家や作曲・作詞家、写真家、美術家、建築家等の話であって、朗読家の皆さんの朗読の保護期間は、「公表後70年」になるということです。
 
今まで、このブログの初期に、「朗読と著作権」のことを縷々書き、それらをまとめて『朗読と著作権』という本も出しましたが、この点には触れておりませんでした。そこでは、「多くの作品を朗読できる環境作り」という観点に立って、文学作品等の保護期間を延長すべきではない、忘却促進期間になってしまうといったことを、いろいろ書いたものです。
もともと関心を持ったのが、「非営利無償の朗読なら、ネット配信できるのではないか」というある弁護士さんのご指摘を見たのがきっかけでして、それは違うのではないでしょうか、というところから始まって、引用や評論の形にするとか、特定少数向けならいいのではないか、といった展開になり、ペンクラブが運営する電子文芸館のような形で、著作権がある作品でも朗読ができる作品プールを作ってほしいとか、利用と保護のバランスがとれるような措置を講ずる必要がある、といった議論を縷々書いたものでした。
2006年頃以降の、ネット朗読が盛んになった時期でもあり、どうやったら多彩な作品群を朗読することができるだろうか?という頭でだけ、考えていました。
 
しかし、よくよく考えてみれば、「朗読と著作権」というテーマを掲げる以上は、「朗読者や朗読の権利はどうなのだ?」ということも、ご説明をすべきでした。
一部で、同じ「朗読」でも、「口述」と「口演」とでは、権利保護の内容が大きく違ってくるという著作権法の問題については書きましたが、その保護期間については、全く書いておりませんでした。
 遅ればせながら、この機会に書いておきたいと思います。
 
1 朗読の保護期間
(1)「朗読」は、著作権法上は、一般的には、「実演」のひとつである「口演」になります(「口述」という類型もありますが、通常は「口演」だと思います)。
(2)朗読そのものは、「著作物」ではなく、「著作物を口演する」もの=「著作物を口頭で伝達する」もの、という位置づけであり、朗読家の皆さんは、「実演家」になります。
 
(定義)
第二条
 著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。
 実演 著作物を、演劇的に演じ、舞い、演奏し、歌い、口演し、朗詠し、又はその他の方法により演ずること(これらに類する行為で、著作物を演じないが芸能的な性質を有するものを含む。)をいう。
 実演家 俳優、舞踊家、演奏家、歌手その他実演を行う者及び実演を指揮し、又は演出する者をいう。
 
(2)「実演者の権利」は、著作権そのものではなく、著作物を伝達する者の権利である「著作隣接権」の一つです。
 実演家の権利としては、著作権と同じように、人格権(氏名表示権、同一性保持権)のほか、録音・録画権、放送権、送信可能化権、貸与権、譲渡権等があります。
 
(3)しかし、保護期間は、現行法では、「公表後(実演後)50年」です。「死後50年」でありません。
 
(実演、レコード、放送又は有線放送の保護期間)
第百一条  (略)
 著作隣接権の存続期間は、次に掲げる時をもつて満了する。
 実演に関しては、その実演が行われた日の属する年の翌年から起算して五十年を経過した時
 レコードに関しては、その発行が行われた日の属する年の翌年から起算して五十年(その音が最初に固定された日の属する年の翌年から起算して五十年を経過する時までの間に発行されなかつたときは、その音が最初に固定された日の属する年の翌年から起算して五十年)を経過した時
三〜四  略
 
 朗読ブログやYouTubeでネット配信されている朗読愛好家の皆さんの朗読については、朗読会の録画を配信する場合には、その朗読会の日の翌年から起算して50年になりますし、家で自分で録音して配信する場合には、実質的にその配信した日の翌年から起算して50年ということになります。
 レコードやCDにして販売などしている場合には、その発行日の翌年から起算して50年です。
 
 50年というのは、案外早く来るような気がします。朗読のネット配信が盛んになったのが、2006年頃からです。私が、そういったネット配信の朗読を、「朗読アーカイブズ」として収集、収録させていただいたのも、2007年からでした。それから何だかんだで、10年近くが経とうとしています。
 新潮社などが、新潮カセットブックなどを販売を始めたのが、1987年以降です。もう30年弱経っています。50年はすぐ来るような気がします。
 30歳で録音して配信したとすると、80歳で保護期間が満了するのが現行法ですが、これがTPP合意により、100歳で満了することになるということですね。
 
 なお、朗読やその録音CD等の保護期間が公表後70年で満了して自由に使えるようになるのは、その録音した作品が、著作権切れの作品の場合のみです。著作権が存続している作品を朗読している場合には、その作品の著作権が切れないと、その朗読は自由に録音したり頒布したりして使うことはできません。
 この点は、映画と異なります。映画の場合には、関係者が多いことから権利関係を明確にするため、現行法でも、公表後70年経つと、映画の原作となった作品の原著作権も切れたものとみなされます。
 
 そういうわけですので、朗読者の場合には、今後は、その「死後70年」ではなく、「公表後70年」になるということを是非ご理解ください。
 とっくにご存じであれば、ご放念下さい。
 
● ただ、制度の在り方という原点に立ち返って考えると、 割り切れない面はあると思います。

 第一点目は、以前にも書きましたが、朗読の場合、「口述」と「口演」とがあり、そのどちらになるかで、全く権利内容が変わってきてしまうということです。どう峻別するのかが難しいところです。

**********************************
 実演 著作物を、演劇的に演じ、舞い、演奏し、歌い、口演し、朗詠し、又はその他の方法により演ずること(これらに類する行為で、著作物を演じないが芸能的な性質を有するものを含む。)をいう。
十八  口述 朗読その他の方法により著作物を口頭で伝達すること(実演に該当するものを除く。)をいう。
**********************************
 
 「口述」に分類されると、口述者の権利は皆無ですから、口演者が著作隣接権をいろいろと有するのとは雲泥の差です。「音訳」の主観的気持ちとしては、「演じる要素は排除して忠実に文章を音にするのだ」ということなのかもしれませんが、そうすると、口述者には何も権利が生じなくなってしまう、というのが著作権法の構図であり、明らかに不合理だと思います。「著作物を伝達する」という点は、演じる要素があろうとなかろうと、何ら変わりはないわけですから・・・。
 しかし、著作権法の解説書の類いをみても、「口述」についてほ解説は見たことがなく、著作権のひとつとして、[口述する権利がある」という条文が数行書かれているのみです。 

 第二は、著作物を創作する者を保護する著作権と、それを伝達する著作隣接権とで、保護期間に大きな差があるというのは、制度の趣旨は、理解はできるのですが、それを担う者の立場からすると微妙ですし、アンバランスな面も少なくないということです。
 映画や演劇が、公表後50年という制度趣旨は、それに関係する個人が多すぎて、その一人一人に着目して「死後50年」を保護期間にしてしまうと、権利関係が確定できなくなってしまうので、外形的に明確化できるように割り切りをしよう、ということかと思います。
 多数の人間が関係する場合はわかるのですが、しかし、歌手とか朗読家の場合は、その個人に着目できるのだから、「死後」50年としても権利関係が不明確になることはないわけです。

 第三は、二次著作権や編集著作権等とのバランスの問題です。「翻訳」も、一種の「伝達」パターンのひとつですから、著作隣接権と共通の面があります。翻案や翻訳は創作的要素があるからそれに着目して保護するのだ、ということかと思いますが、それを言うなら、朗読や歌手にしても、どう表現するかの創作的要素は多々あります。なぜ、そこに差が生じるのかわかりにくいところです。
 また、著作権のひとつとして、編集著作権やデータベース権があります。これだと、他人の作品群を、一定の考え方、テーマのもとにアンソロジーとか全集、随筆選とかにした場合の編集者等の権利です。これも、どう並べるかというところに創作性があるのだ、というのが著作権法の考え方なのでしょうが、しかし、その創作性と、朗読家、歌手の創作性とを比べた場合には、差はないでしょうし、気持ちとしては、後者のほうが大きいのではないか、という感もあります。

 著作権法は、そういう矛盾を少なからず抱えている法律です。誤解ないようにお願いしたいのは、決して、「死後50年、70年」にすべきだと言っているわけではありません。死んでしまえば、創作欲を刺激する余地はないのですから、「死後50年」も保護する意味がないですし、発明家の特許権の「出願後20年」と比べても大きなアンバランスがありますから、「死後」の保護期間にするにしても、せいぜい、死後30年というところではないかと思います。
 現行の、「公表後50年」というのは、まあまあいい水準ではないかと思っています。
 
 こういうことは、著作権法の学者、実務家には、ほとんど関心がないことでしょうが、朗読者の立場で、原点に返って考えてみると、おかしなことが多々あるということを、少し念頭においていただければと思います。
 
【ご参考】
ちなみに、パブリックドメイン(PD)となったクラシック音楽の録音を配信しているウェブサイトがあるそうです。
 このサイトを紹介されているブログでは、次のようにお書きです。
「1957年ごろから1960年代というのは、名演奏家が綺羅星のごとく活躍した黄金時代なのである。毎年多くの録音がPDとなり、自由に頒布されることになる。ここ数年は、クラシック音楽愛好家にとって、言わば夢のような時代だった。惜しむらくは、あと7年ぐらいこの状況が続けば1970年ごろまでの録音が全てPDになったのだが。」
 たしかに、この50〜60年代半ば(昭和30年代)であれば、フルトベングラーはもちろん、ブルーノ・ワルター、カラヤン、カール・ベーム、クレンペラー等の指揮による交響曲などのレコードはいろいろ出ていたかと思います。
それらが自由に使えるようになりつつあったところに、保護期間の20年延長ですので、確かにちょっと残念ではあります。

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