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原版権と独占出版契約の問題

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 3月13日発売の週刊新潮でも、続編記事が載っています。

   「『出版文化』の味方とうそぶく『文化庁』の欺瞞」

 というタイトルです。
 遂には、著作権法改正案を提出する文化庁を、「欺瞞」「文化の破壊装置」、さらには「売国奴」とまで罵倒しています。これが、文化の香り高い文芸作品や優れたノンフィクション作品等を扱う、日本を代表する出版社である新潮社がいう言葉か??と暗然とする思いです。
 何の関係もない高松塚古墳のカビ発生の失態に言及して、今回の著作権法改正を行う文化庁のことをそれと同様に、「経済界の尻馬に乗って」「何も考えていない」「非常に狭い議論」「上層部の言いなり」といったレッテル張りをさかんにしています。
 あたかも審議会最終報告書を「すっ飛ばし」て、それと異なる方針で法改正案を作成したかのようなイメージ操作をしていますが、これもまったく事実に反することです。彼らは正しく、審議会報告書の議論と結論に即して立法しています。

 2ページだけですから、立ち読みででも読んでみてください。今はちょっとじっくり書いている時間がありませんが、この記事がいかに事実に反することを書き連ねているか、いかに編集者を多数抱える紙書籍中心の大手出版社だけの排他的独占を目的としているかが、伝わってきます。
 この記事ではもはや、当初の出版権論議の際の建前だった「海賊版対策」ということは一言も出てきません。ひたすら、

 ・編集者を通さない電子書籍など出版の名に値しないこと、
 ・電子書籍だけを扱う配信事業者など、「出版」社とは言えないこと、
 ・アマゾンやグーグルは自分たちの地位を脅かす敵だ、

 ということだけが縷々綴られています。
  ちょっと出版人としての、あるいは著作権に関わる者としての常識を働かせて考えれば、自分が言っていることが、いかに荒唐無稽なことかがわかると思うのですが、意に沿わない方向に進むことへの焦りと文化庁憎さに、それもわからなくなってしまっているのでしょう。

 審議会でもこの記事でもそうですが、出版業界は、二言目には、「出版」とは、著作者の発掘、企画、編集、校閲、印刷、製本(電子出版であれば、配信)までを一貫して行うものであると主張しています。審議会最終報告書でも、「電子出版」とは、「電子書籍の企画、編集から配信に至る行為をいう」と書かれているからこそ賛成したのだ、ネット配信(公衆送信)だけの業者には出版権は与えられないのだ、にもかかわらず文化庁が考えずに後退してだんまりを決め込んでいる、と記事は書いています。
 たしかに、その一文は最終報告書の前書き的なところにありますが、しかし、本論の検討部分では、「出版とは」の定義部分で、

 「出版」とは、著作物を文書又は図画として複製し、その複製物を刊行物として発売・頒布することであると解されている。
 さらに、「出版することを引き受ける者」とは、自ら出版することを予定し、かつその能力を有する者であると解釈されている。

 とあり(P19)、まず現行著作権法でも、企画、編集、校閲を担うという趣旨は、「出版」の意味にはまったく含まれていません。あくまで、著作権者が制作した著作物を「複製頒布」するだけの意味合いです。
 紙書籍は、印刷等の機械的、化学的方法により文書・図画を複製して頒布するものであり、電子書籍は、電子的方法により公衆送信するものというだけのことで、公衆に伝達する方法が異なるだけのことに過ぎません。
 現行法で、紙書籍でさえ、「企画、編集」等の概念が含まれていないのに、電子書籍になったとたん、そういう概念が含まれるのだ、という議論など考えられませんし、実際、最終報告書でも、方法の違いだけを前提にして議論の整理はなされています。
 もともと、出版業界も認めた「六賢人提案」では、「現行の出版権を電子書籍にも拡張する」という案でした。現行の出版権に、企画、編集などの意味合いがない以上、これを電子書籍に「拡張」しても、意味合いに変化が起きるはずもありません。

 それに、仮に出版社の主張どおりに、「出版」の定義に、「企画、編集、校閲」等の意味合いを含ませるとして、それは、どうやったら法律上、厳密に線引きができるというのでしょうか??
 権利を与えるという以上は、その権利の外延が明確でなければなりません。企画、編集、校閲とどれをとっても、抽象的すぎて、どういう形で、どういう程度関わるものを指すのか、定義しようがありません。

 「著作権法に詳しい弁護士」のK氏に、

(上記のようなプロセスを踏む)「“出版とは何か?”という議論をネグった結果、“配信業者も出版者でいいんじゃないか”、という安易な考えになってしまった」
 
 と語らせていますが、「法律で飯を食っている」のであれば、出版社の主張が、法律上位置づけようがないということは、すぐに理解できるはずです。

 それをあたかも、文化庁が、経団連や外資の圧力に屈して、審議会の結論に反した法改正案を作ったかのように述べ、文化庁はこれについて「一切口を閉ざしている」と書いていますが、まったく事実に反することを問われても、答えようがないでしょう。「あきれてものが言えない」というのが正確なところでしょう。

● 「大手紙文化部記者」氏をまた登場させ、

「小委員会メンバーは、文化庁の委員会に呼ばれる“いつもの面々”が大半で、新しい意見を入れることもなく、非常に狭い議論しか行われませんでした。」

 と語らせていますが、審議会小委員会名簿は次のとおりです。各方面からの立派な識者ばかりで、彼らに対する侮辱以外の何物でもありません。

 審議会やシンポの議事録をみればわかりますが、審議会小委員会以前の研究会段階からもそうでしたが、出版社側は、学者らの有識者、漫画家、消費者、ユーザー等の委員から指摘された問題点、懸念に対して、ほとんど何も具体的に答えていないように感じます。口を閉ざして、「海賊版に対応するためには権利が必要」「著作権者を害することはない」といった趣旨のことを、繰り返し述べるのみで、議論が発展していきません。

● 結局この記事では、「アマゾンやグーグルなどの配信業者が主体となって配信する電子書籍では、本への信頼が失われるから、出版権なぞ認めるべきではない」、それを理由にして「アマゾンやグーグルは排撃せよ」という本音がむき出しになってしまっています。
 「ブログやツイッターを本にするのでは、(企画、編集、校閲といった過程を経ていないから、)本の信頼性が失われる」と藤原正彦さんに言わせていますが、ある程度は正しいとは思いますが、それらのチェックが入らないものはすべてゴミであるかのように決め付けるのは、あまりな言い方です。
 編集者といっても、千差万別です。私も、大手出版社の編集者と関わったことがありますが、出版をしてくれたことには感謝はしているものの、著作者である私に無断で、数箇所が過激な表現に書き換えられていたことが出版後にわかって、焦ったことがありました。それと同様のことはよくあるようで、雑誌などの記事のタイトルも、編集部がつけていて、もめることもしばしばでしょう。こういうのが「編集」というのだとすれば願い下げですし、編集者の傲慢というものでしょう。

 あるいは、寄稿等をする場合に、「校閲」をしてくれるのはいいものの、あまりに瑣末な完全主義的な修正、大勢にはほとんど影響がないような部分の修正等を、そこまで時間とコストをかけてやる必要があるのだろうか・・・と正直思うこともあります。

 ブログなど下らん、ということであれば、新潮社は、例のブログの集大成である『電車男』を単行本にして発行していますが、これについて、企画、編集、校閲といった関与はどういう形でなされたのでしょうか? 誤字脱字の修正くらいはしたでしょうが、ほとんどはそのまま転載したのではないのでしょうか?

● アマゾンやグーグルについては、大手出版社もこれらを通じて、電子書籍を販売しています。そこでの扱いは、自社の販売全体で大きなシェアを持っているはずです。 大手出版社が主張していることは、自分たちが出版権を持っている限りでは、アマゾンのキンドル等は電子書籍の販売ルートとしてせっせと活用するけれども、その販売ルート自身が欲を出してみずから作家に手を出し、出版にしゃしゃり出てくるのはまかりならん!ということですから、ずいぶん虫のいい話です。
 
 アマゾンを擁護するわけではありませんが、少なくともこれまで、日本の出版社や取次業者が提供してこなかった画期的新サービスを提供し続けていることは確かです。誰でもが(=個人や中小零細出版社であっても)、容易・簡便な方法で、低コストで、広く頒布、配信するルートを、紙、電子双方で提供してくれています。
 前回書いたように、大手出版社には、これに刺激を受けて、紙書籍の分野でもっとニーズを実現するような取り組みをしてほしいのに、それもやらず、ひたすら排撃するようなことばかり言っている・・・・という姿には困ったものです。
 
 もし、企画、編集、校閲が、日本の出版文化の維持向上のために不可欠だと思うのであれば、その機能を提供するサービスの充実に努めるというのが大手出版社の社会的責任なのではないでしょうか。別会社にするとか、受託するとか、定年退職の編集者の受け皿となる会社を共同で作るとか、やりようはあるはずです。新聞社が共同して、共同通信社という社団法人を作って、大から中小までの新聞社がその配信記事を利用できるようにしているごとく、出版社が共同で編集機能を担う組織を作るという発想があってもいいと思います。

 電子書籍をオンデマンドで紙書籍にして届ける、というようなサービスも、異業種の電子コンテンツ配信サービスの事業者によって始まっていますし、大手出版社には、日本の出版文化をより発展されるべく、建設的な発想で、物事を考えていっていただきたいと願うものです。
 事実に反する記事を続けて読者をミスリードし、「売国奴」などというレッテルを張るなど、自らの品位を落とすだけですから、本当にやめたほうがいいです。断末魔の叫びに聞こえてしまいます。
 週刊新潮を創刊した草柳大蔵がこの記事を読んだら、どう思うでしょうか・・・。
 
 雑誌・出版メディアは、新聞メディアとはまた違った、日本の言論空間を大きく広げる重要な役割を担っていますから、これが衰退することは絶対に避けたいところです。良質の言論空間をどうやって広げていくのか、という視点から検討が行われることを期待したいところです。

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 3月6日(木)発売の週刊新潮に、特集として
 
   「文化庁著作権法改悪で 日本の出版文化が破壊される日
                      ―文化庁はアメリカの手先か?」
 
 という4ページものの記事が載っていました。
  週刊新潮ですから、当然、新潮社の発行で、新潮社といえば、これまで「出版社の権利」を強力に主張してきた日本書籍出版協会(書協)の中心的メンバーでしょう。
 
 この記事の内容はひどいもので、いわば、出版社覇権につながる権利創設を狙う大手出版業界のアジビラのようなものです。小見出しを拾っていくと、次のようになっています。
    「経団連が望んだ状況」
    「内容は間違いだらけに」
    「国家にとっての大問題」

 大手出版社は何が目的だったかがはっきりした、衣の下の鎧というか本音が露わになった記事です。噛み砕いていうと、
 
   ○千載一遇のチャンスだった出版社の権利構想が、経団連と文化庁のせい
    で潰れた!
○ともかく、紙書籍だけの世界にしたいんだ! 電子書籍は邪魔だ!
○出版社の編集者が目を通さない電子書籍などは ゴミ同然で日本文化を破
  壊する!
 
 というのが、この記事のメインテーマです。決して誇張した要約ではなく、実際これと同趣旨の言葉も使っています。一度、買われるか図書館で手にとってみて下さい。.

 順次解説していきます。記事は、前半と後半に分かれます。
 
<前半部分>
 「大手紙文化部記者」一人に語らせた台詞が、実に2ページにも渡ります。普通の記事では、複数の関係者に語らせるのが一般的な構成ですが、この記事では、2ページ丸々、この記者氏の単独の解説になっています。
 記事は、これまでの経緯を、大手出版業界の目線で、この「大手紙記者」に語らせていますが、中核部分は事実に反しています。
 
(1)「文化審議会小委員会に当事者たる作家が呼ばれていない」というのは明らかに間違った記述であり、作家代表として日本文芸家協会理事で電子書籍出版検討委員会委員長の永江朗さんが委員として参加しています。
 
 永江さんは、作家・著述家であり大学教授もされたことがあり、電子書籍出版検討委員会委員長として作家代表として参加しているのであって、小委員会の席上で、機関決定が間に合わなかったという留保付きですが、協会としての意見ペーパーを写真家協会の方に代読してもらっています。
 
小委員会以前の文化庁研究会では、やはり文芸家協会知財委員長だった三田誠広さんが参加し、全面的に出版社側に立って180度異なる見解を強力に展開していました。作家集団である文芸家協会としては、わざわざ電子書籍出版検討委員会を設置し、その委員長を文化庁小委員会メンバーとして参加させたわけですから、「作家が呼ばれていない」という記述は、事実に明確に反します。
 
(2)また「出版者側の著作隣接権構想に経団連から横やりが入った」と述べて、電子出版権構想を提唱した経団連を悪者扱いして、「江戸時代から続く日本の出版文化を破壊し、ひいては国家の根幹を揺るがしかねない」とまで、言わせています。
しかし、それもやはり経緯に全く反する話で、著作隣接権構想が学者、漫画家、印刷業界、ユーザー団体、消費者団体等から強い反対に遭い、中山信弘教授、福井健策弁護士、そして出版社側の構想推進母体だった中川勉強会の事務方代表の桶田大介弁護士も名前を連ねたいわゆる「六賢人提言」で、経団連提言とほぼ同趣旨の電子出版権構想が提示され、中川勉強会としても中山教授らに委託して,その提言を受け入れたというのが実際の経緯です。コペルニクス的展開と揶揄?されたほどで、全く世間は驚いたものです。
 
その六賢人提言では、文化庁の小委員会報告書と同じ電子出版権案が提言されています。
 
「紙と電子とは別々にする特約も可」と書かれており、小委員会では、いつのまにか紙・電子一体で設定されてしまうのは困るので、明確に分けるべきだとの意見が出されましたが、いずれにしても、紙・電子一体での出版権案ではないことは明確なのですから、出版社側の提示した案の通りに小委員会で決まったというのが、これまでの経緯です。出版社側は、審議が始まってから、電子書籍化権(=電子書籍化拒否権にもなる)を囲い込むために、突然、紙・電子一体化論を主張したという流れであり、元々その主張自体が、自らの主張だったはずの提言と矛盾したものでした。
それを、新潮の記事では、文化庁は、「長いものに巻かれて」、経団連の案に沿って電子出版権を付与する著作権法改正案をまとめた、と「大手紙記者」氏に語らせています。この記者氏は、議論をろくにフォローしていないのか、それとも出版社の本音の意向を代弁したということなのか、どちらかでしょう。なぜあれだけ、著作隣接権構想が批判の嵐に晒されたのか? まずはそれをフォローすべきであって、著作隣接権構想が、いかに著作権制度の根幹を揺るがし、文化の基盤を壊すものなのか、いかに出版業界が作家をミスリードしてきたか、よく検証してもらいたいものです。
 
記事によれば、著作権法改正案は、2月末の自民党文部科学部会で了承されたとのこと。今月半ばにも国会に上程される見通しの由。 審議会小委員会報告書通りの法案となったということでしょうから、日本の著作権制度と文芸文化の保護のために、慶賀の至りです。
 
 週刊誌は、毀誉褒貶はあるにしても、新聞にはない優れたバランス感覚がありますし、週刊新潮はその点で高く評価されると思いますが、こういう自分の業界団体の言い分を代弁することだけに終始し、全く事実関係に反するような記事の構成は、それこそ信頼を著しく損ないます。
 
<後半部分>
 3ページ目以降は、例によって、作家と書店を前面に出して、出版社がいかに大事か、そして、電子書籍がいかに紙書籍の文化を駄目にするか、ということを、延々と語らせています。こちらが実は、出版社の本音だったようで、そういう視点でみると、興味深いものがあります。
 文芸家協会常務理事で作家の関川夏央氏は、いつか知財委員長の三田誠広さんが文化庁研究会や中川勉強会で言っていた台詞と同じで「作家個人で海賊版対策に対応しろというような法案で、実質不可能」、林真理子氏は、「著者と出版社は信頼関係のもとにシンプルな契約で済ませてきたのに,米国式合理主義でそれを壊すのか」とのこと。著作権者としての自覚はなく、出版社に依存しなければ作家はやっていけない、ということを縷々述べるだけです。
 それは、文芸家協会の意見として永江氏が陳述した内容とは異なるものであり、この問題に関して唯一、作家だけがバラバラの意見をそれぞれが述べ、組織的な意見集約、構成員への周知、作家の利益保護ための思考と検討をしようとしなかった実態を反映しています。
 
 後半で言っていることを要約すれば、次の2点に収斂されます。
 
 ①電子書籍はろくなものではない。出版社の編集者のチェックを通らないような
   ものは、信頼性が低く、そのような代物が蔓延すれば、本全体への信頼が失
   われる。
 
 ②高印税に惹かれて電子書籍に作家がなびけば、紙書籍が駄目になる。
   電子書籍では再販制度はないから、勝手に値引きされて、その面でも紙書
  籍が立ちゆかなくなる。
 
 つまり、言っていることは、
 
「優秀な編集者がいる大手出版社が出す紙書籍が、日本人の教養と文化とを支える唯一至高のものであり、編集者が関与しないレベルの低い「悪貨」である電子書籍など、そもそも出版されるべきではない。 だから、出版は紙、電子を問わず、優秀な編集者がいる大手出版社で一括して発行されるべきである。」
 
ということです。なんのことはない、紙書籍をメインとする大手出版社の業界利益を守れ! という主張に他なりません。 国語文化の守護神のような藤原正彦さんまでが、こんなことを力説しているようなので、がっかりです。一般論として、優れた編集者が優れた作品を支えていることは誰も否定しませんが、編集者が目を通さない作品がすべて「悪貨」かといえば、それは間違いでしょう。ネット上の空間で流通している情報は、電子書籍ともいえるわけですが、自然と悪貨と良貨の峻別は読者にはついています。多数の読者によるコメントや評価点を通じたスクリーニングも入りますから、悪貨が幅をきかせることは難しいでしょう。
 
 そんなつまらないことを考えるより、むしろ電子書籍という媒体の登場により、言論空間が飛躍的に拡大しつつある、という点に目を向け,評価してもらいたいものです。
 今まで、紙書籍を出版して、自らの考え、経験を世に出したいと思っていた人々が、電子書籍によって低コスト又はノーコストで出せるようになりました。出版社から出すのは至難のことで、自費出版であっても最低でも何十万円、まがりなりにも「全国流通」させようとすれば何百万円もかかります。そういう余裕など普通はないですし、編集者に見てもらいたくても,そういう持ち込みの仕組み自体が一般的に用意されているわけではありません。
 実際、ネットでの言論空間が広がったことにより、市井に埋もれていた識者がネットで非常に有益な記事を書き、それが目にとまって紙の出版に至ったという事例も身近にあります。ネット空間は、見方によっては確かに玉石混交かもしれませんが、だから「やめろ!」というのではなく、むしろ「玉」をすくい上げ、紙書籍にしていくための鉱山、金脈とみるほうが、はるかに建設的であり、文化振興の上ではプラスです。
 私の関心分野である朗読の世界でもそうです。今まで大手出版社が出す朗読は、なぜか俳優陣ばかりを起用していて、画一的な感がないでもありませんでした。ところが、ケロログやSeeSaaというツールの登場によってネット朗読の世界に、多くの朗読愛好家が自らの朗読をアップできるようになり、それによって多くにリスナーが好みの朗読者の朗読を楽しめるようになっています。それと同じことで、電子書籍の発展は、確実に言論空間の広がりをもたらしています。
 
●週刊新潮の記事に書いてあることは、あっさり論駁されることばかりです。
 
(1)作家が「自分の作品は、優秀な編集者のいる出版社からのみ出したい」というのであれば、紙と電子の出版契約を両方一括して結べばいいだけの話です。それを、法律によって、編集者もいない出版社の本まで含めて、あるいは編集者の寄与度が千差万別な状況下で、一律に強力な著作隣接権なり紙・電子一体の総合出版権を与えよ、というからおかしな話になってしまうわけです。
 
(2)「編集者」の機能は、何も出版社だけに専属させておく必要はありません。実際、出版社から独立した編集者が、個別の作家のサポートに回っているケースもあります。編集者を集めた企業があってもおかしくありませんし、編集者を抱えきれない中小出版社などが、そういう編集者集団の企業に依頼するという使い方もできるようになります。自費出版を希望する人が、そこにチェックを依頼するということも可能性として出てきます。定年退職した編集者の受け皿にもなることでしょう。
 出版社をバックにもつ編集者が契約書を持ってくると、有無を言わさない雰囲気で、不利な契約書でもサインせざるを得なくなる、という作家側の嘆きも、かなり改善するかもしれません(笑)。純粋に編集者機能だけを利用できるという面でメリットも出てくる余地もあるでしょう。
 
(3)「作家が電子書籍の高印税に惹かれて他社から、紙書籍と同じ作品を廉価に出されては、紙書籍が立ちゆかなくなる」といいますが、実際にそういう実例がどれだけあるのでしょうか?あまり身近に見たことがありません。ほとんどは、同一出版社から出されています。
作家自身が紙書籍が優れていると信じているのであれば、自らは紙書籍だけで出せばいい話です。そこまでの信念がない作家にしても、紙と電子の使い分けによる全体の損得勘定を考えるでしょう。紙書籍のほうが、売れる売れないに拘わらず、発行部数に応じて印税が一括して支払われますから、実売部数による事後払いの電子書籍よりもその点は有利です。その点は、三田誠広さんも指摘していた点で、紙書籍を出版社がなるべく多く発行できるような環境を整える意味で、電子化は後にずらすという判断をするでしょう。あるいは逆に、電子化を先行させて売ったのちに紙書籍にするという事例もあるでしょうし、紙・電子の同時発売のほうが全体の売上げ増に貢献するという米国のデータもあるといい、結局ケースバイケースの話です。
 
(4)「著作権者個人では海賊版に対処できない」という台詞は、著作権者としての権利行使を初めから放棄するようなものです。差止請求などの迂遠なことをしなくてはいけないと思うから面倒になるわけで、海賊版の流布は立派な犯罪なのですから、警察に告発すればいいだけのことです。告発状は1枚紙の本当にシンプルなもので、「犯人不詳」でもちろんあっさり受理されます。差止請求などの民事的対応は、プロバイダー責任制限法の手続きがネックになりますが、警察による刑事的対応であれば、それも不要で短時間で発信サーバーが特定されます。
 実際、4〜5年前に、日本ペンクラブの電子文藝館のHPを真似たものが出現したときには、ペンクラブは刑事告発して、あっさりにそのサイトはなくなりました。2年ほど前の尖閣諸島沖での中国漁船の海保警備船への体当たり映像の「漏洩」嫌疑で、あっさりとアップロードした店が特定されたことは記憶に新しいところです。

(5)紙書籍の再販制度が絶対のものという前提で、紀伊國屋書店の社長に、電子書籍に再販制度がないことにより食われてしまう懸念を述べさせていますが、再販制度自体、もう限界に来ていて、かえって出版業界にとっても書店にとっても足かせになっている面があると思います。その点は、黄ばんだ岩波新書に触発されて、一度記事に書いたことがあります。
 
  新刊書については、地元密着の中小書店の存続のためにも、一定期間は価格を定価に限るというのは意味があるとは思いますが、発行後一定期間を過ぎた書籍については、それぞれの書店の裁量で価格設定できるようにしないと,売れる物まで売れなくなってしまいます。黄ばんだ岩波新書などは、3分の1以下でないと買う気にもなりません。
 平均返本率が4割などという業界は、異常です。それらが裁断処理されてしまうよりは、値下げして売り切るほうが、出版社や書店にとってもメリットがあるはずです。著作権者は、返品の有無に拘わらず、印刷した部数で印税が支払われますから、実売価格は関係ありません。スーパーは、閉店が近づけば食品などは半値以下で売り切るわけですし、ホテルは空き部屋にするよりは少しでも収益が入るように、大幅割引にして、旅行代理店に卸します。なぜ、出版業界だけでやらないのでしょうか?書店にしても、店頭に並べて以上は、そのまま返して利益が一銭もあがらないよりは、安くても売れた方がいいはずです。発行後1年等の一定期間内は、大手と中小とで競合しますから、同じ価格にする必要はあると思いますが、そのピークを過ぎたら、あとは自らの利益を削って値引き原資にすることは認めれてしかるべきです。
ともかく、今は、新刊書であっても、ブックオフやAmazonの中古本販売など、強力な競争相手がいますから、再販制度がかえって桎梏になってくる面がたぶんにあります。取り巻く状況は激変しているのであり、それをもとにして再販制度のあり方は再検討されるべきだと思います。
 
紙書籍を扱う紀伊國屋書店の懸念はわからないでもありません。家電量販店と同じように、巨大なショーケースと同じ存在になってしまい、書店で立ち読みして、気にいれば電子書籍で買うという行動パターンもないわけではないでしょう。しかし、電子書籍は、流通上、閲覧上の限界があることもまた確かにで、どの端末でも読めるわけでもありませんし、ぱらぱらめくる一覧性には著しく劣ります。永久に残せるわけでもありませんし、一過性の読み捨てではない作品は、やはり紙書籍を書棚に背表紙が見えるように並べていつでも手にとって読めるような空間こそ、知的空間であると思っている読者諸氏も多いと思います。書店に来るような人はそういう志向の人々が多いと思います。私もその一人です。
紙書籍を志向する立場から言えば、紀伊國屋書店などの書店業界に期待したいのは、オンデマンドプリントサービスです。三省堂が、品切れ書籍等の印刷がその場でできるようなサービスを始めていますが、期待したいのは、Amazonが1年ほど前から始めているプリントオンデマンドサービスと同じサービスかその発展型のサービスです。Amazonのサービスは、自費出版をしたい人にとって、低コスト(ノーコスト)で出版できるルートになりました。既存の出版社では到底考えられないような革新的サービスです。そして、青空文庫の大活字本などの発行も始まりました。
これをヒントに考えれば、書店が、自費出版や絶版本の復刻をオンデマンド出版の形で支援することも考えられます。書店共通のクラウドサーバーに、自費出版等のPDF原稿を蓄積しておいて、どの書店のオンデマンド印刷機からでもプリントアウト・製本ができるようにすれば、余計な在庫を持たずに全国流通させることができるようになります。一定の対価を著者から取って、書店の棚や平積みコーナーに並べるというサービスがあってもいいでしょう。紙書籍ベースでの言論空間、文化空間が大きく広がります。

また、読者側にとっても、青空文庫その他の作品の電子媒体が蓄積されているクラウドサーバーから、アラカルトで作品を選択し、一冊の本に印刷製本してもらうことができたら、こんな嬉しいことはありません。活字や判型の大きさ、活字の種類、紙質、装丁、どれも自分の好みでその場で印刷・製本してもらえるなら,購入者も多少のコスト高は気にならないでしょう。いろいろな作家の犬猫のエッセーだけを自分で選択して製本してもらう、その表紙には、我が愛犬の写真を入れてもらうとかの付加サービスもあり得るでしょう。
週刊新潮にしても、過去の記事で優れた記事は多数あります。それが今は死蔵されてしまっていますが、すべてPDF化してサーバーに蓄積し、読者側が検索して関心のある関係記事を1冊の本にオンデマンドで印刷製本するというやり方もあり得ます。
こういうサービスを実現するために、出版社と書店とが連携してクラウドサーバーを運用するとか、文芸家協会等の作家側が、出版社なり書店なりに包括許可を与えるとかの準備が必要になりますが、それほど大した手間暇ではありません。
書店でオンデマンド本を置く、購入することができるというのは、Amazonでは真似できないことです。今のAmazonのオンデマンドサービスは、あくまで出版したい側のオンデマンドであって、読者側のオンデマンドにはなっていません。紀伊國屋書店の高井社長は、記事の中で、Amazonなどの外資は、消費税を負担しないし巨大な資本力が脅威だといっていますが、税の問題は、間もなく課税される方針が既に打ち出されています。いたずらに脅威を持つのではなく、紙書籍志向の読者のニーズに極め細かく応えることができるような、そしてAmazonでは決して真似のできないような出版側、読者側の双方のオンデマンドによる上記サービスを、出版社、書店、取次、情報関連サービス産業が一体となって構築運用すれば、今とはまたちがった魅力的な紙書籍の流通風景が生まれてくると思います。
 
 
・・・というように、今週の週刊新潮の特集記事は、作家や書店の発言を利用して自らの狭い業界利益を実現しようという意図に出た、非常に読者をミスリードするものでした。もう、著作権法改正案は、当初の小委員会最終報告書の案に沿って成立することでしょう。
出版業界としては、それに即して、正攻法で作家の納得づくで、紙、電子それぞれについて交渉し契約を交わすという一般社会の常識に沿った慣行を定着させるべきでしょう。そして、前回の記事で書いたように、不正競争防止法の改正を働きかけ、版面のデッドコピーを不正流通させる行為を、出版社が独自に民事・刑事両面で対応できるようにすることにより、出版社の望む海賊版対策のための制度が整うことになります。
 
そして、作家側は、林真理子さんが記事で述べているように「煩雑な契約は嫌だ。信頼関係に基づくシンプルな形にしたい」ということであれば、作家集団である文芸家協会として、作家の利益がきちんと守られ、めくら判を押したとしても大丈夫なようなモデル契約書を、出版社側と交渉して作成することが必要でしょう。そして、海賊版対応のためのサポート体制の構築も検討する必要があります。
もっといえば、「契約事務が煩雑で面倒だ」「海賊版対応は作家個人ではできない」とまで言うのであれば、音楽の著作権者が皆JASRACに「信託」しているような方法をもうそろそろ真剣に検討してもいいのではないでしょうか。今のような「一任型」の著作権管理が建前なのに、実際にはいちいち作家に了解をもとめるような実質的な「非一任型」の文芸家協会の実務運用は、不自然ですし非効率だと感じます。一定期間(たとえば、出版権のワンサイクルである3年)を経過したような作品については、信託にして流通を任せるとすれば、その創意工夫でいろいろな流通促進策を考えるでしょうから、また違った流通風景が生まれてくると思います。
 
いずれにしても、現状の出版の世界は、金属疲労を起こして、現実に合わなくなっており、英知を集めて、改革が検討されるべき時期に来ています。週刊新潮には、そんな改革の一翼を担っていただいて、記事のオンデマンド編集・製本サービスとか、いろいろなトライアルを期待したいものです。


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続き

 出版社が阻止したい「紙書籍のコピーしてネットにアップされること」は、不正競争行為とされている、他人の商品の「形態」や「デザイン」「標章」のデッドコピーの代わりに、「版面」のデッドコピーをされることですから、他人の知的成果物にフリーライドするという意味で不正競争という本質は全く同じです。商品が出版物に特化されただけのことです。
 ですから、たとえば、不正競争行為として、次の一号を加えれば、問題は解決するような気がします。
 
十六 出版物(最初に出版されてから30年を経過していないものに限る)の固定された版面自体の全部又は一部を、複写、写真又はこれに準ずる方法により有形的に再製したものを、公衆に頒布又は公衆送信すること(当該頒布又は公衆送信に係る権利に基づいて行う場合を除く)
 
 こういう内容で規定すれば、出版社が求めていることは、副作用を生ぜずに、概ね実現できるような気がします。すなわち、


 ①著作権者とは別途、出版物の版面を主体的に制作した立場から、自らが作成した版面を勝手に使われるという海賊版行為について、不正競争行為として、差止請求と損害賠償請求とが可能になる。
 ②不正競争行為には直接刑事罰が適用されるので、民事的対応だけでなく、刑事告発による防止、責任追及も可能である。民事的対応には限界があるので、警察の捜査に委ねた方がよほど手っ取り早い。
 ③紙書籍をスキャンしたものをネット上にアップする行為も、この条項で差し止め請求ができる。著作権法で「紙と電子一体の出版権」「みなし侵害行為」といった無理が大きい規定をするまでもなく、対処が可能になる。
 ④同様に、電子書籍の固定型の版面であれば、それをスキャン、写真等で再製した海賊版も、民事、刑事的対応が可能になる(リフロー型の電子書籍は、版面が固定できないから、審議会小委員会の議論で指摘されたように、難しい)。
 ⑤電子出版権を設定するまでもなく、自らが紙書籍として制作した版面の海賊版のネット上での使用の差し止め請求ができるので、電子書籍の出版義務を負わずに対処が可能となる。
 ⑥独占的な電子出版権ではなく、非独占的な通常使用権に基づいて制作した出版物の海賊版であっても対処可能となる。
 ⑦著作権がない著作物であっても、その出版社が制作したものであれば、その海賊版に対して差し止めが可能となる(但し、例えば30年以内のものに限定)。楽譜出版社が発行する楽譜の勝手なコピーも,楽譜出版社自身が差し止めできるようになる。
 
 こうやって並べていくと、出版社の求める「海賊版対策としては」、ほぼ満額回答ではないかと思うのですが、いかがでしょうか?(笑)
 
●まとめると、著作権法改正と不正競争防止法改正をセットで行うということです。
 
 著作権法改正では、文化審議会小委員会の最終報告書通りに、
 紙と電子のそれぞれの出版権を設け(明示的に選択できるようにし)、それ
 ぞれについて出版義務を負う。
・電子出版権者の再許諾の権利も、著作権者の同意を経るようにする。
 というようにして、電子出版を行う者に対して、著作権者の納得づくの上で独占的な権利付与を認める一方(出版義務も負う)、
 
 海賊版対応については、著作権法での電子出版権に基づく権利行使として差止請求をするか、又は、不正競争防止法改正によって新設する新たな不正競争行為としての「版面のデッドコピーの頒布等」の差止請求ができるようにする、ということになります。
 
 これらによって、著作権者の権利行使を不当に制約したり、著作権者の電子化の権利の強制使用に等しいことになる事態も回避し、著作権はオールマイティであるとの著作権法の根幹は維持されつつ、出版社による直接の差し止め請求、損害賠償請求が可能となるわけです。


 固定された版面自体のデッドコピーの防止にとどまりますから、書籍をOCRで読み取って別物の書籍にするような、底本による文化資産の承継慣行も問題なく維持されることになります。青空文庫ももちろん問題ありません。
 版面保護の期間(=差し止め可能期間)は、例えば30年としておけば、それを過ぎれば、(著作権が切れていれば)復刻本として他人が流通させることもできます。
 
● 出版社は、おそらく、海賊版対策を前面に出して、作家や漫画家を自らのコントロール下に置き、流通について出版社が主導権を握りたかったと思われますが(=独立した著作隣接権や総合出版権をてこに)、その「夢」?はあえなく潰えます。しかし、それは著作権制度の根幹を崩すものでしたから、文芸文化の基盤維持の観点から、認められる余地が元々なかったといえます。
 
 小委員会最終報告書に即した著作権法改正に加えて、不正競争防止法改正を行うことにより、この数年に亘る議論に円満に終止符を打つことができると思われます。今はもう、次の著作権保護期間延長問題なり、孤児対策問題なり、非親告罪化問題の検討に精力をシフトさせるべきだと思います。
 そちらのほうが、出版社にとっても大きな利害関係がある点ですし、それらがうまくクリアできれば、出版社も様々なビジネスチャンスが生まれてくることでしょう。
 

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 昨年12月の電子出版権の創設に関する文化審議会小委員会の報告書を受けての、文化庁による著作権法改正案の作成作業が難航しているとの報道がありました。
 やはり、出版社からの要求への対応で困っているということのようです。
 

雑誌スキャンしネット公開 法的対応 議論が難航
 
 雑誌など紙の出版物をスキャンしたインターネット上の海賊版対策について、法的手当ての検討が難航している。文化庁が新たに創設する予定の「電子出版権」を使えば出版社が海賊版対策を行えるものの、電子書籍を出す義務とセットになっており、出版社などが別の対応策を求めているためだ。
 文化庁は著作権法改正案に、ネット上の海賊版対策として「電子出版権」を盛り込む予定。電子出版権の設定契約は、出版社が海賊版を差し止め請求できる代わりに、電子出版の義務を課す仕組みを想定している。
 雑誌の場合、出版社は一般にある程度連載が進んでから電子書籍にするかどうか判断する場合が多い。そのため、電子出版の義務を負わずに差し止め請求できる手段を求めている。
 文化庁の検討と並行して議論を進めている超党派議員連盟では、打開策として「みなし侵害規定」の導入が浮上していた。紙をスキャンして海賊版を作る行為を「紙の出版権の侵害」とみなし、紙の出版権契約だけの出版社も差し止め請求できるようにするものだ。
 だが、みなし侵害はそもそも他に法的手段がない場合に次善の策として適用している。現状でも著作権者は自ら海賊版の差し止めを請求できる。法律専門家の間では、すでに何らかの法的手段がある状況なのに、みなし侵害を導入するのは無理があるとの声もある。
 文化庁はこうした意見を踏まえて慎重に検討し、著作権法改正案を今国会に提出する方針だ。 
                                     (日経2014.3.3
 
 出版社の気持ちはわからないことはないですが、海賊版の差止請求を、出版権を根拠に行おうというところに、もともと無理があると思われます。
 「出版権」はあくまで、独占的に出版する権利ということであり、その権利の効果として差止請求権が発生するわけですから、出版はしないけれど権利だけよこせ、という、論理矛盾というか形容矛盾というか、著作権法の基本的仕組みが崩れてしまいます。権利と義務は当然一体です。
 
 もともと出版社の主張は、著作権者による著作権行使という当たり前のことを抜きにして、出版社だけで差止めをできるようにしようとする点で、無理がありました。海賊版の阻止ということであれば、著作権者と利害は共通しているのですから、著作権者と出版社とで連携して、一時的な一部譲渡なり一部共有なりをすればいいだけの話です。それを何ら真剣に検討せずに、出版社が独自で差止請求するための権利云々というから、衣の下の鎧が丸出しになってきて、結局、

①著作権者や第三者に対して、出版社の同意・許諾がない限り、動けないようにしたい、
②紙書籍の出版をてこに電子書籍まで自動的に法的に囲い込みたい
 
 といった本当の狙い?が前面に出てきてしまって、審議会でも批判を浴びたとい う流れです。
 
 日経記事にある、紙書籍の出版権を以て電子書籍の差止請求権が生じるようにせよ、という「みなし侵害」もまた、理論構成が成り立たない要求です。電子書籍の差止請求権は、あくまで電子書籍の独占的出版権の付随的効力として付与されるものですから、紙書籍の独占的出版権で、どうして電子書籍の差止請求ができるのか、まるで理屈がつながりません。それに著作権者の意向に拘わらず行使できる仕組みなどあり得ません。
 
 もし、出版社が本当に、紙書籍のデッドコピーの海賊版のネットでの配布を阻止するための差止請求権だけが狙いであるならば、別の方法があるような気がします。独占的に出版する権利の付随効果としての差止請求権を考えるから、出版義務との関係や、著作権者や第三者との関係で無理や甚大な副作用が生じるのであって、デッドコピーという「不正行為に対する差止請求権」ということであれば、それらの問題を生じることなく対処が可能になると思われます。そう考えると、著作権法の世界ではなく、
 
      不正競争防止法の改正で対応するのが適当ではないか?
 
  思うのですが、どうでしょうか?
  著作権法は文科省の文化庁の所管であり、不正競争防止法は経済産業省の所管ですので、横断的に議論するのが難しいのかもしれませんが、素直に考えれば、両省庁で連携して、海賊版対策を立案するのが望ましいのではないかと思います。
 
●不正競争防止法は、次に解説がありますが、次のような様々な不正行為を防止するために、差止請求権、損害賠償請求権、刑事罰を規定しています。
  ・他人の商品の商標や意匠、独自の形態と同じか類似したものを使って、誤認
   させるような行為
・不正目的で、他人の営業秘密を窃取・暴露することや、複製防
止手段を破ること。
・競業者の営業上の信用棄損情報を告知・流布すること。
・他国の国旗を商業用に使用すること。
・国際的贈賄行為
 
 
(差止請求権)
第三条  不正競争によって営業上の利益を侵害され、又は侵害されるおそれがある者は、その営業上の利益を侵害する者又は侵害するおそれがある者に対し、その侵害の停止又は予防を請求することができる。
2  不正競争によって営業上の利益を侵害され、又は侵害されるおそれがある者は、前項の規定による請求をするに際し、侵害の行為を組成した物(侵害の行為により生じた物を含む。第五条第一項において同じ。)の廃棄、侵害の行為に供した設備の除却その他の侵害の停止又は予防に必要な行為を請求することができる。
 
(損害賠償)
第四条  故意又は過失により不正競争を行って他人の営業上の利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責めに任ずる。ただし、第十五条の規定により同条に規定する権利が消滅した後にその営業秘密を使用する行為によって生じた損害については、この限りでない。
 
 
 商標法や意匠法とも重複する面もありますが、商標権や意匠権という権利侵害についての差し止めは、それらの権利法を基にして権利行使として行う一方で、それらの権利侵害とは関係なく、不正競争の防止、意図的な誤認混同行為の防止という観点から、差止請求や損害賠償請求を不正競争防止法で認めているわけです。

                                                   続く

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 ここで、出版社の権利構想について、「著作隣接権」構想と、出版社が主張する方式の「総合出版権」構想(紙と電子を一体とし、両者を分けない方式)の問題点について、ポイントを要約しておきたいと思います。
 
1 海賊版対策にそもそもならない。
著作隣接権であれ、総合出版権であれ、海賊版対策としてはほとんど効果は期待できない。
 <理由>
  ○中国など海外からの海賊版には無力。
  ○国内であっても、プロバイダー責任制限法により、発信者情報の開示を求めることは容易ではない。
  ○出版社でも、差止訴訟をするかどうかは、コスト対効果次第。義務ではない。
  ○自炊自体は問題なく、裁断本の売買も規制不可能。
 
2 著作権に対する大きな制約になる(=著作権の空洞化①)。
(1)著作権とは別個の独立した権利となるため、著作権者が電子書籍を別の出版社、形態で出したくても、紙の出版社の許諾が必要になる。
(2)利用者も、著作権者の許諾だけでなく、出版社の許諾も得なければならず、新規参入、流通への制約になる。
(3)目的とした効果がないのに、制約だけが残る結果に。このようなデメリットを生ぜずに、海賊版対応をするのであれば、著作権の一部譲渡、共有化等、現行法の枠組みをまずは最大権活用するのが先決。
 
3 著作権の強制利用につながる(=著作権の空洞化②)
(1)総合出版権では、紙書籍で出版したら、自動的に電子出版の権利まで含まれる仕組み。著作権者による裁量の余地が狭まる。再許諾の権利まで一律に認められるのであれば、更に裁量の余地が狭まる。
(2)紙書籍の出版社の系統の電子書店でしか流通しない場合には、広く読まれないケースも発生し、読者にとっても著作権者にとっても不利益。
 
4 出版継続義務が実質的に免除され、著作権者の利益を損なう(=著作権の空洞化③)
(1)  出版社がイメージする総合出版権では、紙書籍、電子書籍を問わず、どちらかで出版継続していれば義務を果たしていることになる。
(2)  紙書籍での出版が継続していない場合には、著作権者は不本意だが、義務違反での契約解除ができない。
 
5 出版社の関与、貢献度合いに関わりなく一律に排他的権利が発生する。
(1)出版過程で、出版社の関わりは千差万別。大小様々な出版社があり、編集、流通、金融等の面で常に大きな役割を果たすわけで全くない。
(2)自費出版社であれば、コスト、リスク等はすべて著作権者の負担。
(3)にも拘らず、一律に出版社に著作権を制約するような排他的権利を自動的に与えるのは極めて問題。個別ケースに応じて、契約ベースで定めるのが筋。
 
6 パブリックドメイン作品まで出版社の権利が発生してしまう。
(1)著作隣接権では、著作権の有無に関わりなく、出版社に権利が発生する。
(2)単にその版面のデッドコピーだけでなく、OCRで読み取り別の形にすることも権利侵害になってしまう。
(3)底本をもとに新しい書籍を作ること自体が、許諾が必要となり、文藝作品の後世への受け渡しが断たれてしまう。
(4)古典音楽の楽譜等の事例はわからないでもないが、そういう特殊事例は別途の検討が必要。
 
 
 以上の通り、著作隣接権構想はあまりにも副作用が大きすぎて、著作権が行使できない事態を招き、またパブリックドメインの作品にまで権利が及ぶことから、著作権制度自体の根幹を揺るがすものになります。
総合出版権構想も、出版社が主張したような紙と電子とを一体化するような方式であれば、パブリックドメイン作品は対象にはならないものの、やはり著作権者に対する制約効果が大きすぎて、著作権の空洞化につながります。
 
他方、紙書籍と同様、電子書籍についての出版社の独占販売の権利は認められてしかるべきですので、電子書籍を対象とした出版権を導入することは自然な流れです。それをまとめて、総合出版権とすることはかまいませんが、その場合には、著作権者が、紙書籍のみか、電子書籍も含めるかを明示的に選択できるようにすること、出版義務は紙と電子で別々に設定することが必須です
 ただ、審議会小委員会報告書にも書かれていますが、法律上は別に「総合出版権」という形にする必要はなく、別々に書き分けて、あとは契約で紙と電子とでそれぞれ出版権設定契約を結ぶ形でいいはずです。その方が、著作権者がよくわからないままに両者を同時に対象にするような契約書にサインさせられるリスクが低減できるかと思います。
 小委員会報告書の提言の趣旨に即した法改正が適当であり、改正後の運用においても、著作権者側がよほど注意を払いながら、契約に臨むことが重要と思われます。

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