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著作権の基礎知識

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【前掲記事参考条文】
 
(定義)
第二条
  この法律にいう「公衆」には、特定かつ多数の者を含むものとする。
 
(上演権及び演奏権)
第二十二条   著作者は、その著作物を、公衆に直接見せ又は聞かせることを目的として(以下「公に」という。)上演し、又は演奏する権利を専有する。
 
第三章 第五款 著作権の制限
(学校その他の教育機関における複製等)
第三十五条   学校その他の教育機関(営利を目的として設置されているものを除く。)において教育を担任する者及び授業を受ける者は、その授業の過程における使用に供することを目的とする場合には、必要と認められる限度において、公表された著作物を複製することができる。ただし、当該著作物の種類及び用途並びにその複製の部数及び態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない。
 
  公表された著作物については、前項の教育機関における授業の過程において、当該授業を直接受ける者に対して当該著作物をその原作品若しくは複製物を提供し、若しくは提示して利用する場合又は当該著作物を第三十八条第一項の規定により上演し、演奏し、上映し、若しくは口述して利用する場合には、当該授業が行われる場所以外の場所において当該授業を同時に受ける者に対して公衆送信(自動公衆送信の場合にあつては、送信可能化を含む。)を行うことができる。ただし、当該著作物の種類及び用途並びに当該公衆送信の態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない。
 
(営利を目的としない上演等)
第三十八条   公表された著作物は、営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金(いずれの名義をもつてするかを問わず、著作物の提供又は提示につき受ける対価をいう。)を受けない場合には、公に上演し、演奏し、上映し、又は口述することができる。ただし、当該上演、演奏、上映又は口述について実演家又は口述を行う者に対し報酬が支払われる場合は、この限りでない。

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 JASRACが、ヤマハ音楽教室などの音楽教室から著作権料を徴収するとの方針を打ち出し、業界が反発し、識者も各種コメントを出すなど、混乱が広がっている様子です。
  昨日の報道では、音楽教室やピアノ教師らの指導者団体らが反対団体を結成し、司法判断を仰ぐこともに視野において活動していくとありました。
 
JASRAC、音楽教室から著作権料徴収へ 業界は反発「演奏権及ばない」
 
JASRAC新方針が物議 音楽教室からも著作権料を徴収 

◎音楽教室側が反対団体結成 JASRACの著作権料徴収
 
 受講料の2.5%とのことですが、業界側は、「生徒は公衆ではない」「教育の場に演奏権は及ばない」「聞かせることを目的としていない」といった反論をし、識者は、「上納金ビジネスの延長だ」「将来の音楽家の卵を潰すのか」「音楽文化の衰退につながる」といったビジネス論、文化論を論じ、一般のコメントでは、「銭ゲバのJASRAC」「風呂場で鼻歌歌ってお金取られるのか」といった感情論も出ています。
 
 一連の記事を読みましたが、正直なところ、業界側、識者、JASRACのいずれにも違和感を感じます。もっと円満に解決させるやり方があると思います。
JASRAC管理のすべての作品を対象とした包括許可を前提にして議論しているから、話がややこしくなるのであって、単純に、練習曲目を限定して、演奏時間割合での許可にすれば、わずかな使用料で収まるはずですし、それが筋というものでしょう。当事者双方や識者も含めて、いずれからもそういう通常の使用料計算の話が出てこないままに、大上段の話になってきてしまっています。議論を整理すべき識者までが、エキセントリックな議論を煽るのはよくありません。

各種大手メディアの報道を読むと、全管理楽曲(350万曲)を対象とした包括許可だけが選択肢のように報じられていますが、スポーツ紙のネット記事を読んだら、共同通信の記事で、一曲ごとの使用料支払い方式も選べるとありました。また、楽器演奏のカルチャーセンターや、ボーカルレッスン教室は既に徴収しているとも書かれています。

「JASRACによると、ボーカルレッスンを受けられる教室は昨年4月から著作権使用料の徴収を開始した。楽器の演奏を学べるカルチャーセンターも既に徴収しており、来年1月から楽器教室にも対象を広げるため、今年7月までに「使用料規程」を文化庁に届ける方針を決めた。 使用料の徴収は、営利で継続的に生徒を募集している教室が対象。支払い方法は、JASRACの管理楽曲を自由に利用できる包括利用許諾契約か、1曲ごとに支払う形態を選択できる。包括利用許諾契約の使用料率は、業者の年間受講料収入の2・5%とする案を検討している。」
 また、JASRACは、2003年から大手の音楽教室と折衝を重ねてきたともあります。
こういう基本的な事実関係を踏まえないままに、識者までが一緒になって感情的な議論を煽って事態をこじらすことは、まったく健全ではなく、生産的でもありません。

議論する上での基本的事実関係を冷静に伝えているのが、一般紙や識者ではなく、スポーツ紙だというのは、おかしな話です。
以下、当事者双方の問題点を整理してみます。
 
Ⅰ 音楽教室側の主張の問題点
 
1 音楽教室は「営利事業」―教育産業のひとつ
 
 まず、営利事業ではないとする業界側の主張にはさすがに無理があるでしょう。小中高大学等の学校ではなく、教育産業の一つとして対価を取って利益を上げ、先生にも報酬を払っているのですから、「営利を目的」です。予備校と変わるところはありません。
 ヤマハ音楽教室を運営するヤマハ音楽振興会は、一般財団法人であり、公益法人の一種ではありますが、その法人形態だけで非営利とみなすことはできません。NPO法人であれば、文字通り非営利法人であり、経理上もそのことが法令上担保されていますが、一般財団法人で営利事業を行うケースは山ほどあります。企業と比べれば多少の優遇税率が適用されますが、営利事業として課税されているはずです。財務諸表を見ると、年間260億円の収入があります。費用もほぼ同額で収支トントンではありますが、そのことと営利事業かどうかとは別次元の話です。
 カワイの場合には、河合楽器製作所が運営しているそうですから、営利企業の一部門で、営利事業であることは論を俟ちません。
 
 かつて、予備校がそのテスト問題での作家の作品使用で、著作権料請求されたときにも、今回と同様に、「予備校は教育機関である」と主張していたかと思いますが、今回も同様の構図です。著作権許諾の代行機関による使用料請求の内容が、あまりにあこぎだったことは極めて問題でしたが、その後の議論、交渉では、予備校が著作権使用料を支払うこと自体は、当然の前提でした。裁判例も確立しています。
 
2 生徒は「公衆」―誰でも会費を払えば参加できる「不特定者」に該当

  生徒は「公衆」ではないという主張にも、同じく無理があります。「公衆」には、一般的に理解される「不特定者」(多数+少数=誰でも希望すれば参加できるとの意味)以外に、「特定多数」を含むとされています。
 音楽教室の生徒の場合は、「不特定者」です。誰でも会費や月謝を払えば、参加できるわけですから、「特定多数」ではなく「不特定者」の分類になります。
 これが、友人や親類、学校仲間等、他の不特定者が参加する余地がない「特定者」の場合で少人数が相手の教室であれば、内輪のことであり、「特定少数」として、「公衆」には含まれませんので、対象外です。
 マンツーマンの指導だからといって、特定少数ではありません。誰でも希望して謝金を払えば、マンツーマンの指導を受けることができますから、「不特定者」として、「公衆」に当たります。

 楽器演奏のカルチャーセンターや、ボーカルレッスン教室は既に徴収していると報じられていますが、そうであれば、指導相手の生徒が「公衆」に当たることは、既に実務上確立しているということでしょう。

 弁護士ドットコムというサイトで、弁護士の方が、社交ダンス教室やカラオケ店での演奏が、公衆に対するものだとの判例を紹介しつつ、音楽教室については裁判例がないと解説されています。

 音楽教室の指導形態は様々あるでしょうが、著作権のある作品を利用して指導することによって、対価を得ていることは間違いありませんから、そのままフリーライドを認めよ、というのは無理筋というものです。ただし、ここに書いてあるように、全管理楽曲を対象にした包括許可を前提で考えるから、おかしな話になってしまうわけです。
 
3 生徒相手でも、「聞かせることを目的」としている。
 
 「聞かせることを目的」という法律の字面を捉えて、そうではないと否定しようという主張も妙です。
 
(上演権及び演奏権)
第二十二条   著作者は、その著作物を、公衆に直接見せ又は聞かせることを目的として(以下「公に」という。)上演し、又は演奏する権利を専有する。
 
 音楽教室の先生が、生徒を指導するために弾くということは、文字通り「聞かせることを目的」にしています。お手本となる演奏をして、それを生徒に聞かせて、真似させたり、参考にさせたりするわけです。
 聴衆相手に、完成された演奏を行うコンサートのようなものだけが「演奏」「上演」ではなく、聞かせる目的は問わないということかと思います。
 教育産業である予備校や学習塾が、作家の小説を題材にして講義をしたり、テストをしたりすることと、同じ次元の話です。
 
 以上のように、報じられている3つの業界側の主張は、いずれも無理があると思われます。誤解ないようにお願いしたいのは、だからといって、JASRACが選択肢として示す全管理楽曲を対象とした包括許可で支払うべきと言っているのでは全くありません。

 「文化の発展」をいうならば、曲や歌詞という著作物を創作する音楽家が、きちんと使用料の対価を得て、創作活動を続けることができる環境を整えるというのが、もっとも根本に据えられるべき課題です。
 タダで使うのが当たり前と思ってフリーライドする人ばかりでは、音楽家も小説家も写真家も、創作活動を続ける経済的基盤が失われてしまいます。指導のための魅力的な作品が提供されなくなってしまいます。そういう事態を招かないためには、正当な対価である著作権料の支払いが、基本になります。

 音楽教室で、著作権のある作品を指導用に使うのは、生徒にもなじみやすく、指導の効率も上がり、学ぶ生徒としても学ぶインセンティブが高まるからでしょう。そういう指導上の恩恵は、音楽家の創作活動の成果である楽曲があるからこそなのですから、それに対する対価は支払う必要があります。

 生徒である子供を引き合いに出して、「将来の音楽家の若い芽を摘む」とか、「教育活動からお金をとるのか」という批判はお門違いだと思います。それらの主張は、つまるところ、フリーライドさせろ、ということですから、それは適当ではありません。
 報道によれば、JASRACは、全楽曲対象の包括許可だけでなく、一曲ごとの使用料支払いも選択肢として示しているそうですから、それをベースにして、指導実態を踏まえた適正な対価のあり方の交渉を実務的に進めるというのが、音楽教室側が今、早急にやるべきことだと思います。生徒である子供の親たちの不安を鎮めるためにも、それが優先されるべきでしょう。
 文科省に斡旋依頼するのも自由ですし、司法判断を仰ぐのも自由ですが、そういうことでエネルギーを使うのは、生産的ではないと感じます。結局は支払いを余儀なくされることでしょう。

 次に、JASRACの主張の問題点を説明します。
 
Ⅱ JASRACの問題点
 
 JASRACの最大の問題点は、テレビ局やカラオケ店相手と同じ発想で、JASRAC管理の全ての楽曲国内外の楽曲約350万曲)の演奏を前提とした包括許可を前提にして、受講料収入の2.5%という対価支払いを選択肢として要求したことにあります。この包括許可を念頭に、「徴収額は年間10億〜20億円と推計している」としたのでしょう。それが一人歩きしてしまっています。
 一曲ごとの個別許可も選択肢として示しているそうですから、その方式もきちんと説明しないまま、皮算用だけ不用意に話すから、話がこじれてしまうわけです。

 テレビ局等は、どの曲目をどういう場面でどれだけ使うとしても、いちいち許諾申請する必要がないというメリットを感じて、全管理楽曲を対象にした包括許可を結んでいるのでしょう。
 カラオケ店も同様で、お客さんがどの曲を歌う方はわかりませんし、できる限り幅広いジャンルの曲を用意することがサービスの原点ですから、全管理楽曲を対象にした包括許可を結ぶことにメリットを感じていることでしょう。
 
 しかし、音楽教室の場合はそうではないはずです。教室によってある程度の指導曲の選択の裁量はあるのでしょうが、著作権のある曲を何百曲、何千曲を使うわけではないでしょう。内外の350万曲など、全く必要はなく、せいぜい数十曲か百数十曲ではないのでしょうか?
 それならば、年間で指導用の曲目を確定させて、それらの曲に限定しての個別許可なり包括許可を得ればいいのではないのでしょうか? 先生が延々と長時間弾くわけではないのでしょうから、時間数換算も大きくはならないはずです。全管理楽曲を24時間、365日、時間や回数の限度なく使えるというので、受講料の2.5%だというのですから、上記のように換算すれば、2.5%の何千分の一、何万分の一にならないでしょうか。
 あるいは、個別許可の場合の使用料水準から換算してもいいのかもしれません。どちらで計算しても、微々たる割合、金額にしかならないと思います。

 JASRACには、元々、著作権者への還元が不透明という批判はありましたから、それを避けるのであれば、曲目を明示した上での個別許可のほうがすっきりするのかもしれません。
 
 JASRACも初めからそういう穏当なアプローチもきちんと説明すればよかったものを、新たな収益源という邪な?思惑もおそらくあったのでしょう、テレビ局やカラオケ店相手と同じパターンで、受講料の2.5%と打ち出すものだから、「カネをむしり取って若い芽を摘み取るJASRAC」だの、「銭ゲバJASRAC」だの、罵声を浴びることになってしまいました。
 
 あるいは、最初から正攻法で行くと時間がかかるので、トランプ大統領と同じく、最初は相手が驚くような過大な要求をし、その後、譲歩すると見せて、まっとうな案を示してホッとさせて、早期決着を図るという一種の戦略なのでしょうか? わからないこともないですが、感心しません。JASRACの評判も落ち、悪しき先入観を助長してしまいます。
 
**************

 以上のように、業界側、JASRAC側双方に問題があって、話がこじれてしまいかけていると思いますが、識者の皆さんが業界と一緒になって、感情的に議論を煽っているように見えるのは、もっと問題だと感じます。

 予備校など、教育産業の他業態の事例や、楽器演奏のカルチャーセンターや、ボーカルレッスン教室は既に徴収しているという実務運用例を想起すれば、音楽教室だけが対象外となることは難しいとわかるはずですし、本来の著作権許諾と使用料のパターンや、JASRACの包括契約の趣旨からすれば、その包括許可を前提に議論することが適当ではないということもまたわかるはずです。弁護士ドットコムの高木弁護士はそのように指摘しています(ただし、高木弁護士は、一曲ごとの使用料支払いという選択肢も示されていることはご存じないようです)。
 当事者に全く無駄なエネルギーを費やさせ、感情的反発が拡がるのを助長するような議論をするのではなく、早期収束に向かうような筋道を示すことが期待されていると思います。
 
■話は飛びますが、JASRACは、音楽を対象にして、極めて先進的な著作権管理をしていると思います。文藝作品の世界とでは雲泥の差で、著作権者の利益確保と利用促進とのバランスをとるべく、いろいろな策を講じています。
 JASRACが信託方式により、多くの音楽家の作品を集中管理しているため、それを利用しようとすれば、JASRACの窓口での申請で手続きを済ませることができるというのは、極めて大きなメリットです。
 どんな零細ユーザーであっても、HPから申請すれば、公表されている条件の下に使用許諾を受けることができます。YouTube等では、テレビと同様に、視聴者は無料で視聴ができるようにし、広告収入から使用料を得るというやり方もいち早く導入しています。YouTubeで(一部の無許諾アップを除いて)著作権がある歌や曲を聴けるのも、こういう柔軟な仕組みがあるからです。
 
 さらには、ネット配信サイトでも(身近なところでは、DL-MARKET)、演奏や歌唱を販売したい人は自由に自分の演奏・歌唱作品をアップし、販売代金から自動的に使用料が差し引かれて、JASRACに納付されるという仕組みも確立しています。
 この仕組みは、本当にうらやましい限りです。文藝作品で著作権のあるものでも自由に朗読してアップできたら、どんなに素晴らしいことかと思いますが、そのような気配は皆無です。
 日本文芸家協会は、零細ユーザーであっても、きちんと対応してくれますが、それでも作家先生にその度につないで諾否を確認しますから、一任型管理代行機関のはずが、そうではないのが現実です。管理対象の先生、作品であっても、「朗読はね・・・」といって断る先生方もいますし、零細ユーザーだとはなから相手にされない場合もあります。
作家の個人管理、出版社管理になるともっと酷くて、完全無視の場合もしばしばです。ある海外でも広く知られる著名作家の著作権管理をしている事務所は、「うちは、大手企業だけしか相手にしてませんから。個人の方とはおつきあいしていません。」とずいぶん露骨な言い方をして唖然とさせるところもあります。

また、文藝界は、「出版者の権利」についての審議会や議員立法の動きの際にも、深刻な問題の所在を理解せず、出版社の主張を支持して、著作権を封殺するような自殺的言動を繰り返し、危機的状況をもたらしました。文字通り、間一髪で穏当な線で落着しましたが、作家の先生方は、今でも何が問題だったのか、自分たちの言動がどういう意味を持つものだったか、理解していないでしょう。彼らが主張すればするほど、自分の首にかかった紐が締まっていくという構図だったのに・・・。
 
そういった、あまりに旧態依然とした世界に浸かっている文芸界には、溜息が出るばかりですが、そういう状況を見せつけられている中で、JASRACの事業展開をみると、あまりにも違い過ぎています。文字通り「雲泥の差」です。
どんな零細な個人ユーザーであっても、どの楽曲でも、対価さえ払えば、いつでもどこでも、どういう形でも自由に使える仕組みが構築されています。利用ユーザー側の手続き負担やコスト負担を減らす(なくす)ような仕組みもできています。
テレビ局等の大口ユーザー相手の、使い放題の包括許可というのも、ある意味、立派なアイデア商品です。ただ、これを独禁法違反だとする公取委の主張を受け容れたようですので、今後どうなるのかわかりませんが、お互いメリットのあるサービスであることは間違いありません。
 
音楽教室での楽曲の利用形態というのは、あまり他に例がないのではないかと思いますが、それでも、楽器演奏のカルチャーセンターや、ボーカルレッスン教室は既に徴収しているといいますから、それらも参考にして、きちんと実情を反映した実務的な議論をしていけば、早晩、穏当なラインで解決すると思います。実態を踏まえないままの感情的な議論は、非建設的、非生産的であり、誰の得にもなりません。

 先に引用した、東スポの記事は、なかなか興味深い内容です。今回の件も、曲折はあるかもしれませんが、いずれ落ち着くべきところに落ち着くことでしょう。

 

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 これまで、何回か、朗読と著作権の関係について、いろいろと書いてきました。
            ↓
      http://homepage2.nifty.com/to-saga/tyosakuken.htm  にまとめてあります。

 それらをもとに再編加筆して、このたび


    『朗読愛好家のための著作権の基礎知識』(暫定版)

       http://homepage2.nifty.com/to-saga/tyosakukenkisotishiki-pdf2.pdf


 なるものをまとめました。
  音楽関係については、典型的なデジタルコンテンツということで、紛争も多いですし、学説や
 判例も多いのですが、朗読関係についてはほとんど解説の類いが見当たりません。朗読をされる
 方々も、手探りの状態で読んでおられるのではないかと想像します。

  朗読愛好家の一人としては、これから、朗読の発信がさまざまな形でもっともっと盛んになって
 ほしい、という思いを持っています。
  そこで、朗読文化振興の環境整備の一環として、朗読をされる方が、関係する著作権についての
 理解を深めていただくために、朗読に特化した形で(特に音声ブログなどによるインターネット配
 信を中心にして)基礎知識的なことを整理してまとめてみた次第です。法律専門家ではありません
 が、内容的にはおそらく大丈夫だろうと思います。何かあればご指摘いただければと思います。
  朗読をしたい! 広くみんなに聴いてもらいたい! と思っている皆様のお役に立てば幸いです。

  とりあえず暫定版としての公開ですが、朗読仲間や特定少数向けのネット配信のための、ブログ
 やHPへのアクセス制限の方法も参考としてつけたいと思っています。暫定版では「準備中」として
 ありますが、近いうちに追加補充する予定です。ブログ記事で書いたような悪戦苦闘の経験を活か
 してなるべくわかりやすく書くようにします。

  ※ P15〜17にかけて、「自動公衆送信権と複製権」という補足の記述を載せています。
    これは、先日書いた「特定少数向けの朗読のネット配信」の記事の補強のための記載です。
    少しでも、朗読のネット配信の姿が多彩なものになるよう、選択肢を用意したいものです
    から、少々細かくなりました。読み飛ばしていただいて結構です。


  なお、朗読文化振興のための環境整備の第二として、著作権者や関係団体、朗読愛好家など、
 関係者ごとにお願い事項をまとめたものを、平行して作成中です。これも、ブログで書いたものを
 再編補充したものですが、何をすれば朗読を通じて文藝文化が活性化するかを理解していただく
 ための材料としていただければ、という思いによるものです。あわせて、お読みいただければ幸い
 です。

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