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私は、少し前から、母の葬儀の事を考えていた。
病院から紹介される葬儀社にお世話になりたくなかった。
というか、
あれよあれよ、という間に、言いなりになってしまって、お金だけかけてやりました、だけ、
みたいな葬儀は嫌だった。
父も、母が病気になる前から、いつも戒名なんかいらないと言っていたし、
骨も墓に入りたくない(入れたくない)散骨するとか言ったり、
変わったことばかり言ってる人なので、
考えておかなくちゃいけない、と思っていた。
それで、看護婦さんが母の身体を色々仕度している間、
私は、お世話になろうと思っていた、葬儀社を紹介してくれるセンターに
電話をかけた。
看護婦さんは、そんなことより、死後硬直が始まったら、仕度ができなくなるから
手伝って!みたいな事を言うのだけど、私は、なぜか、電話をすることを選んだ。
あまりにも事務的な感じがする、母を人間として扱っていないような、
そこに心は無いような作業の仕方に一緒に加わりたくなかったし、
病院と提携している葬儀社の人が、待ち構えていたように、部屋に入って来たのも
怖かったし、その葬儀社の人には、待っててください、と言って
葬儀の相談センター(NPO法人:あさがお葬儀社紹介センター)に電話をかけた。
(そこで、紹介していただいた葬儀社さん(あおぞら葬祭)の担当の方(塩田さん)とは、
本当に、良い出会いだったと思う。
こちらの気持ちに寄り添ってくれる葬儀の進め方で、様々な配慮もしてくださり、
本当に感謝している。
きっと母がめぐり合わせてくれたように思っている。)
病院の葬儀社さんには、霊安室までの移動をお世話になり、
霊安室から後は、あおぞら葬祭さんにお世話になることにした。
霊柩車?搬送車?の都合で、病院に迎えに来てくれるのは7時と言われた。
その事を病院の葬儀社さんに伝えると、
やんわりとした口調で、いろいろなことを言う。
要するに、暗に、うちの葬儀社のほうが事がスムーズに運ぶし、安いですよ、というような感じだ。
その人も、悪い人ではないだろうし、あちらも、それが仕事だから
仕方ないとは思う。
それと、私は、もうその時は泣いてなかった。
やらなくちゃ、母の旅立ちを立派に送り出さなくちゃ、という感じだったから、
結構、平気そうに見えたんだと思う。
だから、その人は、そんな感じで、私に話をしていたんじゃないかな、とも思う。
部屋の荷物の片付けをした。
冷蔵庫に入っていた食べ物を全部捨てたり、こまごまとした荷物や
着替えの下着、持ち込んで使っていた毛布や枕などを紙袋などに入れて片付けた。
片づけが終わると、
ストレッチャーに乗せられた母と一緒に霊安室まで行った。
しばらく椅子で座って待っているように言われた。
どうぞ、と霊安室に通されると、
ドラマで見たことあるような感じで、ちょっとした祭壇みたいな感じになっているところに
安置されていた。
お線香をあげて、霊安室は寒いから、お迎えが来るまで違うところで待つことを薦められたので
父が乗ってきていた車の中で、待つことにした。
主人と娘ちゃんを夜中(父を一度呼んだ時)に病院に呼ぶかどうか迷ったのだが
時間も時間だったため、来れないと思って、呼ばなかった。
だから、普通に起きる時間になってから、電話しようと決めていた。
6時になって家に電話すると主人が寝ぼけた声で電話に出た。
母が亡くなったこと、家には連れて帰らず、斎場に直接行くこと、
保育園と会社をお休みしてほしいこと、
斎場についたら連絡するから、そこへ娘ちゃんを連れて来て欲しいことを伝えた。
車の中で、父と二人で、何か話したか、話さなかったか、記憶にない。
朝日が昇り始めて、まぶしかった。
お迎えが来たので、と呼ばれて、また霊安室に行った。
お医者さんと看護婦さんがお線香あげに来るから待つようにと言われた。
お医者さんは、死亡確認したお医者さんで、死亡診断書?を持って来て父に手渡した。
たぶん、このお医者さんは、ついてないなーという感じなんだろうな、とか思いつつ
お線香をあげてもらう。
看護婦さんは、母も名前を覚えていて気に入ってる看護婦さんだったので
お線香をあげた後、母に、
「○○さん、良く頑張ったね、お疲れ様でした」と話しかけて、額に触れてくれた。
それで、私は、「本当にお世話になりました」と言ったら涙があふれてきた。
看護婦さんは、「最期一緒にずっといてあげれたんだから」と私の肩をたたいた。
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最近は記事をお書きになっていないようですが、TBさせていただきました。
2013/8/16(金) 午後 0:10