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ブログの15万HITと時を同じくして、自分の意図せぬところで自分の意図せぬ出来事があったため、 走り続けていた自分の足がどうやっても前に進まなくなってしまいました。 動きを止めるときは死ぬときだろうかと常々思っていましたが、そうではなかったようです・・・。 ただ、我ここに在らずな状態です。 新幹線の写真を何でこんなにも撮るのか?と考えたときにすぐ頭に浮かぶのは、 「新幹線が好きだから」という単純な理由です。 小さい頃に初めて感じた、図鑑や絵本で見たそれらとは明らかに違う存在感・・・大きさ、音、揺れ、速度感。 そのときに感じた存在感が、今でも自分を一歩前に進めてくれる原点であり原動力でした。 新幹線=カッコイイ。 カッコイイ=自分のモノにしたい。 けどあんな大きいものは自分のモノには出来ない=なら、カッコイイ姿を写真で撮れば良い。 単純で純粋ですが、これがあるからこそ週末の飲み会をパスしたり、徹夜も厭わず移動したり、 えっ!こんなに?!って目が飛び出る程の高いカネ払って遠征したり・・・していました。 そして角度を、光を、Tvなどの撮影条件を研究しながら、今に至りました。 そんな自分は、参加すらしてない一掲示板を盛り上げるための材料に過ぎないんでしょうか。 おだてりゃ何か出てくる・・・バカにしないでください。 プレゼント貰いました。なんて書かれてしまうと今後会う人には何かを渡さなければならなくなりませんし、 正体がバレた途端、見ず知らずの人から慣れ慣れしくおだてられるかもしれません。 カッコイイと思える写真を撮るのに集中出来ないじゃないですか。 良い歳した大人が何を言ってるんでしょう? その他諸々、事実に反する内容も散見してるため、そこへの抗議の意味も込めて休むことにします。 でもね・・・、本当は辛いです。未練タラタラです。。 だって、新幹線のことが好きなんですから。 そんなしょーもない理由で、小さい頃から胸に宿り続けてる火が消えるワケありません。 生半可な気持ちでこの趣味をやっていたワケではありません。 だから、そんなしょーもない理由だけで休むんじゃなかったって、後悔する日が数年後に来るのも分かってます。 けど、写真を撮るということは想像以上に繊細なこと。 新幹線のカッコイイ姿を仕留めてやる!そのアツいモチベーションは、繊細さの上に成り立っています。 モチベーションがなく、カッコイイのはどういう状態なのか?そういう目付きも持てない状態では、 自分の納得のいく1枚が撮れそうもないです。足掻いても無駄。 それは自分自身が一番知っていることなので。 こんな崖登るの?なんて思いながら雨風で脆くなった石灰岩の岩山をよじ登った初夏。 汗まみれになりながら、何回か斜面を滑り落ちながらでも辿り着いた崖の中腹。 眼下に広がる緑の畑と、火照った体を冷やしてくれた谷間を吹き抜ける風。 実は、切り位置が車両半分しかないというかなりシビアなアングルでしたが、 程良く冷えた身体と、一瞬しかない狙い目を狙う集中力、モノにしたときの感覚。 3年前にまで遡りますが、今でも鮮明に残っている記憶です。 ここも人との出会いにより辿り着いた場所であり、その記憶はいつまでも写真に添えたい1シーンです。 自分の撮った写真の1枚1枚にそういうモノがあると言っても過言ではありません。 そう、この趣味はアウトプットには出てこない何かを伴うことも多々あります。 ただそれは、独りよがりの一言で片付けられてしまうこともあるので、 これまでは極力排していました。 だって、写真で表現出来るのはそこに写っているシーンでしかないから。 そしてその何かを、文章ではなく写真から感じ取って欲しかったから。 全部とは言いません。ちょっとでも感じてもらえればそれだけで充分です。 一件以降、色々としてみました。乗り鉄してみたり、ネタ厨してみたり。 我ながらぬるぽと思いました。漫然としていて、全然物足りない。 だから、どれも全然しっくりは来ません。。 しかし、いつまでもくじけてはいれません。 振り返るほどの何かをぶっ立てたつもりはないですし、その何かを掴み取るのはまだ先で良い。 普通の一鉄ちゃんとして、写真を撮ることにまだまだ没頭したい。 気の知れた仲間と、好きなものに向かってひたすらに走り続けたい。 大切な何かを取り戻せたとき、再び本当の自分を見つけたとき、自分が元気になれたとき、 「また今日も撮りに行くん〜?」と周りから聞かれても、 「今日もこれから行ってくる(笑)だって新幹線が好きなんじゃけぇ」 と笑顔で即答出来るようになって、戻ってきます。 |
臨時・99番線




