あ ほ り ず む

どちらさんも毎度!です。

上 野 英 信

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上野英信の「闇」

   
上野英信が自らの「闇」について書いております。

長い引用ですが、写しておきます。

上野英信は筑豊との出会いをこう書いております。

「筑豊の闇が私をつつんでくれなかったとしたら、私は果たしてどうなっていたことか。そう想像するた

びに、血が凍るような戦慄に襲われじにはいられない。」

「それにしても、不思議な闇の絆であったと思う。」

関連して過去の記事を読んで頂ければありがたいです。

●『「スカブラ」でありつづけた人…上野英信』→http://blogs.yahoo.co.jp/tei_zin/11344207.html


「私の原爆症」

あえて誤解を恐れず告白するが、この二十三年間、私はアメリカ人をひとり残らず殺してしまいたい、と

いう暗い情念にとらわれつづけてきた。

学徒召集中のことだが、広島で原爆を受けたその日以来、この気持はまったく変らない。おそらく、死ぬ

までこの情念から解放されることはあるまい。

よく人は原爆症のほうは、と私にたずねる。が、私にとってどんな肉体的な障害の苦しみよりも大きいの

は、この暗い情念から逃れることのできない苦痛である。これこそ、もっとも悪質で致命的な原爆症とい

うべきかもしれない。もちろん私とて、このような呪われた状態のまま斃死したくはない。なんとかして

一日も早くこの苦しみから自由になりたいし、健康と光明をとりもどしたい。しかし、いつか、この絶望

的な症状は私の骨のずいまで侵蝕してしまうだろうという不吉な予感が、たえずわたしを怯えさせる。

私が広島での被爆者の一人であることをなるべく隠そうとしてきたのも、じつはもっぱらそのためであ

る。被爆者であることを知られるのが恐ろしいのではない。アメリカ人を皆殺しにしたいという、ついに

果たされることのない情念に私がとらわれているのを知られる恐れからからである。めめしいといえばこ

れほどめめしいことはない。卑屈といえばこれほど卑屈なことはない。

しかし、どんな美しい思想も、建設的な平和の理論も私をこの陋劣な苦しみから解き放ってくれない。す

るどい放射能の熱線が一瞬にして石畳に焼きつけた人影のように、この黒い陰も私から消え去ることはな

いのである。ひょっとしたら、生きているのは私ではなく、その黒い影だけかもしれぬ。

なにしろこんな病的な状態だから、もとより私には平和について語る資格などあるはずもない。「三たび

許すまじ原爆を」という歌があるが、そんな歌さえくちずさめない気分なのだ。三たびも四たびもない。

私はいまなお一度目を許すことができないのである。誰がなんといおうと、ぜったいにあの一度目を許せ

ないのである。さらにいえば、誰かのせりふめくが、それを許す私を許せないのである。

・・・(略)・・・

歌集『さんげ』『耳鳴り』を遺して原爆症に斃れた正田篠枝さんの称名の声のみが、いまも私の耳にあざ

やかである。・・・(略)・・・私がおとずれた夜、彼女は死の床ときめたベッドに私を休ませ、みずか

らは傍らの机に向かって夜もすがら、南無阿弥陀仏を唱えながら、なおも必死に名号を記しつづけた。

−−−何もかも、あてにはなりませんのですよ。

「玲子ちゃん」という被爆少女をえがいた作品の中で、彼女は「あてにならないものをあてにして、いっ

しょうけんめいに努力する、人間の哀れさ、悲しさを、涙のまなこで、黙って、みつめながら」こう思う

のである。

末期の思想を中核としてもたない平和運動は、いかなる意味においても存在理由をもちえないだろう。平

和への希求は、いまさらいうまでもなく、それらしい気運に同調してみずからを解消することではないは

ずである。私は永劫に救われることのない奈落の底にあって、わが殺意のやいばが、われとわが身を切り

きざむ熱さにたえるほかはない。

                         −『骨を噛む』より(初出「展望」1968.10)

『骨を噛む』より

   
  カンテラの灯のように明滅する地底の唄をたどりながらわたしは、出稼ぎ坑夫のふるさと、南九

  州のシラス台地のひだの奥で耳にした、ひとりの老爺のつぶやきをまざまざと思いうかべずには

  おれなかった。


      うたは むごにききやい

      みちゃ めくらにききやい

      りくちゃ つんぼにききやい
  
      じょうぶなやちゃ いいごばっかい

  

  唄は唖にきけ。

  もののいえない人間だけがほんとの唄をうたうことができる。

  道は盲にきけ。

  目の見えない人間だけがほんとの道を知っている。

  理屈は聾にきけ。

  耳の聞こえない人間だけが真実を知っている。

  丈夫なやつは口さきの言葉ばかり。

  五体五官のそろった人間のことばなど、虚偽以外のなにものでもない。・・・

  ここには、ふかい絶望をふまえた民衆の知恵があり、かたくななまでに純粋な唄への姿勢がある。

  わたしたちがいまなお古い民謡や民話をたずねるのも、やはり歴史をつらぬく人間の真実を知り

  たいがゆえにであり、地下数千尺の坑内でうたいつがれ、語りつがれた唄や笑い話も、その例外
  
  ではない。

                             ―上野英信『骨を噛む』より



私が上野英信に出くわしたのは、上の文中にある「むごの唄」が表紙裏に掲載されている、岩波新書の

『地の底の笑い話』で、1970年初めのころだったと覚えてます。

『地の底の笑い話』は、いまも流通していると思います。たぶんですけど。



そんなところです。

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ゴットン節

    
少し前に、山本作兵衛の唄う『ゴットン節』のあるサイトを見つけた。

上野英信宅で唄っているのを英信の息子の朱(あかし)さんが録音されてたそうだ。

『ゴットン節』はこんな歌詞。

  ♪七つ八つからカンテラ下げて 坑内下がるも親の罰
   親の因果が子にまでむくい 長い坑道でスラを曳く
   唐津ゲザイ人がスラ曳く姿 どんな絵描きも描きゃきらぬ♪

西日本新聞の『九州歌謡地図/仕事唄の情景』というところにあった。
 →http://www.nishinippon.co.jp/nnp/culture/kayou/20060817/20060817_001.shtml
 →ページの最後の方の[歌を聞く]で聴けます。

さすがに、上手いとは言わないけど、何しろ作兵衛翁自身が唄っているのだと思うと沁みてくる。


ところで、上野英信は『炭坑節』について、「コールマンソングと英訳されていまや国際的でさえある日

本の代表的な民謡は、現在もなおもっともきびしい差別にあえいでいる人々の遺産であり、日本民族

の"黒人霊歌"であるということもできる」と述べていたそうだ。


すくった掌から零れ落ちた砂のように、語られない歴史、忘れられていく記憶、そして消されていく人々

がいる。ただ過去を封印するだけの言葉狩り(差別をなくそう)は、上野英信の言う「遺産」を失う事に

なっているのではと、この頃思ったりすることが多い。


上野英信の『追われ行く坑夫たち』にこんなのがある。

「地獄極楽、いってきたもんのおらんけんわからん。この世で地獄におるもんが地獄じゃ」。 娘のころ

は父につれられて、結婚してからは夫とともに、うまれた娘が大きくなるとその娘をつれて、一生を暗黒

の地底で働きつめたひとりの老婆がいつもこう呪文のようにつぶやいていた言葉を、私は忘れることがで

きない。私のききあやまりではない。彼女は決して「この世の」とはいわなかったし、まして「この世の

地獄が地獄じゃ」などとはいわなかった。彼女はあたかも「この世で悪魔を見るものが悪魔だ」とでもい

うような調子でたしかに「この世で地獄におるもんが地獄じゃ」といっていた。そうだ、私にとって問題

であるもの、それは「この世の地獄」ではなくて、「人間そのものとしての地獄」であり「地獄そのもの

としての人間」である。(『追われゆく坑夫』より)

「この世で地獄におるもんが地獄じゃ」・・・今もそうだということだ。何も変わってない。




●「スカブラ」でありつづけた人・・・上野英信→http://blogs.yahoo.co.jp/tei_zin/11344207.html
 
 ↑は私の過去記事です。ついでに「上野英信」の書庫作ったりした。

そんなんです。

山本作兵衛のこと

この頃、山本作兵衛や上野英信の名前を見かけることが多い気がする。

今日も朝日の読書欄に『追われゆく坑夫たち』のことを<大切な一冊>というコーナーで本橋成一という

写真家が書いていた。

まあ、そうは言っても今でも品切れや絶版が多いのは多いようだ。

山本作兵衛のことを検索していたら、ポレポレ東中野という所で「山本作兵衛展」を今日までやっていた

ようだった。

これは、『炭鉱(ヤマ)に生きる』という山本作兵衛氏の炭坑画をベースにして、明治から大正、昭和に

至る炭鉱の人々の生活を描いた映画が出来たらしくて、その映画に関連しての絵画展らしい。

ときどき、東京がうらやましかったりする。

◎映画→http://www.montage.co.jp/yama/


山本作兵衛さんは、1892年、福岡県筑豊炭田の中心地である嘉穂郡に生まれ、早くも七歳のころから親の

手伝いとして坑内にさがりはじめ、以来五十余年間を炭坑で働きとおされた老坑夫である。

その半世紀にわたるヤマの生活と労働を山本さんが絵にかきはじめたのは、1958年からのことであるが、

当時はまさに石炭産業合理化の嵐が決定的な打撃を筑豊に与え、ヤマも人も壊滅の一途をたどりつつある

まっただなかであった。(『骨を噛む』上野英信より)

山本作兵衛自身は「私の絵にはひとつだけ嘘がある。地底には光がないので色がない」と言う。

初期の作兵衛筆と墨だけで描いているが、後年になってその地底の光景に作兵衛さんは光を与え、極彩色

で描くようになったそうだ。

◎<九州工業大学情報工学部筑豊歴史写真ギャラリー>で検索したら絵を観る事が出来ます。

http://search2.libi.kyutech.ac.jp/servlet/Form?id=264 (こんな絵です)


よく、炭鉱の話などを「昔はひどかった」的に考える方がおられますが、今も底辺の人間の扱いはほとん

ど変わってはいないです。

はい。

むごのうた

上野英信に『地の底の笑い話』があります。

岩波新書、1967年初版です。今、流通してるかどうかはわかりません。


「わたしが笑い話の残片を拾い集めてまわったのも、ただただわたし自身の冷えきった血を温めたいが

ためにほかならない。・・・臆面なくこのようなもの(笑い話)を天下の公道に並べるに至ったのは、

凍えた手の指先でも温めようという人があれば…、と思ったからである。」と後書きにあります。


調べたら『スカブラの話−黒い顔の寝太郎』が読めるようです。
  →http://www.mks.or.jp/~sukabura/ueno.htm


この本の冒頭に上野英信が、「炭坑への出稼ぎのふるさと、鹿児島のシラス台地できいた」という歌が

あります。

こんなのです。

イメージ 1


そんなところです。

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