|
定時制と言ってもいろんな層の生徒がいる。いわゆる若者と、大人といっても高齢者(60過ぎ)の人が多い、私の学年の大人はとくに高齢者が多い。私と同年代はいない。同年代といえば保護者の人たちになる。
若者とも会話するけれどさすがにジェネレーションギャップがある。ヒヒナからコギャル知識はかなり得てはいるのだけど授業に出る子にはコギャルキャラはいない(うちの学年では)
また授業の始まる前に教室に入っているのは高齢者しかいないと言ってもいい。まじめ差に応じての時間差でみんな遅刻してくる。まじめの対極は授業にまったくでないで放課後に学校にくる。
何しに学校にくるんや?と思う。
ヒナナは無欠席だけど、授業にでない子らの友達が多い(^^;
その子らは学校とは友達とのゆいいつの待ち合わせ場所と言ってるらしい。
自動販売機もあるし只で長時間いれるし、約束してなくても友達に会えるしね・・・。
そんなだから学校では高齢者生徒さんと話す機会が多いのだけど、これもまたジェネレーションギャップ。
話が通じない、言ってる話がよくわからん。
他の高齢者さん同士の会話を聞いていても、それぞれが自分のことだけ話て会話がぜんぜんかみあってないのに(^o^;にこやかに会話している。
基礎国語という科目を選択で受けてますが高齢者さんが多いわけだけど、常識に近い国語力も失礼だができない人が多い。
読み取る力も表現する力も・・・・。高齢だからしかたがないのかも。ふだんの会話に文法なんて考える必要ないのだし。
なるほどと思った。かみ合わない会話なのにうちとけた様子。会話の内容はどうでもいいみたいで自分のしゃべりたいことだけしゃべって多少ズレてようが和んでいればOKなのだ。
はじめは私も戸惑って沈黙してしまったり目が点になったり、ひきつり笑いしてしまったりだつたけれど同じ時間を 共有すると雰囲気のコツのようなものがわかってきた。
私も内容には注目せずに(^^;愛想笑いでテキトーに相槌をうてるようになったし、自分の言いたいことに摩り替えて相手に意味通じてない様子でも気にしないで場をとりつくろう術も獲得しつつある。
また難しい単語はできるだけ使わないように工夫するようにもしている。若者にも会話のやりとりが成り立ちにくい、ボーダーかもしれない生徒さんもいるし・・・戸惑いをいかにポジティブに受容できるか工夫している。気持ちはどの人に対してもはじめから受容的なんだけど。会話が通じない何がいいたいのかわからないというコミュニケーションに障害があるわけです。
これはワワナにかかわってもらう人も体験することだから、私はワワナのことは分かりすぎているから、他の人でコミュニケーション障害を体験させてもらうことはとても貴重な体験でもあるわけですし。
知的で深い話がしたい欲求もあるのだけど、無いものねだりしてもしかたがないし。
テキトーな会話の中にもキラリと光るその人の味を感じとって楽しみを感じたりするようにしています。
定時制のよさはいろんな層の人と知り合うことができることです。
選抜でランク分けされた高校でどんぐりの背比べ的学校ではなかなか味わえない人生経験です。
授業の効率から言えば、学力別グループでの指導がやりやすいのだろうけど。
同じレベルの人間とだけ生活してしまうと、他の環境に居る人の思いや考えに対する想像力は間違いなく育ちません。
優秀でそう違いのない仲間とだけ交流する環境で育った人が政治を担っても、層の違う人たちに対する想像力は欠如したままでしょう。
いろんな層の雑多な中で育つほうが想像力の幅が広がります。経験としても知っている人と知らない人とでは想像力の質量もあきらかに違うでしょう。
教育の効率を図るより、通常学級や選抜高等教育の中に、障害のある子や困難のある子も均等にまぜるほうが全体の心の教育の機会が多くなると思います。
社会が熟成するにはそれしかないように思います。
|