不平等条約
アメリカ総領事に着任したハリスは、新たに通商条約を結ぶことを要求し、1858(安政5)年、日米修好通商条約を締結した。この条約は、アメリカ人が日本国内で罪を犯しても日本が裁くことのできない治外法権を認め、アメリカからの輸入の際に日本が関税を自由に決定する権利である関税自主権のない不平等条約であった。つまり日本は、「おまえらのような国と対等な条約など結ぶわけがない」とアメリカから「半開国」の烙印を押されたのである。その後、オランダ、ロシア、イギリス、フランスと同様の条約が結ばれた。そして、この不平等条約改正こそが、明治新生国家の大きな課題となり、原動力となった。
徳川幕府の終焉
幕府がアメリカの脅しに屈し、朝廷の意向に反して開国をしたことに、武士のみならず庶民からも批判があがった。その批判の動きは、朝廷を尊び、外国を追い払おうとする、尊皇攘夷運動へと発展した。長州藩は下関海峡を通過していた外国船を攻撃し、攘夷を決行するが、その後、列強の連合艦隊に完膚なきまでに叩かれ無残な敗北を喫した。薩摩藩も、イギリス人を斬り殺した生麦事件の報復として、イギリス艦隊から攻撃を受け敗北した。このことで西洋文明の力を認識した両藩は、土佐藩の坂本龍馬の仲介により同盟を結び、強力な国家をつくるべく尊皇倒幕運動へと転化していった。
1867年、徳川慶喜は倒幕派の勢いが増し、政権を維持することが不可能であるとみて、征夷大将軍の地位を朝廷に返上した。これを大政奉還という。
朝廷は王政復古の大号令を発し、天皇を中心とした新政府を組織することを宣言した。
江戸時代は、戦国時代の頃のような戦いのない、安定した時代であったため、文化、学問、産業など、さまざまな分野が発展を遂げた。また、各地に寺子屋がつくられ、子供たちは「読み、書き、そろばん」を身につけ、民衆の教育水準は向上した。これらの要素が明治維新を成し遂げる大きな力になったことは言うまでもないが、その恩恵は現在のわれわれも、さまざまなかたちで享受しているのである。
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極右ってやつですか?
2006/2/7(火) 午後 11:28 [ ざわわ ]
ん〜、多分正常でしょ。今の日本が左旋回しすぎなだけ。真ん中に戻れば、ほとんどの「過激意見」は普通の意見。
2006/2/8(水) 午前 0:25 [ ぬくぬく ]
これで「極右」なんて言われるとは。まあ「つくる会」の教科書を「戦争賛美」だのと、間抜けなことをいうのがいるくらいだからなあ。
2006/2/8(水) 午前 9:29 [ teikokubungaku ]