teikokubungaku

日本とは、日本人とは

全体表示

[ リスト ]

二〇三高地
1904(明治37)年2月、日露戦争の火蓋は切って落とされた。
日本にとって、勝敗の鍵は制海権の確保にあった。制海権を握らなければ、展開する陸軍への補給は絶たれてしまう。ロシアの極東艦隊は、要塞化した旅順港に身を潜め、バルト海から派遣されるバルチック艦隊の到着を待っていた。日本としては、バルチック艦隊が到着し、ロシアがさらに優位となるまえに、極東艦隊を叩いておかなければならない。
旅順要塞を陸上から攻撃するのは、乃木希典率いる第三軍であった。乃木は、ロシアの築き上げた近代的な要塞へ正面突破を繰り返すが、累々と死体が折り重なっていくだけであった。海軍は、旅順港を一望できる二〇三高地の攻略を要請する。旅順攻撃の長期化に痺れを切らした参謀長児玉源太郎は、乃木に代わり、二〇三高地攻略を指揮する。1904(明治37)年12月、ついに、難攻不落であった二〇三高地は陥落し、そこに観測兵を立たせ、旅順港を砲撃し、極東艦隊を殲滅させたのであった。
日本海海戦

敵艦見ユトノ警報ニ接シ、聯合艦隊ハ直ニ出動、之ヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪高シ

1905(明治38)年5月27日、8か月にもおよぶ大航海の末、ついにバルチック艦隊は日本海にその姿を現した。
東郷平八郎司令長官率いる連合艦隊は、参謀秋山真之の考案した「丁字戦法」により、バルチック艦隊を全滅させ、世界の海戦史に残る驚異的な勝利を収めたのであった。
アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの斡旋により、1905(明治38)年9月、ポーツマス条約が結ばれた。この条約で日本は、朝鮮における日本の優越権をロシアに認めさせ、遼東半島南部の租借権の譲渡、樺太の北緯50度以南の割譲などを確認させた。
日露戦争は、日本の命運を賭けた壮絶な戦いであった。戦わなければ国が滅び、戦って破れれば国が滅ぶという、その悲壮な覚悟から国民がひとつとなり、勝利を掴み取ったのである。開国してわずか50年の日本が、大国ロシアに勝利したことは、日本人のみならず、世界中の有色人種に大いなる勇気と希望を与えた。
連合艦隊の解散式で東郷は「連合艦隊解散ノ辞」を読み上げ、次のように締めくくった。

神明はただ平素の鍛錬に力め戦はずしてすでに勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足して治平に安ずる者よりただちにこれをうばふ。古人曰く、勝つて兜の緒を締めよ、と


閉じる コメント(1)

顔アイコン

お初です。「ぷーすけ1号の広場」よろしくお願いします。

2008/3/22(土) 午前 11:19 ぷーすけ3号


.
teikokubungaku
teikokubungaku
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
検索 検索

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン
コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事