平和甦る南京所謂「南京大虐殺」は、東京裁判、ラジオ番組「真相はかうだ」によって喧伝され、日本国民は「事件発生」からおよそ8年後に「知る」こととなった。南京陥落と同時に報道関係者が多数入城し取材活動を行っていたのだが、不思議なことに「大虐殺」の現場を目撃した者はいなかった。朝日新聞は占領間もない1937(昭和12)年12月20日、「平和甦る南京」を皮切りに、5回にわたって写真による特集を組んでいる。そこに映し出された南京はまさに平和そのものであり、「事件」など微塵も感じさせぬものであった。 国民党の何応欽軍政部長により纏められた軍事報告書には「大虐殺」に関する記述はなく、共産党にもそのような記録はない。連合国側にとって恰好の反日宣伝材料であったはずの「大虐殺」は、日本人が「知る」その日まで、非難や抗議がなされることはなかったのである。 清野戦術南京市は面積およそ40平方キロ。周囲を城壁に囲まれた小さな都市である。富裕階級はすでに避難しており、残っていた市民は12月初め、安全区国際委員会が城内の一角に設置した安全区に保護されていた。支那軍は退却の際、民家や建物を破壊、焼却する清野戦術を行った。南京郊外は自暴自棄となった支那兵で溢れ、掠奪や放火、暴行が相次ぎ、焦土と化していた。 便衣兵南京陥落後、日本軍は支那兵の脱ぎ捨てた夥しい数の軍服を目にする。支那兵は平服に着替え、一般市民を装って安全区に遁入したのだった。この所謂「便衣兵」は支那事変を通じて日本軍にとって悩みの種であった。彼らは一般市民を装い、背後から突如、隠し持っていた武器で攻撃してくるのである。これは明らかに戦時国際法の違反であり、便衣兵に対しては直ちに処刑してもやむを得ぬものとされていた。日本軍が南京に入城する以前に、支那兵によって掠奪が行われ、市民から着物を剥ぎ取る目的で殺人が行われていたことは、居留外国人によって目撃されている。 5万7418人東京裁判では、日本軍が南京占領から6週間にわたって行ったとされる「南京大虐殺」での犠牲者は30万人であるとされた。その根拠として、崇善堂と紅卍字会なる団体が埋葬したとされる死体の数と、虐殺を目撃したと称する者の証言があった。崇善堂は支那側の資料により当時埋葬活動を行っていなかったことが明らかになっており、紅卍字会が埋葬したとする数字もあまりにも無理のあるものであった。 魯甦という支那人男性は、日本軍によって5万7418人が殺害されたのを目撃したと証言した。それによると、「日本軍は5万7418人もの支那人を数か所の村に閉じこめ餓死させ、生き残った者を鉄線で縛り、機銃掃射、銃剣で乱刺し、後に石油をかけて焼き、死体は揚子江に投げ入れた」というものであった。一桁まで正確に数えてある点のおかしさは指摘するまでもないが、それほどの大規模な殺戮が行われたならば、銃声や死体を焼く悪臭がわずか40平方キロしかない南京市内に漂って、忽ち人々の話題になるばかりか、市内での活動に支障を来したのではなかろうか。東京裁判では証人に偽証罪が問われることはなく、このような証言も証拠として採用されたのである。 「南京大虐殺」など存在しないところで、当時の南京市内にはどれくらいの人々がいたのだろうか。南京陥落当時の人口は20万人であり、その一か月後には25万人に増加していたことが、安全区国際委員会より報告されている。この数字からも「30万人の虐殺」が荒唐無稽な話であることがわかる。日本軍の入城により治安が回復されたことにより、郊外に避難していた市民や、支那軍の清野戦術によって追われた難民が流入したというのが実情なのだ。安全区国際委員会は日本軍に感謝状まで贈っているのである。そもそも、日本軍に「大虐殺」を行う理由があったのだろうか。むしろ、この「物語」を創作する理由が連合国側にあったのではなかろうか。 南京攻防戦における支那兵の戦死者、日本軍による便衣兵の処刑、これらは純然たる戦死者及び準戦死者であり、戦時国際法が禁じる戦争犯罪には当たらない。それらに支那兵による市民の殺害などを加えたものが、南京における支那人の死者数であり、これが日本軍による「虐殺」であるはずがない。 1940(昭和15)年3月、南京に汪政権が樹立した。もし「南京大虐殺」が事実とするならば、「事件」の記憶も覚めやらぬその地に親日政権が、愛国者汪兆銘によって誕生するであろうか。 関連記事
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本当によく勉強しているね、、また日本も捨てたものじゃないね。 今の若い人はどちらかといえば享楽や快楽や楽しいことしか考えない。 日本の歴史には裏もあれば表もある、その真実を見極め日本のあり方を考えようとする人がいることはとてもうれしいことであります、 南京大虐殺の真偽は過去から論争されたことであり、その歴史を学ぶことはこれからの日本は忘れてならないことでしょう
2005/5/29(日) 午前 0:12
あさやまさん、ありがとうございます。「日本の歴史には裏もあれば表もある」、片面だけを見せられて思考停止状態に陥っていた戦後を見つめ直し、もう一度考えてみる。僕らがちゃんとしなければ、次の世代に申し訳が立ちませんからね。
2005/5/29(日) 午前 3:24 [ teikokubungaku ]
やっぱり年配の人達に話を聞くと現在の社会へだいぶ事実が違って伝わっていますね・・!中国人もかなり悪いことをしているのにその辺の事実が見えていませんね・・!
2005/5/29(日) 午前 11:58 [ dance_kodera ]
捏造写真が作られた事を考えれば誰だってわかりますよね、南京大虐殺の真実が。
2005/5/30(月) 午前 0:39 [ - ]
どこかでコメントして解らなくなったので、ここでもかきます(笑) 文化大革命や天安門等やチベットなどの中国共産党による虐殺の歴史館何て言うのを日本に大きな記念館つくるといいかもね、あからさまにねつ造だ〜ともマスコミで公表すら出来ないでしょう・・ばれるから。
2005/5/30(月) 午前 1:40 [ - ]
歴史は権力者に都合のよい記述になっていて真実ではありません。自分が何かの分野に傾倒して勉強すると、毎日のようにウソの情報を流している奴らが居ることが分かります。しかし流した情報に従って社会が形成されるのも事実です。台湾では日本の犯罪を真似た事件が頻発しているとか・・グリコ森永とかオレオレ詐欺とか。よその国の嫌な事件など報道して誰が得するんだろうか?
2005/5/30(月) 午後 10:16 [ 得富 桜花 ]
嘘の上にまた嘘を塗り重ねる腐敗政府。(ダブルTBさせていただきます)
2005/5/31(火) 午後 9:57
その嘘にさらにご丁寧に嘘を塗り重ね、反日を煽る売国左翼。(ダブルでありがとうございます)
2005/6/1(水) 午前 0:07 [ teikokubungaku ]
12月24日付朝日新聞です。南京地方自治委員会委員長紅卍会会長陶道開「日本軍の入城によって治安が安全に確保されていることは何よりもうれしいことです。現在残っている支那人は抗日とか排日とかを考えている者ではありません。(中略)戦争を避けて一時避難した市民もだんだん帰ってきます。治安維持会の発展については自信を持っています。日本軍と協力して平和の再建に努力する決心でいます。皆様にぜひとも応援していただきたいと存じます。」朝日得意の捏造かな
2005/7/18(月) 午前 10:11 [ まさ ]
まささん、ありがとうございます。朝日新聞は自分たちの先輩が書いた過去の記事をどのように考えているのでしょうかね。
2005/7/18(月) 午後 5:12 [ teikokubungaku ]
こんにちは。僕のブログに履歴があったので訪問させていただきました。 僕は東京の某神道系大學の2年生です。このような素晴らしいブログに出会えて光栄です。多少の意見の相違も出てしまうかもしれませんが、同志としてよろしくお願いします。 僕も正しい「真の歴史」を伝えられる世の中の実現に尽力する次第であります。
2005/7/22(金) 午前 1:14
こちらこそ、よろしくお願いします。また、お邪魔しますね。
2005/7/22(金) 午後 2:06 [ teikokubungaku ]
南京大虐殺はありました。
夏叔琴さん一家の虐殺は、「国際安全区」の外で起こりました。
つまり、国際安全区の外に、多くの中国人は残っていたのである。
「国際安全区」の当初の20万人は、生き残った人々であり、
<南京城内の他の地区>の中国人が、日本軍の占領後に、殺害、暴行、強姦、略奪、放火が酷いので、「国際安全区」に逃げ込んだので25万人に増加したのです。だから、<もう安全になったから「国際安全区」から出なさい>と日本軍が言っても、抵抗したでしょう。
2013/4/16(火) 午後 4:33 [ イエスちゃん ]
ほう、安全区の中の日本軍に安全区の外の日本軍から守ってもらったということですか。脳みそにゴミでも詰まっているんですか?
2013/12/31(火) 午後 6:54 [ ららら ]