第40代内閣総理大臣1940(昭和16)年9月6日の御前会議で、10月上旬までに日米交渉がまとまらなければ、開戦を決意するとの方針が決定された。日本は日米首脳会談に交渉打開の糸口を求めたのだが、アメリカ側が示した10月2日の覚書は、日本政府を落胆させるものであった。日米交渉が暗礁に乗り上げ、近衛内閣は和戦いずれかの決定を迫られることになる。太平洋を隔てたアメリカと戦争を行うとすれば、海軍が中心となる。ところが海軍は、「和戦については総理に一任」とした。結局、近衛首相はそれを決することができず、総辞職することになった。東條英機が後継首相となった理由は、決して戦争を遂行するためではなく、戦争を回避するためにあった。東條は陸相として陸軍の強硬派を抑えることができ、海軍の意向がはっきりとしない以上は開戦することはできないという考えを持っていた。また、御前会議で昭和天皇が表明された戦争回避の意向も承知していた。勅命を厳格に遵守する生真面目な性格の東條に対し、「9月6日の御前会議の決定を白紙に戻し、慎重に再検討せよ」とする、所謂「白紙還元の御諚」が伝えられたのもこの理由である。 これにより甲案、乙案からなる譲歩案をアメリカ側に提示したが、アメリカが突き返したハル・ノートにより、開戦せざるを得ない状況に追い込まれるのであった。開戦の前々夜、東條は天皇の意向にそえなかったことへの悔恨から号泣した。 遺言状1948(昭和23)年12月23日、巣鴨拘置所内において東條英機はその生涯を閉じた。彼の評価については賛否様々あり、戦後の日本においては否定的な評価が大勢を占めている。しかしながら、東京裁判の記録映画に映し出された東條の表情が、絞首刑の宣告を受け、小さく頷くその瞬間までもが威厳に満ちていたことを否定することはできまい。日本の立場を明らかにし、すべてを負い、最後まで祖国のために戦った戦時宰相の表情であった。以下は、教誨師の花山信勝師が、東條との最後の面会で書き取った遺言状の抜粋である。 東條英機の遺言状(抜粋)
開戦の時のことを思い起こすと、実に断腸の思いがある。今回の死刑は個人的には慰めるところがあるけれども、国内的の自分の責任は、死をもって償えるものではない。しかし国際的な犯罪としては、どこまでも無罪を主張する。自分としては、国内的な責任を負うて、満足して刑場に行く。ただ同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまでも刑の及びたることは、実に残念である。 天皇陛下および国民に対しては、深くおわびする。元来、日本の軍隊は、陛下の仁慈の御志により行動すべきものであったが、一部のあやまちを生じ、世界の誤解を受けたるは遺憾である。日本の軍に従軍し、倒れた人および遺家族に対しては、実に相済まぬと思っている。 今回の裁判の是非に関しては、もとより歴史の批判に待つ。もしこれが永久の平和のためということであったら、もう少し大きな態度で事に臨まなければならぬのではないか。この裁判は、結局は政治裁判に終わった。勝者の裁判たる性質を脱却せぬ。 天皇陛下の御地位および陛下の御存在は、動かすべからざるものである。天皇存在の形式については、あえて言わぬ。存在そのものが必要なのである。それにつきかれこれ言葉をさしはさむ者があるが、これらは空気や地面のありがたさを知らぬと同様のものである。 こんご日本は米国の保護の下に生活して行くのであるが、極東の大勢はどうであろうか。終戦後わずかに3年にして、アジア大陸赤化の形勢はかくのごとくである。こんごのことを考えれば、実に憂なきを得ぬ。もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上ないではないか。 米国の指導者は、大きな失敗を犯した。それは、日本という赤化の防壁を破壊し去ったことである。いまや満州は赤化の根拠地である。朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。米英はこれを救済する責任を負っている。 日本は米国の指導にもとづき、武力を全面的に放棄した。それは一応は賢明であるというべきである。しかし、世界が全面的に武装を排除していないのに、一方的に武装をやめるということは、泥棒がまだいるのに警察をやめるようなものである。 私は、戦争を根絶するには、欲心を取り払わねばならぬと思う。現に世界各国はいずれも自国の存立や、自衛権の確保を説いている。これはお互いに欲心を放棄していない証拠である。国家から欲心を除くということは、不可能のことである。されば世界より戦争を除くということは不可能である。結局、自滅に陥るのであるかもわからぬが、事実はこの通りである。 青少年の保護ということは、大事なことである。近時いかがわしき風潮は、占領軍の影響からきているものが少なくない。この点については、わが国古来の美風をも十分考慮にいれられたし。 教育は精神教育を大いにとらなければならぬ。忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任感をゆるがせにしてはならぬ。学校教育は、人としての完成を図る教育である。従前の醇朴剛健のみでは足らぬ。宗教の観念を教えなければならぬ。 関連記事
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なんと立派な遺言状だろう。遺言状で「アジア諸国の協力が得られなかった」とぼやいたと侮蔑したテレビのコメンテーターに読ませてやりたい。
2005/6/1(水) 午前 11:16
読んでいくうちに涙が出そうになる.すごい.逃げも隠れもせず,負けた全責任を国民と陛下に心から詫びている,同じ罪を着せてしまった後輩への自身の無力さも.その後の歴史観,教育観がものの見事に現代を憂いそして予言しきっている.その知謀と先見性に頭が下がる.世界が平和になるなら,自分を罪としても厭わぬなど,日本軍人出身者らしい精錬さがにじみ出てます.この私のコメントを軍国美化と揶揄する者は揶揄すればよい.でも,人のためにここまでなれる奴になってからいって欲しい.
2005/6/1(水) 午後 1:03 [ - ]
中国の新聞ではA級戦犯の特集記事を連載し始めたようですが、日本の新聞こそが特集を組んで、この遺言状を掲載すべきではないかと思います。
2005/6/1(水) 午後 1:20 [ teikokubungaku ]
抜粋とのことなので、抜けた部分で言及されているのかも知れませんが、「赤化」を防ぐためなら中国に軍隊を差し向けるのは「正当」という考えだったのでしょうか?中国人民への謝罪が無いとすれば、いくら自国の利害が絡むとはいえ、他国である中国大陸に軍隊を放置した責任は重いと判断されてもやむを得ないでしょう。もし触れられていたとすれば、自分は、東条氏への認識を改めるのですが。
2005/6/2(木) 午後 3:14 [ nor*_*x ]
nori_pxさん、触れられていたかどうかという点について。この遺言状は限られた時間で東條が読み上げ、花山信勝師がその要点を書き取ったもので、遺言状そのものは遺族にも渡されていませんから、わかりません。アメリカ側が保管しているとは思いますが。その評価云々については意見が異なるようですので言及を避けたいと思います。
2005/6/2(木) 午後 7:30 [ teikokubungaku ]
わざわざ御回答ありがとうございます。本文はアメリカの公文書館に眠っているのかもしれませんね。遺族の方へ渡されていないというのは、「むごい」としか言いようが無いですね。意見が異なるのは致し方の無い事ですが、あなたのブログ上の情報は、敬意をもって拝見させて頂きました。ともあれ、これからも宜しく。
2005/6/2(木) 午後 9:34 [ nor*_*x ]
「むごい」といえば遺骨なんかも戻っていなのじゃないかな。nori_pxさん、こちらこそよろしくお願いします。
2005/6/3(金) 午前 1:59 [ teikokubungaku ]
東條手記からです「共産党はかねがね資本主義国の革命と世界の赤化を企画し、資本主義国間に戦争を誘発しお互いに傷つけあわせることによって共産国の進出をはかってきた。当時は東亜での鋭鋒が支那に向けられていた。支那では、排外、排日運動が共産党の扇動で行われ、西安事件は事変を拡大させた例である。従って、日本が防共政策をとり、防共協定を締結した理由はここにあった。」当時日本国であった朝鮮半島を守るためには支那、ソ連の情勢は今以上に重要だったでしょう。
2005/7/17(日) 午後 11:17 [ まさ ]
そうなんですよね。この「防共」ってのが、あの時代の大きなキーワードであるはずなのですが、戦後の「都合の悪い連中」はそれを覆い隠そうとしてきたわけで、この時代が学校教育で扱われるときに抜け落ちてしまいがちになるのですよね。
2005/7/18(月) 午前 1:01 [ teikokubungaku ]
訪問履歴を見て閲覧させていただきました。素晴らしいブログですね。私も、学生の頃、当たり前のように教え込まれた自虐史観が誤ったものであると近年になってようやく思うことができるようになりました。私たちはこの国の未来のため戦勝国のリンチ裁判の犠牲になられた先人たちの意思を引き継ぎ、この国が正しい軌道に戻るまで、精一杯力を尽くさなければならない、と今あらためて思いました。遺言状を読み涙が出ます。偉大すぎる先人たちを誇りに思います。
2005/10/26(水) 午後 1:24 [ shin ]
seikeshintaroさん、コメントありがとうございます。以前もコメントとして書きましたが、この遺言状を日本の新聞社は特集を組んで掲載すべきではないかと思っております。
2005/10/26(水) 午後 8:06 [ teikokubungaku ]