ペリリュー島
第一次大戦後、南洋諸島の赤道以北の島々は日本の委任統治領となった。パラオには南洋庁が設置され、多数の日本人が移住し、病院や学校などが建設された。パラオの人々は日本語による教育を受け、農業などの産業育成が熱心に行われ、パラオは急速に発展した。
大東亜戦争末期の1944(昭和19)年、アメリカ軍はパラオにも迫っていた。なかでもペリリュー島は、日米両軍に多数の死傷者を出す激戦地となった。アメリカ軍がいよいよペリリュー島に上陸しようとするその時、ペリリュー島の島民は日本人を慕うあまり、大人から子供までが日本軍と一緒に戦うことを決意した。しかし、島民を巻き込んではならないと日本軍はそれを許さず、空襲を避けつつ夜間、全員を船舶でパラオ本島に避難させた。
すでに制海権、制空権を握られ、圧倒的な戦力の差、弾丸や食糧の補給もない状況で日本軍は果敢に戦い、持久戦を耐え、ついに玉砕した。戦いが終わり、島民が島に戻ると、そこには多数の日本兵の遺体が放置されていた。島民は涙を流し、遺体を丁重に葬り、自分たちの島を守って散った兵士たちの墓を建て、その墓を守り続けることを誓った。今日でも彼らの手によって墓は掃き清められ、彼らは遠い昔を懐かしむかのように日本の歌を口ずさんでいるという。
月の丸
日本の敗戦により、パラオはアメリカの信託統治領となった。アメリカは、日本が育成した農業や、教育の普及に驚いた。そして、円滑な統治の妨げになるとして、農地をブルドーザーで破壊し、舗装された道路を剥がし、南洋神社などを取り壊した。アメリカはパラオに多額の財政援助を行うが、単純な財政援助、アメリカ文化の流入により、人々はしだいに労働意欲を失い、日本の統治時代に培った勤勉さ、治安の良さは失われようとしていた。
1994年、パラオはついにアメリカから独立することとなった。独立にあたり国旗を制定することになり、日本の「日の丸」に似せ、青地に黄色の「月の丸」が採用されることとなった。日の丸の部分の黄色は月を表し、周囲の青地は海を表す。月は太陽によって輝くことができる。日の丸を掲げ、勇気と国を想う心があればアメリカよりも強くなれることを教えて死んでいった日本兵の勇敢さと純粋さにパラオの人々は大きな魅力と尊敬を捧げ、この国旗を選んだのだという。
独立後、国定の歴史教科書が作られ、日本統治時代は「日の丸の旗のもとに」というタイトルで詳しく記述され、産業や教育などについて、日本人は厳しくもパラオの発展に大きく貢献したことが記されている。
パラオの人々は、日本人を敬い、日本統治時代を懐かしみ、子供に日本風の名前を付けることも多く、パラオ人の8割はその姓名のいずれかに日本風の名前が付けられているという。
友好の橋
1995(平成7)年10月、パラオでは独立一周年を祝う式典が開催されていた。各国の元首から祝電が届くなか、パラオの人々が待ち望んでいた日本政府からの祝電は、ついに読み上げられることはなかった。パラオ国民はそれを大変悲しんだという。当時の日本の首相は社会党の村山富市であった。
1977年、コロール島とバベルドアブ島を繋ぐKBブリッジ(Koror-Babeldaob Bridge)が開通した。ところが、これが全くデタラメな手抜き工事で、橋の中央部はたわみ、やがて橋は揺れ動きだし、1996年、KBブリッジはついに真っ二つに折れ崩落した。橋の内部には水道、電気、電話線が通っていたため住民の生活手段は悉く麻痺し、一時は国家非常事態宣言が出された。
パラオ政府は、この橋を施行した韓国の業者に賠償を請求するが、その業者は既に解散しており韓国側はこれを拒否、パラオの人々は途方に暮れてしまった。
そこで、日本の政府開発援助により新たな橋を無償で架けることとなった。2002(平成14)年1月、開通式典が行われ、橋の新しい名称が発表された。その名も「Japan-Palau Friendship Bridge」である。
天皇、皇后両陛下の「南洋諸島の島々を慰霊に訪問したい」という意向から、2004(平成16)年3月にパラオなどを公式訪問される計画が立てられたが、交通手段などの理由により取りやめとなった。この決定を両陛下は容易に納得されなかったという。パラオの人々は、いつの日か、両陛下がパラオを訪問されることを、心から待っているのである。
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良いとこだけ見たらダメではないでしょうか?はなから客観性を疑われます。自分とは逆の立場から検証することが大切です。
2005/6/13(月) 午前 0:58
教科書も含め、現在の日本は悪いところだけ見ているわけで、こういう歴史も認識しておくべきでしょう。
2005/6/13(月) 午前 1:21 [ 999 ]
うさ太郎さん、客観性のない教育、報道のなかで僕らは育っていることをお忘れではありませんか。それこそ、「逆の立場から検証することが大切である」というお言葉をお返しします。
2005/6/13(月) 午前 9:02 [ teikokubungaku ]
「日本」「日本」とばかり言っていて、「日本」の良いとこばかり書いてることについて書いたのですが。感情的だなー。結論を決めつけてないですか?
2005/6/13(月) 午前 9:42
すべて正直に受けとめて読ませていただきました。感動しました。日本人がこういうことをしたこと自体、知りませんでした。これをきっかけにパラオについてもっと知りたくなりました。
2005/6/13(月) 午後 1:51
エルトゥールル号もそうですが、日本人が置き忘れてしまった記憶というのは、まだまだあるものです。ちなみに、パラオには多くの日本語が残っていて、ブラジャーはパラオ語で「ちちばんど」だそうです。
2005/6/13(月) 午後 2:39 [ teikokubungaku ]
良かったことも悪かったことも何処で起きたことでも苦痛を伴うことが有っても、日本国が終戦までに海外で行ったことを全て記録にとどめ検証し史実として留めたいという思いです。国内でのことについてもそれは必要な事かもしれませんが日本は東京裁判で全てが終わったという意識がつよく自らを裁くことを忘れています。これが海外から歴史認識が不足していると言われる所以ではないでしょうか?
2005/6/13(月) 午後 5:59 [ amanuma5932 ]
記事にかぶせるようなまね(TB)をしてごめんなさい。「最初の玉砕:の兵力差に愕然として書き留めていた、それを紹介したくて。
2005/6/13(月) 午後 8:54
咆月狼さん、全然、構いませんよ。トラックバック、ありがとうございました。
2005/6/14(火) 午前 0:10 [ teikokubungaku ]
咆月狼さんのブログから来ました。日本人である事に誇りを持ちます。ありがとうございます。
2005/6/14(火) 午後 7:59
こちらこそ、コメントありがとうございました。僕の祖父は十数年前に他界していますが、もっといろいろと話を聞いておけばよかったなあと後悔しています。
2005/6/14(火) 午後 8:34 [ teikokubungaku ]
パラオッすか。ちょっと行きたくなってきました。記事ありがとうございました。
2005/6/18(土) 午後 9:08 [ - ]
あの美しいパラオの海は、写真ではなく、実際にこの眼で見てみたいですね。
2005/6/18(土) 午後 11:07 [ teikokubungaku ]
眼科治療の話や名前に日本名がついている話は以前、聞いたことがあいましたが、友好の橋の話は初めて知りました!韓国が作ったんですか・・・壊れたら弁償しなくちゃね!!┐(-。ー;)┌ヤレヤレ・・・私の周りにもヨンさまファンがいますが!もちろん、日本にも瀬島龍三なんて大本営のエリートがいましたが・・・?!パラオにいた心のある軍人もいれば、ずるい人もいる・・・やっぱり、歴史を知ることって大切ですよね・・・何が、真実で嘘なのか・・・これは、後世の賢者に任せるしかないのかも・・・言い尽くせないですね!
2005/6/26(日) 午後 4:49 [ - ]
そうですね。たくさんの日本人がいれば、なかには変な人や怒りっぽい人もいたのでしょうが、そんな人ばかりではありませんからね。様々な角度から過去の日本人を知るという作業を、戦後の日本は怠ってきたのだと思います。
2005/6/26(日) 午後 5:30 [ teikokubungaku ]
うさ太郎さんからの意外な,でもそういう捉え方もあるんだろうな。と思わせるコメントでふと,気づきました。NHKの番組「プロジェクトX」に,あの戦争のテーマを扱った回があったのだろうか,なければあっても良いのではないかと。あの時代は別,そう自分でも思っているところもあるのかも。だとしても日本人だけが狂っていた時代ではなかったはず。
2005/12/16(金) 午前 8:46
「プロジェクトX」で、イランイラク戦争の際の邦人救出劇を放送したとき、なぜトルコが航空機を派遣してくれたのか、肝心のエルトゥールル号には一切触れなかったことは覚えていますけど・・・「プロジェクトX」の後釜はどんな番組なんでしょうね。
2005/12/16(金) 午後 1:34 [ teikokubungaku ]