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日本とは、日本人とは

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真珠湾攻撃
1941(昭和16)年12月8日、海軍機動部隊の空母から攻撃隊が発進、ハワイの真珠湾に停泊するアメリカ太平洋艦隊を空襲。同日、マレー半島のコタバルに陸軍部隊が上陸、イギリス軍と交戦。日本軍による快進撃が始まった。
マレー沖海戦ではイギリスの誇る最新鋭戦艦プリンセス・オブ・ウェールズとレパルスを撃沈。フィリピン、シンガポール、ジャワ、ビルマなどでも米英蘭軍を破り、日本は大勝利のうちに緒戦を制した。
日本の計画では、攻撃開始に先立って、アメリカに最後通告を行う予定となっていた。しかし実際は、開戦の30分前に渡すはずの通告文が、開戦から55分も経ってから渡すことになってしまったのだ。開戦前夜、日本大使館には最後通告の文書が送られていた。しかし、大使館員たちは同僚の送別会のため外出し、大使館には誰一人として居なかったのである。アメリカはこの文書も傍受し暗号解読しており、開戦を事前に知っていたのだが、この日本側の大失態を大いに利用し、日本が騙し討ちを行ったと内外に喧伝するのであった。
大東亜共栄圏
日本はこの戦争の目的を、アジアを欧米の支配から解放、独立させ、各国の提携による経済発展、人種撤廃などを謳った大東亜共栄圏の設立にあると宣言した。
長い間、白人によって支配され、抵抗する気力さえ失っていたアジアの人々にとって、同じような肌の色をした日本人の勇姿はまさに衝撃であった。そしてその衝撃はアジアにとどまらず、すべての有色人種のものとなり、衝撃は独立への勇気となり、希望へとなった。
神風特別攻撃隊
1942(昭和17)年6月のミッドウェー海戦を境に戦局は暗転する。1943(昭和18)年4月には、連合艦隊司令長官山本五十六が戦死。本土防衛の重要拠点であったマリアナ諸島では次々と玉砕。追い詰められた日本軍は、1944(昭和19)年10月のレイテ沖海戦で、世界を震撼させる作戦を敢行した。神風特別攻撃隊が死を覚悟した体当たり攻撃を行ったのである。これにより、多くの若者が護国の鬼と化し、桜花の如く散っていった。
東京大空襲
1945(昭和20)年2月、ソ連のヤルタにおいて、アメリカのルーズベルト、イギリスのチャーチル、ソ連のスターリンによる会談が行われた。この会談でルーズベルトは、ソ連が対日参戦することをスターリンに求め、その代償として南樺太と千島列島、満州の権益を認めるとの密約を行った。
1944(昭和19)年から、軍事基地や軍需工場を標的としたアメリカ軍による空襲が開始され、さらには戦意を喪失させる目的から、民間人を巻き込んだ無差別爆撃を全国各地で行うようになる。1945(昭和25)年3月10日未明、344機のB29爆撃機が東京上空に現れ、焼夷弾を大きな円周上に落として退路を断ち、その内側を絨毯爆撃し、およそ10万人もの生命を奪った。
1945(昭和20)年4月、沖縄本島でアメリカ軍との激しい戦闘が始まり、多数の民間人が犠牲となった。
原子爆弾
ドイツ降伏後の1945(昭和20)年7月、ルーズベルトの急死により大統領に昇格したトルーマンなど米英ソ三か国の首脳がベルリン郊外のポツダムに集まり、日本に対する戦争終結の条件を示したポツダム宣言を米英支3か国の共同声明として発表することを決めた。当初、日本に終戦への道を開くため天皇の地位を保証する条項がポツダム宣言の原案には入れられていたのだが、トルーマンはある思惑から、それを削除した。ポツダム宣言が発表され、鈴木貫太郎首相はこれを「黙殺」するとの声明を発表した。
1945(昭和20)年8月6日、アメリカは原子爆弾を広島に投下した。2日後、ソ連は中立条約を破って日本に宣戦布告、満州に侵攻した。1945(昭和20)年8月9日、アメリカは長崎に原爆を投下した。アメリカは空襲による被害の少ない地を選び、あえてそこに原爆を投下し、その破壊力を確かめたのである。トルーマンの思惑とはこれであった。広島、長崎の原爆による死者は、1945(昭和20)年12月までで、およそ21万人である。
玉音放送
1945(昭和20)年8月9日、御前会議が開かれた。ポツダム宣言の受諾について結論を出せず、翌日、鈴木首相は昭和天皇に聖断を仰いだ。昭和天皇はポツダム宣言の受諾を決断され、聖断は下った。
1945(昭和20)年8月15日正午、昭和天皇の玉音放送により国民は日本の敗戦を知った。

玉音放送(現代口語訳文)
私は深く世界の大勢と日本の現状について考え、非常の措置をもって事態を収拾しようと思い、ここに忠義なる国民に告げたいと思います。
私は政府に、米国、英国、支那、ソ連、四国に対し、その共同宣言を受諾することを通告させました。
そもそも日本国民の安全を確保し、世界の国々とともに栄えることを喜びとすることは、私の祖先から行ってきたことであり、私もそのように努めてまいりました。先に、米国、英国、二国に宣戦を布告したのも、日本の自立と東亜の安定を願ってのものでありまして、他国の主権を侵害したり、領土を侵犯したりするようなことは、もちろん私の意志ではありません。しかしながら、交戦はすでに四年が経ち、陸海将兵の勇敢な戦闘や、官僚、公務員たちの勤勉、一億国民の奉公、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転せず、世界の大勢もまた我々には有利とはなりませんでした。それのみなならず、敵は新たに残虐な爆弾を使用して、何の罪もない者を殺傷し、その被害はまったく図り知れません。それでもなお戦争を継続すれば、ついには我が民族の滅亡を招くのみならず、すべての人類の文明が破壊されることでしょう。そのような事態になったとしたら、私はどうしてわが子のような多くの国民を保ち、祖先の霊に謝罪することができるでしょうか。これこそが私が政府に共同宣言に応じるようにさせた理由なのです。
私は日本とともに終始東亜の解放に協力した友好国に対して、遺憾の意を表さざるを得ません。日本国民にして、戦場で没し、職場で殉職し、悲惨な最期を遂げた者、またその遺族のことを考えると、体中が引き裂かれる思いがします。さらに戦場で負傷し、戦禍にあい、家や職場を失った者の厚生については、私が深く心配するところであります。思うに、これから日本の受けるであろう苦難は尋常なことではないでしょう。国民の気持ちも私はよく知っております。しかしながら私はこれから、耐え難いことを耐え、忍び難いことを忍んで、永遠の平和が開かれることを求めるのです。
私は、ここに国体を守り忠義で善良な国民の真心を信頼し、常にその国民とともにあろうと思います。感情のままにみだりに争いごとをし、或いは国民同士がいがみあって、互いに時局を混乱に陥らせ、世界から信用を失うようなことになることを私は最も戒めます。国を挙げてひとつの家族として子孫ともども団結して、固く日本の不滅を信じ、道は遠くとも責任は重大であることを自覚し、総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし、志操を固くし、日本の栄光を再び輝かせるよう、世界の動きに遅れないように努力しなければなりません。国民はどうか私の気持ちを酌んで理解してください。


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