罪刑法定主義道路交通法の一部が改正され、平成16年11月1日より、自動車で運転者が走行中に携帯電話を使用する行為は交通の危険を生じさせなくとも罰則の対象となった。もし、この改正道路交通法が施行される以前に遡り、「あのとき走行中に携帯電話を使用していたはずだ」と咎められ、これを罰則の対象とすると指摘されたら、それを素直に受け入れることができるだろうか。 ある行為を犯罪として処罰するためには、犯罪とされる行為の内容、科される刑罰を、あらかじめ明確に規定しておかねばならない。このことを罪刑法定主義という。 また、実行時に適法であった行為を、事後に定めた罰則により遡って処罰すること、または実行時よりも後に定められたより厳しい罰により処罰することを禁じるのを、法の不遡及という。これは近代法における大原則である。 「平和に対する罪」1946(昭和21)年1月26日、マッカーサーの命令により極東国際軍事裁判所条例が公布され、裁判所の管轄権が「平和に対する罪」、「通常の戦争犯罪」、「人道に対する罪」に及ぶものとし、訴因に「平和に対する罪」が含まれている被告を裁く権限を有するとした。極東国際軍事裁判、通称東京裁判において弁護団の中心人物であった清瀬一郎弁護人は、1946(昭和21)年5月、管轄権に関する動議を提出した。「当裁判所においては、平和に対する罪、また人道に対する罪につきお裁きになる権限がないということであります」として、清瀬は動議についての説明をした。その骨子は次の通りである。 当裁判所は連合国が発したポツダム宣言の第10条を根拠として設置されたものであり、ポツダム宣言は「降伏文書」によって確認受諾されたものであるから、日本のみならず連合国もポツダム宣言の条項に拘束されている。即ち当裁判所は、同条項に規定されている以外の戦争犯罪人を裁判する権限はない。
極東国際軍事裁判所条例には、「平和に対する罪」「人道に対する罪」という明文があるが、連合国にこれらの罪を裁く権限がなければ、連合国から権限を委任された最高司令官はやはりその権限がない。ポツダム宣言が発せられた1945年7月26日当時、連合国および日本において、戦争犯罪とは何と考えられていたか。その当時、世界各国で知られていた戦争犯罪は、戦争法規、慣例を犯した罪ということである。「平和に対する罪」、即ちその戦争の性質がどのようなものであっても、戦争を計画すること、準備すること、始めること、および戦争それ自体を罪とするということは1945年7月当時の文明国共通の観念ではない。 ドイツと日本とは降伏の仕方が違う。ドイツは最後まで抵抗しヒトラーも戦死し、ついに崩壊してまったく文字通りの無条件降伏をした。それゆえ、ドイツの戦争犯罪人に対しては、連合国は裁判をしないで処罰することもできたかもしれない。しかし、日本はポツダム宣言を受諾しての有条件降伏であり、ニュルンベルクにおける裁判を日本に持ちこむことは、絶対に間違いである。 1928年のパリ不戦条約は、国家の政策の手段として戦争を始めることを非難しているが、戦争を始めることを犯罪とした条約ではない。 連合国は今回の戦争の目的の一つが国際法の尊重であるとしている。ならば国際法上の戦争犯罪の範囲を超越することはないと、日本は信じていたのである。 まさに正論である。東京裁判とは、「平和に対する罪」、「人道に対する罪」などの事後法を作り上げ、合法的手続きの仮面を被った、戦勝国の敗戦国に対する復讐劇にすぎないのだ。 ところが、ウェッブ裁判長は「管轄に関するすべての動議を却下する。その理由は将来宣明する」として、裁判の続行を図ったのだった。そして、これについての明瞭な説明はその後、ついになかったのである。 関連記事
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2005年05月19日
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北朝鮮の貨客船万景峰号が19日、在日朝鮮人ら203人と、食料品などおよそ100トンを載せ、北朝鮮の元山港に向けて新潟港を出港した。
18日の国土交通省の船舶検査では油圧装置の油漏れなど3か所で軽微な違反が見つかり、文書で改善を指導したが、海上保安庁と税関、入国管理局が合同で行った出航前の立ち入り検査では、違反は見つからなかった。 次回の入港は23日の予定で、6月までに5回の入港が予定されている。 横田めぐみさんを返せ。
万景峰号が入港する映像を見ていると、腹が立ってくる。貨客船ではなく工作船だろ、あの船は。 |
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