中国の旅
向井敏明、野田毅の両氏は、「百人斬り競争」により捕虜と非戦闘員を殺害した戦争犯罪人として、南京の雨花台で銃殺刑に処せられた。
向井敏明氏の次女、千恵子氏は、「戦犯の子供」という世間の冷たい視線を浴び、貧しい生活に耐えながらも、就職、結婚と、その人生を必死に歩み続けた。
1971(昭和46)年、朝日新聞は本多勝一記者の「中国の旅」の連載を開始した。そして、この「中国の旅」が、千恵子氏の人生をさらに狂わせることになるのであった。
本多記者は、創作記事である「百人斬り競争」を、中国人の伝聞として、あたかも真実であるかのように大々的に取り上げた。そこには、上官の命令により「殺人ゲーム」が繰り返され、非戦闘員である中国人が、向井、野田という殺人鬼によって殺害されたという物語が描かれていたのである。
「中国の旅」は単行本化され、ベストセラーとなった。千恵子氏の職場ではいろいろと囁かれるようになり、家庭内もギクシャクするようになった。そして、夫までもが千恵子氏を「人殺しの娘だ」と責め立てるようになり、ついに家庭は崩壊し、離婚へと至るのであった。
「バカヤロー、人間のクズめ!」
千恵子氏は、1988(昭和63)年から、南京にある記念館へと足を運ぶようになり、展示コーナーのパネルとなった父と対面する「中国の旅」を始めた。
1997(平成9)年、宮城県教組などの教育研究機関が作成した授業プランに沿って、仙台市内の小学校で東京日日新聞の「百人斬り競争」の記事が授業の副教材として使われていたことが報じられた。
小学6年生の女の子は授業の感想を次のように書き、教師から三重丸をもらっている。
ちょっとひどすぎるよ、日本も! おーい 野田さーん 向井さーん
バカヤロー 人で遊ぶんじゃねー! コラー オラー 人間のクズめ!
日本のはじ! フー すっきりした!
ちょっと頭おかしいんじゃない。のう神けい外科にでも行ってみてもらったら?
中国の人達がかわいそう
2003(平成15)年、千恵子氏ら遺族は、毎日新聞、朝日新聞、本多勝一氏らを相手に、謝罪広告の掲載などを求め、提訴に踏み切った。すると、中国政府から突然ビザが下りなくなり、千恵子氏の旅は妨げられるようになった。
「日華親善、東洋平和の因ともなれば捨石となり幸ひです」としてこの世を去った向井敏明、野田毅の両氏は、パネルの前を通り過ぎる日本からの修学旅行生の姿に何を思うのであろうか。
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