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修身教育
乃木大将の少年時代(『初等科修身 二』)
乃木大将は、小さい時、からだが弱く、その上、おくびょうでありました。そのころの名を無人といいましたが、寒いといっては泣き、暑いといっては泣き、朝晩よく泣いたので、近所の人は、大将のことを、無人ではない泣人だと、いったということであります。
父は、長府の藩士で、江戸にいましたが、自分の子どもがこう弱虫では困る、どうかして、子どものからだを丈夫にし、気を強くしなければならないと思いました。
そこで、大将が四五歳の時から、父は、うす暗いうちに起して、ゆきかえり一里もある高輪の泉岳寺へ、よくつれて行きました。泉岳寺には、名高い四十七士の墓があります。父は、みちみち義士のことを聞かせて、その墓にお参りしました。
ある年の冬、大将が、思わず「寒い。」といいました。父は、
「よし。寒いなら、暖かくなるようにしてやる。」
といって、井戸ばたへつれて行き、着物をぬがして、頭から、つめたい水をあびせかけました。大将は、これからのち一生の間、「寒い。」とも「暑い。」ともいわなかったということであります。
母もまた、えらい人でありました。大将が、何かたべ物のうちに、きらいな物があるとみれば三度三度の食事に、かならずそのきらいな物ばかり出して、すきになれるまで、うちじゅうの者が、それをたべるようにしました。それで、まったく、たべ物にすききらいがないようになりました。
大将が十歳の時、一家は長府へ帰ることになりました。その時、江戸から大阪まで、馬にもかごにも乗らず、父母といっしょに歩いて行きました。そのころ、からだが、もうこれだけ丈夫になっていたのです。
長府の家は、六じょう、三じょうの二間と、せまい土間があるだけの、小さなそまつな家でありました。けれども、刀、やり、なぎなたなど、武士のたましいと呼ばれる物は、いつもきらきら光っていました。
この父母のもとで、この家に育った乃木大将が、一生を忠誠と質素で押し通して、武人の手本と仰がれるようになったのは、まことにいわれのあることであります。

「修身」とは、古今東西の偉人らの逸話を通じて、努力、忍耐、責任、公益、勤勉などの徳目を子供たちに学ばせ、人格を陶冶する教科であった。
1945(昭和20)年12月31日、民間情報教育局は、修身、国史、地理の授業を即時中止するよう指令を発し、これらの教科書の回収が命じられ、修身は葬り去られることとなった。
『精撰「尋常小學修身書」』の監修者八木秀次氏は、自身の幼少期のエピソードを交えながら、修身を学んだ世代は具体的な人物像を通じて血の通った形で道徳を学んでいたと指摘し、「共通の人物像を結ぶことで、親と子が、兄弟が、夫婦が、職場の同僚が、共通の了解を行ない、それが人々の間に価値観の共有とコミュニケーションを生んでいる。ここには『世代の断絶』も『価値観の相違』ということもない」と同書で述べている。
戦後の日本では、修身教育は軍国主義の象徴と見なされ、その文脈で道徳教育までもが忌避されてきた。その結果が、現在の日本の姿である。繰り返される青少年による凶悪犯罪、学校崩壊に家庭崩壊。堕落しきった日本人を矯正し、日本人が見失ってしまった価値観、「古き良き日本」を取り戻すためには、いまこそ修身教育が求められるべきではなかろうか。


真相はかうだ
1945(昭和20)年12月9日、民間情報教育局は「太平洋戦争史」をもとに、ラジオ番組「真相はかうだ」の放送を開始させた。
番組は日曜日の午後8時からNHKで放送され、全10回、1946(昭和21)年2月まで続いた。その後、「真相箱」、「質問箱」と名称を変えながら、1948(昭和23)年1月まで続けられるのであった。
櫻井よしこ著『「眞相箱」の呪縛を解く』によると、番組は毎回、次のような形で始まり、反軍国主義思想の文筆家が太郎という少年に話を聞かせるという構成で、戦争を連想させる音響効果を大袈裟に使いながら状況を盛り上げていくドキュメンタリー形式であったという。

(ナレーター1)−我々日本国民を裏切った人々は、今や白日のもとにさらされております。戦争犯罪容疑者たる軍閥の顔ぶれはもうわかっています。
(別の声)−それはだれですか。
(別の声)−だれです?
(別の声)−というと?
(ナレーター1)−まあまあ、待ってください。
(音楽が高まり、徐々に低くなる)
(ナレーター2)−これが、連続放送「真相はこうだ」の第1回目であります。この放送によって、大戦の偽りのない事実と、戦争を引き起こすに至ったいきさつがおわかりになることと存じます。これは皆様に関係の深い話であります。

番組の放送が開始されると、それまで日本人を支えてきた価値観が全面的に否定され、日本が断罪される内容に日本国民は強い拒否反応を示し、NHKには批判や反発の手紙が殺到することとなった。

真相箱
日本人の世論を激昂させ、一致団結させることにもなりかねないと感じた民間情報教育局は、「真相箱」では断定的な口調を止め、聴取者からの質問に答えるという形式で、より巧妙な手法を用いた宣伝を行った。
櫻井よしこ氏は、「真相箱」の設問が極めて意図的であり、設問の裏に隠された意図は容易に見えてくるとし、この宣伝は次のような理由から効果を発揮したのではないかと分析している。

なぜなら彼らが使っている手法は、真実のなかに、一部の虚偽を織り交ぜるそれであるからだ。
聴取者はそこにちりばめられている真実のために、巧みに交ぜられている虚偽も含めて真実に違いないと思いこみがちだ。
虚偽が混ざっていても、正確に分析するのは難しい。どこまでが真実で、どこまでが虚偽かを見分けるのは語られている戦争を実際に体験した人や専門家でなければ難しいことだろう。だが敗戦のショックから、日本の戦争体験者は多くを語らなかった。GHQ主導の社会が彼らが語るような環境をつくらせなかったといってよい。また、専門家もGHQの意向に逆らう言論は口にしかねた。こうして、一般の人々は、おかしいと直感的に思いながらも、一体どこがどのようにおかしいのか、明確にできないまま、それを受け入れ、あるいは聞き流すしかなかったのではないか。
虚偽の情報が積み重なっていけば、長い時間の中でそれらは「真実」に変身していく。

言うまでもなく、これらの番組は、東京裁判と同じ時期に放送されていた。日本側の戦時指導者が逮捕され、日本が犯罪国家として裁かれることが倫理的に正当であると日本国民を納得させようとする、巧妙な心理操作が行われていたのだ。
そして、これら「刷り込み」の本当の効果があらわれるのは、まだまだ先のことであった。


精神的武装解除
占領下の日本では、民間情報教育局(CI&E)による「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画、WGIP)」が展開され、日本人の歴史観、道徳観を悉く否定し、徹底的に破壊しようとする試みがなされた。
ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムは、日本人に戦争の罪悪感を植えつけ、民族の誇りと自尊心を奪い、日本が再びアメリカ及び連合国の脅威とならないよう、徹底的に無力化、弱体化させることが目的であった。
民間検閲支隊による検閲と民間情報教育局による宣伝は相乗効果をなし、日本人の精神的武装解除、「去勢」のプログラムは動き始めたのだった。
太平洋戦争史
1945(昭和20)年12月8日、「太平洋戦争史」の掲載が新聞各紙で始まった。「連合軍司令部提供」の同記事は、「今や日本国民が今次戦争の完全なる歴史を知ることは絶対に必要である」とし、日本軍がいかに残虐であったか、日本の軍国主義者がいかに非道であったかを強調するものであった。
「太平洋戦争史」掲載開始から1週間後の12月15日、所謂「神道指令」により、「大東亜戦争」という呼称は禁止となった。これは、単なる言葉の入れ替えにとどまらず、その言葉に託された一切の意味と価値観を必然的に入れ替えるものであった。日本人の立場からの「大東亜戦争」史観は抹殺され、連合国の立場による「太平洋戦争」史観が強要されたのだ。
江藤淳氏は著書『閉された言語空間』の中で、「歴史記述をよそおってはいるが、これが宣伝文書以外のなにものでもない」とし、次のような指摘をしている。

そこにはまず、「日本の軍国主義者」と「国民」とを対立させようという意図が潜められ、この対立を仮構することによって、実際には日本と連合国、特に日本と米国とのあいだの戦いであった大戦を、現実には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」とのあいだの戦いにすり替えようとする底意が秘められている。
これは、いうまでもなく、戦争の内在化、あるいは革命にほかならない。「軍国主義者」と「国民」の対立という架空の図式を導入することによって、「国民」に対する「罪」を犯したのも、「現在および将来の日本の苦難と窮乏」も、すべて「軍国主義者」の責任であって、米国には何らの責任もないという論理が成立可能になる。大都市の無差別爆撃も、広島・長崎への原爆投下も、「軍国主義者」が悪かったから起った災厄であって、実際に爆弾を落した米国人には少しも悪いところはない、ということになるのである。
そして、もしこの架空の対立の図式を、現実と錯覚し、あるいは何らかの理由で錯覚したふりをする日本人が出現すれば、CI&Eの「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」は、一応所期の目的を達成したといってよい。つまり、そのとき、日本における伝統的秩序破壊のための、永久革命の図式が成立する。以後日本人が大戦のために傾注した夥しいエネルギーは、二度と米国に向けられることなく、もっぱら「軍国主義者」と旧秩序の破壊に向けられるにちがいないから。

1945(昭和20)年12月31日、民間情報教育局は、修身、国史、地理の授業を即時中止するよう指令し、翌年4月、文部省は、新聞連載終了後に単行本として刊行された『太平洋戦争史』を、国史等授業停止中の教材として使用するよう通達した。
10万部の『太平洋戦争史』は教育現場に浸透し、戦後の日本に深刻な影響力を及ぼすのであった。


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事前検閲
民間検閲支隊内に新聞映画放送部(PPB)が新設され、要員事情が許す限り主要新聞は事前検閲、それ以外の新聞はすべて事後検閲の対象となった。また、あらゆる形態の印刷物、通信社、ラジオ放送、映画、宣伝媒体に属する他の娯楽も検閲を受けることとなった。
1945(昭和20)年10月8日より、同盟通信社に対して実施されていた事前検閲は、朝日、毎日、読売報知、日本産業経済、東京新聞の在京5紙に拡張された。
検閲により削除が命じられた箇所は、墨で塗りつぶす、余白として残す、○○○等によって埋めるなどの方法を取ってはならないとされた。これは、検閲の秘匿を徹底させるためであった。
検閲指針
「削除または掲載発行禁止の対象となるもの」として30項目からなる検閲指針が纏められ、連合国批判、東京裁判批判につながる一切の言論は封じ込められた。

1.SCAP−連合国最高司令官(司令部)に対する批判
2.極東軍事裁判批判
3.SCAPが憲法を起草したことに対する批判
4.検閲制度への言及
5.合衆国に対する批判
6.ロシアに対する批判
7.英国に対する批判
8.朝鮮人に対する批判
9.中国に対する批判
10.他の連合国に対する批判
11.連合国一般に対する批判
12.満州における日本人取り扱いについての批判
13.連合国の戦前の政策に対する批判
14.第三次世界大戦への言及
15.ソ連対西側諸国の「冷戦」に関する言及
16.戦争擁護の宣伝
17.神国日本の宣伝
18.軍国主義の宣伝
19.ナショナリズムの宣伝
20.大東亜共栄圏の宣伝
21.その他の宣伝
22.戦争犯罪人の正当化および擁護
23.占領軍兵士と日本女性との交渉
24.闇市の状況
25.占領軍軍隊に対する批判
26.飢餓の誇張
27.暴力と不穏の行動の扇動
28.虚偽の報道
29.SCAPまたは地方軍政部に対する不適切な言及
30.解禁されていない報道の公表


フーヴァー声明
ポツダム宣言第13条が明示すように、同宣言によって無条件降伏したのは「全日本国軍隊」であり、日本政府は同宣言の提示した条件を受諾しての「有条件降伏」であった。条件のひとつポツダム宣言第10条には「言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立せらるべし」とある。占領期間を通じて、民間検閲支隊(CCD)をはじめとする占領軍検閲機関の存在が秘匿され続け、検閲への言及が厳禁された根本原因はポツダム宣言にあった。
占領当初、連合国と日本の地位は対等であり、相互の関係は双務的であって、その契約はポツダム宣言によって保証されていると日本の報道機関は確信していた。ところが、1945(昭和20)年9月14日、同盟通信社は24時間の業務停止を命じられ、民間検閲支隊長のフーヴァー大佐は翌日、同盟通信社社長、日本放送協会会長らを召致し、次のような声明を読み上げた。

諸君をここに召致したのは、新聞とラジオが日本全国に配布しているニュースの検閲について命令するためである。
マッカーサー元帥は、連合国がいかなる意味においても、日本を対等と見なしていないことを明瞭に理解するよう欲している。諸君が国民に提供してきた色つきのニュースの調子は、あたかも最高司令官が日本政府と交渉しているような印象をあたえている。交渉というものは存在しない。国民は連合国との関係においての日本政府の地位について、誤った観念を抱くことを許されるべきではない。
最高司令官は日本政府に命令する。交渉するのではない。交渉は対等のもの同士のあいだで行われるのである。日本人は、すでに世界の尊敬を獲得し、最高司令官の命令に関して交渉することのできる地位を得たと信じるようなことがあってはならない。
今後日本国民に配布される記事は、一層厳重な検閲を受けることになる。新聞とラジオは引き続き100パーセント検閲される。虚偽の報道や人心を誤らせる報道は許されない。連合国に対する破壊的批判も然りである。

フーヴァー大佐のこの声明は、ポツダム宣言の規定する日本と連合国との双務的な関係を否定する一方的な宣言であった。
プレス・コード
1945(昭和20)年9月21日、日本新聞遵則(日本出版法、プレス・コード)、日本放送遵則(ラジオ・コード)が報道関係者に公表された。

日本出版法
第1条 報道は厳に真実に則するを旨とすべし。
第2条 直接又は間接に公安を害するが如きものは之を掲載すべからず。
第3条 聯合国に関し虚偽的又は破壊的批評を加ふべからず。
第4条 聯合国進駐軍に関し破壊的批評を為し又は軍に対し不信又は憤激を招来するが如き記事は一切之を掲載すべからず。
第5条 聯合国軍隊の動向に関し、公式に記事解禁とならざる限り之を掲載し又は論議すべからず。
第6条 報道記事は事実に則して之を掲載し、何等筆者の意見を加ふべからず。
第7条 報道記事は宣伝の目的を以て之に色彩を施すべからず。
第8条 宣伝を強化拡大せんが為に報道記事中の些末的事項を過当に強調すべからず。
第9条 報道記事は関係事項又は細目の省略に依つて之を歪曲すべからず。
第10条 新聞の編輯に当り、何等かの宣伝方針を確立し、若しくは発展せしめんが為の目的を以て記事を不当に顕著ならしむべからず。

1945(昭和20)年9月29日には、言論機関がいかなる政策ないしは意見を表明しようとも、新聞、その発行者、または新聞社員に対して、日本政府は決して懲罰的措置を講じてはならないとする「新聞と言論の自由に関する新措置」が指令された。
遵則により連合国に不都合な記事は全て封じ込められ、「新聞と言論の自由に関する新措置」によって国家に対する忠誠義務から解放された日本の言論機関には、連合国の「政策ないしは意見を表明する」機関へとなる道しか残されていなかった。


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