真相はかうだ
1945(昭和20)年12月9日、民間情報教育局は「太平洋戦争史」をもとに、ラジオ番組「真相はかうだ」の放送を開始させた。
番組は日曜日の午後8時からNHKで放送され、全10回、1946(昭和21)年2月まで続いた。その後、「真相箱」、「質問箱」と名称を変えながら、1948(昭和23)年1月まで続けられるのであった。
櫻井よしこ著『「眞相箱」の呪縛を解く』によると、番組は毎回、次のような形で始まり、反軍国主義思想の文筆家が太郎という少年に話を聞かせるという構成で、戦争を連想させる音響効果を大袈裟に使いながら状況を盛り上げていくドキュメンタリー形式であったという。
(ナレーター1)−我々日本国民を裏切った人々は、今や白日のもとにさらされております。戦争犯罪容疑者たる軍閥の顔ぶれはもうわかっています。
(別の声)−それはだれですか。
(別の声)−だれです?
(別の声)−というと?
(ナレーター1)−まあまあ、待ってください。
(音楽が高まり、徐々に低くなる)
(ナレーター2)−これが、連続放送「真相はこうだ」の第1回目であります。この放送によって、大戦の偽りのない事実と、戦争を引き起こすに至ったいきさつがおわかりになることと存じます。これは皆様に関係の深い話であります。
番組の放送が開始されると、それまで日本人を支えてきた価値観が全面的に否定され、日本が断罪される内容に日本国民は強い拒否反応を示し、NHKには批判や反発の手紙が殺到することとなった。
真相箱
日本人の世論を激昂させ、一致団結させることにもなりかねないと感じた民間情報教育局は、「真相箱」では断定的な口調を止め、聴取者からの質問に答えるという形式で、より巧妙な手法を用いた宣伝を行った。
櫻井よしこ氏は、「真相箱」の設問が極めて意図的であり、設問の裏に隠された意図は容易に見えてくるとし、この宣伝は次のような理由から効果を発揮したのではないかと分析している。
なぜなら彼らが使っている手法は、真実のなかに、一部の虚偽を織り交ぜるそれであるからだ。
聴取者はそこにちりばめられている真実のために、巧みに交ぜられている虚偽も含めて真実に違いないと思いこみがちだ。
虚偽が混ざっていても、正確に分析するのは難しい。どこまでが真実で、どこまでが虚偽かを見分けるのは語られている戦争を実際に体験した人や専門家でなければ難しいことだろう。だが敗戦のショックから、日本の戦争体験者は多くを語らなかった。GHQ主導の社会が彼らが語るような環境をつくらせなかったといってよい。また、専門家もGHQの意向に逆らう言論は口にしかねた。こうして、一般の人々は、おかしいと直感的に思いながらも、一体どこがどのようにおかしいのか、明確にできないまま、それを受け入れ、あるいは聞き流すしかなかったのではないか。
虚偽の情報が積み重なっていけば、長い時間の中でそれらは「真実」に変身していく。
言うまでもなく、これらの番組は、東京裁判と同じ時期に放送されていた。日本側の戦時指導者が逮捕され、日本が犯罪国家として裁かれることが倫理的に正当であると日本国民を納得させようとする、巧妙な心理操作が行われていたのだ。
そして、これら「刷り込み」の本当の効果があらわれるのは、まだまだ先のことであった。
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