teikokubungaku

日本とは、日本人とは

日本の記憶

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]

ラモス瑠偉
日の丸−。最高だ。こんなに美しい国旗、他にないよ。
どんなに苦しくても、膝が痛くても、日の丸をつけていると思うと頑張れる。ほんと不思議。これまで何度もそんなことがあったね。
ユニフォームの日の丸。スタンドで揺れる日の丸。日の丸が目に入ると、こんなところで諦めていいのかって、また闘志が湧いてくるんだ。
日の丸をつけて、君が代を聞く。最高だ。武者震いがするもの。体中にパワーがみなぎってくる。でも、日本の選手の中にはそうじゃないヤツもいる。不思議でしょうがないよ。日の丸をつけるって、国を代表するってことだよ。選ばれた選手にしか与えられないものじゃない。国を代表して戦うって、スゴイことなんだよ。それを忘れているんじゃないかって思う。
ワールドカップを見てみろよ。みんなあんなに必死になって戦うのは、国の代表だからだろ。国を愛し、家族を愛し、仲間を愛しているからだろ。日本はそこんとこから外国に負けてる。自分のためだって? そんなの当たり前じゃない。じゃあなぜ、もっと大きいものを背負わないの?
オレ、日の丸背負ってなかったら、あんなに頑張れなかったよ。ドーハの時、オレは38歳。あのクソ暑い中で、そんなオジサンが全試合、それもほとんどフル出場。練習だって若いヤツらと同じメニューをこなしてたんだ。自分のためだけだったら、とっくに辞めてたよ。
(ラモスの黙示録)

三島由紀夫の檄文

楯の會隊長 三島由紀夫
われわれ楯の會は、自衛隊によつて育てられ、いはば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このやうな忘恩的行為に出たのは何故であるか。かへりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後つひに知らなかつた男の涙を知つた。ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同士として共に富士の原野を馳駆した。このことは一点の疑ひもない。われわれにとつて自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で凛冽の気を呼吸できる唯一の場所であった。教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなほ敢てこの挙に出たのは何故であるか。たとへ強弁と云はれようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。
われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力慾、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見てゐなければならなかつた。われわれは今や自衛隊にのみ、眞の日本、眞の日本人、眞の武士の魂が残されているのを夢みた。しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によつてごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなしてゐるのを見た。もつとも名誉を重んずべき軍が、もつとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負ひつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与へられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与へられず、その忠誠の対象も明確にされなかつた。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤つた。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽くすこと以上に大いなる責務はない、と信じた。
四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の會を結成した。楯の會の根本理念は、ひとへに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために命を捨てようといふ決心にあつた。憲法改正がもはや議会制度下ではむづかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となつて命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。政体を警察力を以て守りきれない段階に来てはじめて軍隊の出動によつて国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであらう。日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねじ曲がつた大本を正すといふ使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしてゐたのである。
しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起つたか。総理訪米前の大詰ともいふべきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に終つた。その状況を新宿で見て、私は「これで憲法は変らない」と痛恨した。その日に何が起つたか、政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢て「憲法改正」といふ火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。治安出動は不用になつた。政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自身を得、国の根本問題に対して頬つかぶりをつづける自信を得た。これで左派勢力には憲法護持のアメ玉をしやぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら護憲を標榜することの利点を得たのである。名を捨てて実をとる! 政治家にとつてはそれでよからう。しかし自衛隊にとつては致命傷であることに政治家は気づかない筈はない。そこで、ふたたび前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまつた。
銘記せよ! 実はこの昭和四十五年十月二十一日といふ日は、自衛隊にとつては悲劇の日だつた。創立以来二十年に亘つて憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとつて、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だつた。論理的に正に、この日を境にして、それまで憲法の私生児であつた自衛隊は「護憲の軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあらうか。
われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みてゐたやうに、もし自衛隊に武士の魂が残つてゐるならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であらう。男であれば男の矜りがどうしてこれを容認しえよう。我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば決然起ち上るのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。しかし自衛隊のどこからも「自らを否定する憲法を守れ」といふ屈辱的な命令に対する男子の声はきこえては来なかつた。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかつてゐるのに、自衛隊は声を奪はれたカナリヤのやうに黙つたままだつた。
われわれは悲しみ、怒り、つひには憤激した。諸官は任務を与へられなければ何もできぬといふ。しかし諸官に与へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本から来ないのだ。シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、といふ。しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のやうに人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。
この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩まうとする自衛隊は魂が腐つたのか。武士の魂はどこへ行つたのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になつて、どこへ行かうとするのか。繊維交渉に当つては自民党を売国奴呼ばはりした繊維業者もあつたのに、国家百年の大計にかかはる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにかかはらず、抗議して腹を切るジェネラル一人、自衛隊からは出なかつた。沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであらう。
われわれは四年待つた。最後の一年は熱烈に待つた。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待たう。共に起つて義のために共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻してそこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。もしゐれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを熱望するあまり、この挙に出たのである。

開く トラックバック(1)

ラジャー・ダト・ノンチックの詩
かつて 日本人は
清らかで美しかった
かつて 日本人は
親切でこころ豊かだった
アジアの国の誰にでも
自分のことのように
一生懸命つくしてくれた

何千万人もの 人のなかには
少しは 変な人もいたし
おこりんぼや わがままな人もいた
自分の考えを おしつけて
いばってばかりいる人だって
いなかったわけじゃない

でも その頃の日本人は
そんな少しの いやなことや
不愉快さを越えて
おおらかで まじめで
希望に満ちて明るかった

戦後の日本人は
自分たち日本人のことを
悪者だと思い込まされた
学校でも ジャーナリズムも
そうだとしか教えなかったから
まじめに
自分たちの父祖や先輩は
悪いことばかりした残酷無情な
ひどい人たちだったと 思っているようだ

だから アジアの国に行ったら
ひたすら ペコペコあやまって
私たちはそんなことはいたしませんと
言えばよいと思っている

そのくせ 経済力がついてきて
技術が向上してくると
自分の国や自分までが
えらいと思うようになってきて
うわべや 口先では
済まなかった悪かったと言いながら
ひとりよがりの
自分本位の えらそうな態度をする
そんな
今の日本人が 心配だ

本当に どうなっちまったんだろう
日本人は そんなはずじゃなかったのに
本当の日本人を知っているわたしたちは
今は いつも 歯がゆくて
くやしい思いがする

自分のことや
自分の会社の利益ばかり考えて
こせこせと
身勝手な行動ばかりしている
ヒョロヒョロの日本人は
これが本当の日本人なのだろうか

自分たちだけで 集まっては
自分たちだけの 楽しみや
ぜいたくに ふけりながら
自分がお世話になって住んでいる
自分の会社が仕事をしている
その国と 国民のことを
さげすんだ眼でみたり
バカにしたりする

こんな ひとたちと
本当に仲よくしてゆけるだろうか
どうして
どうして日本人は
こんなになってしまったんだ

(土生良樹著『日本人よありがとう』)

開く トラックバック(1)

ペリリュー島
第一次大戦後、南洋諸島の赤道以北の島々は日本の委任統治領となった。パラオには南洋庁が設置され、多数の日本人が移住し、病院や学校などが建設された。パラオの人々は日本語による教育を受け、農業などの産業育成が熱心に行われ、パラオは急速に発展した。
大東亜戦争末期の1944(昭和19)年、アメリカ軍はパラオにも迫っていた。なかでもペリリュー島は、日米両軍に多数の死傷者を出す激戦地となった。アメリカ軍がいよいよペリリュー島に上陸しようとするその時、ペリリュー島の島民は日本人を慕うあまり、大人から子供までが日本軍と一緒に戦うことを決意した。しかし、島民を巻き込んではならないと日本軍はそれを許さず、空襲を避けつつ夜間、全員を船舶でパラオ本島に避難させた。
すでに制海権、制空権を握られ、圧倒的な戦力の差、弾丸や食糧の補給もない状況で日本軍は果敢に戦い、持久戦を耐え、ついに玉砕した。戦いが終わり、島民が島に戻ると、そこには多数の日本兵の遺体が放置されていた。島民は涙を流し、遺体を丁重に葬り、自分たちの島を守って散った兵士たちの墓を建て、その墓を守り続けることを誓った。今日でも彼らの手によって墓は掃き清められ、彼らは遠い昔を懐かしむかのように日本の歌を口ずさんでいるという。
月の丸
日本の敗戦により、パラオはアメリカの信託統治領となった。アメリカは、日本が育成した農業や、教育の普及に驚いた。そして、円滑な統治の妨げになるとして、農地をブルドーザーで破壊し、舗装された道路を剥がし、南洋神社などを取り壊した。アメリカはパラオに多額の財政援助を行うが、単純な財政援助、アメリカ文化の流入により、人々はしだいに労働意欲を失い、日本の統治時代に培った勤勉さ、治安の良さは失われようとしていた。
1994年、パラオはついにアメリカから独立することとなった。独立にあたり国旗を制定することになり、日本の「日の丸」に似せ、青地に黄色の「月の丸」が採用されることとなった。日の丸の部分の黄色は月を表し、周囲の青地は海を表す。月は太陽によって輝くことができる。日の丸を掲げ、勇気と国を想う心があればアメリカよりも強くなれることを教えて死んでいった日本兵の勇敢さと純粋さにパラオの人々は大きな魅力と尊敬を捧げ、この国旗を選んだのだという。
独立後、国定の歴史教科書が作られ、日本統治時代は「日の丸の旗のもとに」というタイトルで詳しく記述され、産業や教育などについて、日本人は厳しくもパラオの発展に大きく貢献したことが記されている。
パラオの人々は、日本人を敬い、日本統治時代を懐かしみ、子供に日本風の名前を付けることも多く、パラオ人の8割はその姓名のいずれかに日本風の名前が付けられているという。
友好の橋
1995(平成7)年10月、パラオでは独立一周年を祝う式典が開催されていた。各国の元首から祝電が届くなか、パラオの人々が待ち望んでいた日本政府からの祝電は、ついに読み上げられることはなかった。パラオ国民はそれを大変悲しんだという。当時の日本の首相は社会党の村山富市であった。
1977年、コロール島とバベルドアブ島を繋ぐKBブリッジ(Koror-Babeldaob Bridge)が開通した。ところが、これが全くデタラメな手抜き工事で、橋の中央部はたわみ、やがて橋は揺れ動きだし、1996年、KBブリッジはついに真っ二つに折れ崩落した。橋の内部には水道、電気、電話線が通っていたため住民の生活手段は悉く麻痺し、一時は国家非常事態宣言が出された。
パラオ政府は、この橋を施行した韓国の業者に賠償を請求するが、その業者は既に解散しており韓国側はこれを拒否、パラオの人々は途方に暮れてしまった。
そこで、日本の政府開発援助により新たな橋を無償で架けることとなった。2002(平成14)年1月、開通式典が行われ、橋の新しい名称が発表された。その名も「Japan-Palau Friendship Bridge」である。
天皇、皇后両陛下の「南洋諸島の島々を慰霊に訪問したい」という意向から、2004(平成16)年3月にパラオなどを公式訪問される計画が立てられたが、交通手段などの理由により取りやめとなった。この決定を両陛下は容易に納得されなかったという。パラオの人々は、いつの日か、両陛下がパラオを訪問されることを、心から待っているのである。

開く トラックバック(1)

タイムリミットは48時間
1985(昭和60)年3月17日、イランイラク戦争が激化する中、イラクのフセイン大統領は、「3月19日午後8時をもってイラン上空を飛行するすべての航空機を撃ち落とす」との衝撃的な声明を発表した。
イランの首都テヘランには300名ほどの日本人が在住していた。タイムリミットは48時間。テヘラン空港はイランを脱出しようとする人で溢れかえっていた。各国航空会社は自国民を優先し、日本人ははじき出されてしまう格好となった。当時の日本には政府専用機もなく、民間機も安全が保証されていないとして、日本からの救援機派遣は断念せざるを得ない状況であった。テヘラン市内では空襲が激しさを増し、孤立した日本人たちの不安は最高潮に達していた。
エルトゥールル号の遭難
1890(明治23)年9月16日夜、オスマン帝国、現在のトルコから親善のため日本を訪れていたエルトゥールル号は、帰路台風に遭い、和歌山県樫野崎灯台沖に連なる岩礁に激突し、機関部の浸水により爆発、沈没した。
荒れ狂う海に投げ出された乗組員の一人が崖をよじ登り灯台に辿り着いた。灯台守は村人たちに事故を知らせ、村人たち総出で生存者を必至に救助し、献身的に介抱を行った。死者、行方不明者587名の大惨事で、69名の乗組員が救出された。台風で出漁が出来ず、それでなくとも貧しい生活を送っていた村人たちは、非常用のにわとりを供出してまで、生まれて初めて見る異国人の回復に努めた。
エルトゥールル号の遭難は和歌山県知事に伝えられ、明治天皇に言上された。明治天皇は可能な限り援助するようにと指示され、医者と看護婦を派遣された。そして生存者は、比叡、金剛の軍艦2隻によって、無事、オスマン帝国へと送還された。
エルトゥールル号の遭難は日本中に伝わり、大きな衝撃として受け止められた。
この事故に衝撃を受けた山田寅次郎という若者は、犠牲者の遺族へ義捐金を集めようと奔走し、集められた義捐金を自ら携え、事故から2年後、オスマン帝国に渡り、熱烈な歓迎を受けることになった。
時を越えて
1985(昭和60)年3月19日、2機のトルコ航空機がテヘラン空港に到着した。
「日本のみなさんを助けにきました。この飛行機に乗ってください」
トルコ航空機は日本人215名を乗せ、イランを脱出した。タイムリミットまで1時間15分の出来事であった。
なぜ、トルコは危険を顧みず航空機を派遣して日本人を救出したのか、日本政府もマスコミもその理由は分からなかった。
元駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏はこう語った。
「エルトゥールル号の事故に際し、日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、いまもトルコ人は忘れていません。わたしも小学生の頃、歴史の教科書で学びました。トルコでは子供たちでさえエルトゥールル号のことを知っています。いまの日本人が知らないだけです。それで、困っている日本人を助けようとトルコ航空機が飛んだのです」

開く トラックバック(4)

全1ページ

[1]


.
teikokubungaku
teikokubungaku
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
検索 検索

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

衛生対策製品クレベリンの姉妹ブランド
クレベ&アンドハンドジェルが新登場
今だけ。お試しキャンペーン実施中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
10/31まで秋の行楽キャンペーン実施中
抽選で150,000名様に当たるチャンス!
マツモトキヨシで期間中何度でも使える
100円引きクーポン<Yahoo! JAPAN>

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事