このままで良いのか、ニッポン!

助け合う社会へ・・・共同体国家・日本へ!

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

「令和の時代」始まる!

新天皇が即位し令和の時代が始まった。
イメージ 1

譲位した上皇に「ご苦労様でした。感謝の念でいっぱいです」と屈託なく語る国民の姿を見ていると、政治権力を介せず直接国民に接点し寄り添う国民的な新しい象徴天皇制の道を切り開いたことを実感させる。

新天皇の今日のお言葉も「上皇陛下のこれまでの歩みにに深く思いをいたし、常に国民を思い、国民に寄り添いながら日本国および日本国民統合の象徴としての責務を果たす」とあり、国民目線に立つ国民の幸せへの直接的な「祈りの道」を歩むことを誓われている。

日本の秩序維持に必要とされて生まれ、有史以来維持されてきた天皇制である。
平成30年間における上皇の行動的な「国民の為の祈りの道」の実践が国民の共感を呼んだとも言えよう。
今日の天皇、および天皇制は、最も国民の支持を得ている時と言える。

天皇の国民との文化的で直接的で道義的な行動は、時に政治権力を凌駕しかねない。

「令和」は現政権が選んだ年号である。
「令和」を考案した中西進氏は「今日は野放図で社会に目標も目的もない。「令和」は美しく整い調和した社会をいう」とし、「社会目標として「令和」を提案した」と語っている。
時代精神と言うべきである。
英訳も「ューテイフル・ハーモニー」に決まったそうであるから、政治の世界も改めて凹凸の激しい社会の負の部分に目を向けるべきであろう。

昭和の時代にはみんなが助け合った家庭や職場、地域だったが、平成で随分と壊れてしまった。
壊れたまま新しい社会の姿が見えていない。
今さら3丁目の夕日の古き良き時代にも戻れない。

美しく整った共生・調和する「令和社会」を実現するには、自由も野放しではありえない。
「令和」に近づくには、改めて「公の心」「共同体精神」の再生を図る必要があろう。

日本は今、少子高齢化の波の中でもがいている。
中でも政治は新年号・令和の意味するところを良く含み、政党も政治家も国民の幸せに焦点を合わせ、未来に向かった魅力ある政策を競って欲しいと願うのである。

開く コメント(0)

令和の時代(下)

令和の時代(下)


昭和の、特に高度成長期の日本は「一億総中流時代」と言われたように国民の生活様式に特別大きな違いはなかった。
マルクスは「経済の仕組みが人間および社会を規定する」と言ったが、同じような経済生活は同じような国民意識を育てていたようにも思える「昭和の時代」であったように思う。

その「昭和」もバブルで「正気」を失い、大げさに言えば「平成」は道徳なき弱肉強食の「獣の時代」になったとも言えよう。
その象徴が「アベノミクス」であったろう。

「アベノミクス」は、一言で言えば中国の小平が唱えた「先富論」・・・先に豊かになれる人が豊かになり、豊かになった人は他の人も豊かになれるように助ける…の焼き直しであった。
日本では、「トリクルダウン」…富めるものが富めば貧しい者にも自然に富がしたたり落ちる…と。

しかし、中国がそうであるように豊かになった人はさらに富を求めて忙しく、とても他の人を豊かにする暇も気持ちもない…その結果が、日本の比ではない貧富差の激しい社会実態である。
程度の差こそあれ、日本も格差が拡大した…。

私が警鐘を鳴らしたいのは、この格差拡大にともなう副作用である。
アメリカの社会分裂…。
イギリスもブレグジットで社会分断が起きている。
フランスでも格差が暴力沙汰を生んでいる・・・。

日本だけは例外という訳には行かない。
このまま進めば、日本も欧米諸国と同じ道を歩むことになる・・・。

マルクスの言葉を借りれば「階級闘争」という事になる。
その道は「ご免」であるが、既にその「階級的な思考」の兆候が表れている。

そのひとつが昨日取り上げた「政治家の差別的で階級的な問題意識」である。
国民の側の意識でも「差別的で階級的な意識」が進んでいる。

身近な例として、先日10人の死傷者を出した東京・池袋での交通事故・・・運転していた87才は逮捕されなかった・・・逮捕されなかったからマスコミ報道でも「容疑者」とは言われなかった。
ところが、その翌々日に神戸・三宮で同じように8人の死傷者を出したバス事故が起きた…運転していた64才は現行犯逮捕され、容疑者報道された。
どちらも自動車運転処罰法違反(過失致死)なのだが、逮捕の有無、報道の容疑者扱いの有無・・・。
この扱いの差が国民の「差別意識・格差意識」を呼び覚ましている。
ネットでは、池袋での87才が旧通商産業省工業技術院院長であり、いわゆる「エリート」であるから逮捕されないんだと「上級国民」という言葉まで使って「差別扱い」を批判している。

池袋の87才は入院治療で逮捕されないだけなのだが、国民の側の意識としては、先の「モリカケ問題」もあり、扱いの違い・・・「格差意識」から「上級国民」とか「下級国民」とかの「差別語」?あるいは「区別語」をもちいてるようである。

物の見方の差は、考え方の差である…。
自覚がないままに階級的視点が誕生する…。
それがいつしか社会の分裂・分断を生み…。

私はマルクス主義を多くの点で認めていないが、しかし、経済構造が国の性格を規定することは多分に事実である。
中でも税制はその柱である。
国民の総中流化を目指して累進制税制の見直しと強化を図るべきであろう。
そして抜け穴だらけの金持ち優遇措置を即廃止するべきである。

「令和」の英訳は「ビューテイフル・ハーモニー」というそうだが、「令和」の考案者の言うように、それは「麗しい調和」でなければならない。
「令和の時代」は、今は昔の「先富論・経済成長万能主義」をはなれ、「心の豊かな時代」へと大きく舵を切り直す時と強く思う。




開く コメント(0)

令和の時代(中)

令和の時代(中)

超党派の国会議員勉強会・座長(馳元文部科学大臣)で議論している「いじめ防止対策推進法」の案に対し、いじめで子供を亡くした遺族らが反発している。
座長案の前に示された最初の案には、「いじめを放置した教員の懲戒処分」や「学校側がいじめ防止の基本計画を策定する」などの内容があったが、今回示された座長案ではそれらが削られ、いじめ防止の骨格が骨抜きにされ案が後退したように見えるからである。

座長の馳氏は「学校側の負担増を懸念し、教員を威圧するような表現は控えた」結果としている。
しかし、遺族側は「一体、誰を守るための法律なのか」「学校にガバナンスがないからいじめ死が起きているのに」などと批判している訳である。

ここで「いじめ防止論」を言いたい訳ではない。
私はこの記事を読んでいて、この国会議員の問題意識の在り方を疑った・・・。

この法律を創って「誰を守ろうとしているのか」…子供の命以外にないであろう。
それが、まさかの「学校を守る」という発想が上位に来ている…。
今どきの政治家の感覚とはこのようなものであろうか…。

私はこの国民を代表すべき政治家の感覚を狂わせた一つの理由として、やはり平成時代の政治を上げざるを得ない。
平成時代の最も大きな特徴は、日本はひたすらアメリカ社会を目指して進んだことだった。
富めるものを益々富ませ、上下に社会的格差を大きく広げた時代でもあった。

富裕層に恩恵のある累進的な所得税や法人税を下げ、国民には負担の大きい逆進的な消費増税で穴埋めをしてきた。
起きなかった「トリクルダウン」は経済を成長させるどころか社会保障の低下を招いている・・・。
平成時代はこの意味で「日本社会・分断の時代」だったとも言える。

「令和の時代」は、かつての「一様な日本」・・・「総中流階級の日本」を取り戻す時代にしなければならない。
比較的一様だった国民の風景を・・・つまりもっとも日本的な風景……習慣・文化・歴史・伝統・・・を取り戻さなければいけない。

格差の時代から「日本の心の豊かな時代」へと大きく舵を切らなければいけない。
「日本の心」とは、家族主義、郷土愛、共同体社会、共同体国家・日本に見られる「連帯の心・公徳心」である。

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

令和の時代(上)

令和の時代(上)


都合があってブログを休みました。
ちょっと休んだつもりが、10日間にもなっていました。
何と日が経つのが早いことかと、改めてビックリしています。
年を重ね、作業スピードが半分以下に落ちていますから、時間は倍以上のスピードで進んでいくようです…。

ところで、いよいよ「平成」も今月で終わりですね。
年号の制度については異論もあるようですが、国民の8割の人が「令和」を支持しているようですから当然年号制度も支持されていることになりますね。

「令和」を考案した中西進氏によると、今日は野放図な自由の時代で、社会に目標や目的、ポリシーもなく、全体としては調和を欠いた時代であり、次代の目標として「令和」を提案したそうです。

「令和」の「令」は令嬢・令息という字に使われているように、原義は「善」で、「良い」という意味という。
冷たい響きのある「命令」という言葉もある。
絶対服従とか、支配・命令・強制するとか言ったような冷たい感じがあるのだが、本義は「良きことをさせる」ということであるらしい。

中西氏は、安倍総理大臣がテレビで「令」を単に「美しい様」と説明していたことを批判し、「単に美しいことではない。整った美しさ、すなわち『麗しいさま』を言う」ことを強調されていた。

「整った美しさ」・・・日本の一部分のことではなく日本全体の姿としての視点である。
安倍首相がどのような意味で「美しさ」という言葉を使ったのか・・・。

「平和」という字を「平かであって初めて調和なる」と解する私には、弱肉強食的な新自由主義政策を取るアベノミクスに「美」を持ち込むことは難しい。

「麗しさ」に至っては尚更である。

開く コメント(0)

政党助成金と格差社会

政党助成金と格差社会


2019年度の政党助成金…国民一人当たり250円の税負担の下に…総額317億7368万円の分配先が決まった。

  自民党・・・・・178億9491万円、
  国民民主党・・・54億⑹21万円、
  立憲民主党・・・32億3011万円、
  公明党・・・・・・・30億548万円、
  維新の会・・・13億5762万円、
  社民党・・・・・3億8417万円、
  自由党・・・・・・2億7552万円、
  希望の党・・・2億1963万円、

今どきの政治家には鼻であしらわされそうな政治献金について触れるのは馬鹿らしいこととは思うのだが、国民をあまりにも舐めていると思われるので、やはり記しておきたい。

元々、政党助成法は、政治を歪めかねない企業・労働組合・団体などからの政治献金の禁止・制限をカバーするものとして1994年に「政党助成法」などの法律が成立し導入されたものだが、既に4半世紀が過ぎると言うのに政治金の禁止は何一つ進む気配はない。

それどころか、経団連などは、堂々と自分たちの利益になる政策と献金先きを連動させての評価を世間・国民に流している始末である。

そんな所為もあってか、平成時代は、国民の実質所得が低下した時代だったが、富裕層は所得が一層増えた時代であった。
つまり、格差が非常に拡大した時代だった。
格差が拡大する政治が行われた時代だった。

「平成」寺代は、「平を成す」時代にすべきだったのに…逆の道を進んできた。

次の「令和」の時代は、どうなるのだろう。

「令」を「良き」と呼んだり、「うるわしい」と呼んだりしているが、字面からは「冷たさ」も連想される…。
「冷たい和」となれば、「冷戦」ではないが、何処か「調和しない社会と時代」を連想させもするのである。

国民にとっては危機の時代になりかねないのだが、富裕層にとっては危機どころか自民党一強で我が世の春が続くことだろう。

「令和の時代」を国民の時代とするには、「格差」の少ない社会を目指すべきである。
経団連に動かされない政治…金に動かされない政治…国民全体の利益を考える政治…そのためには、やはり企業・組合・団体献金は禁止すべきであろう。

遠吠えかも知れないが、国民が諦めたら終わりである…。

 

開く コメント(0)

開く トラックバック(1)


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事