このままで良いのか、ニッポン!

助け合う社会へ・・・共同体国家・日本へ!

日本の進路

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全9ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9]

[ 次のページ ]

『令和』とは調和した美しさ

*『令和』の始まりに際し、山梨日日新聞に投稿したところ掲載されました。紹介します。

新天皇の即位とともに令和の時代が始まった。
退位する前天皇に「ご苦労様でした」とテレビのニュースで屈託のない感謝の気持ちを表す国民の姿を目にすると新天皇にも改めて国民とともにある象徴天皇の道を期待する次第である。

また、元号も変わる。
元号は西暦のように単なる数字の羅列ではなく、時代時代に意味を持たせる文化的行為でもある。
「令和」を考案した中西進氏によると「『令』とは麗しいと言う意味で、麗しいとは単に美しいのではなく、整った美しさ、調和した美しさを意味する。今の時代が目標もなく野放図であり、調和した社会ではないので、次の時代に目標とすべきは、麗しく調和した社会という意味で『令和』を提案した」と話されている。
新しい時代精神の提案である。
英訳も「ビューテイフル・ハーモニー」に決まったそうである。

社会目標としての「令和」は、固より強制力を持つものではない。
心の持ち方であり姿勢である。
このような『令和の心』を体現させるのが政治の役割であろう。

昭和の時代には、みんなが助け合った家庭であり、職場であり、地域社会であった。
しかし、平成の時代で随分と壊れてしまった。
壊れたままで、今なお新しい社会像は何も見えていない。
今さら古き良き「三丁目の夕日」時代にも戻れない。

麗しく共生し、調和する『令和の社会・ニッポン』を実現するには、新しい道を切り開かねばならない。
今のように「野放し状態の自由」では、共生・調和の社会は難しい。
美しく麗しく調和した「令和の時代」を築くには、忘れられた「公の心」、「共同体精神」を時代にあった新しい形で蘇生・再創造させる必要があろう。

日本は今、少子高齢化とか格差拡大の中でもがいているが、特に政治に携わる政党や政治家には新元号たる「令和」の意味するところを良く理解し含み、未来に向けた魅力ある政策で競って欲しいと強く思う。

開く コメント(0)

令和の時代(下)

令和の時代(下)


昭和の、特に高度成長期の日本は「一億総中流時代」と言われたように国民の生活様式に特別大きな違いはなかった。
マルクスは「経済の仕組みが人間および社会を規定する」と言ったが、同じような経済生活は同じような国民意識を育てていたようにも思える「昭和の時代」であったように思う。

その「昭和」もバブルで「正気」を失い、大げさに言えば「平成」は道徳なき弱肉強食の「獣の時代」になったとも言えよう。
その象徴が「アベノミクス」であったろう。

「アベノミクス」は、一言で言えば中国の小平が唱えた「先富論」・・・先に豊かになれる人が豊かになり、豊かになった人は他の人も豊かになれるように助ける…の焼き直しであった。
日本では、「トリクルダウン」…富めるものが富めば貧しい者にも自然に富がしたたり落ちる…と。

しかし、中国がそうであるように豊かになった人はさらに富を求めて忙しく、とても他の人を豊かにする暇も気持ちもない…その結果が、日本の比ではない貧富差の激しい社会実態である。
程度の差こそあれ、日本も格差が拡大した…。

私が警鐘を鳴らしたいのは、この格差拡大にともなう副作用である。
アメリカの社会分裂…。
イギリスもブレグジットで社会分断が起きている。
フランスでも格差が暴力沙汰を生んでいる・・・。

日本だけは例外という訳には行かない。
このまま進めば、日本も欧米諸国と同じ道を歩むことになる・・・。

マルクスの言葉を借りれば「階級闘争」という事になる。
その道は「ご免」であるが、既にその「階級的な思考」の兆候が表れている。

そのひとつが昨日取り上げた「政治家の差別的で階級的な問題意識」である。
国民の側の意識でも「差別的で階級的な意識」が進んでいる。

身近な例として、先日10人の死傷者を出した東京・池袋での交通事故・・・運転していた87才は逮捕されなかった・・・逮捕されなかったからマスコミ報道でも「容疑者」とは言われなかった。
ところが、その翌々日に神戸・三宮で同じように8人の死傷者を出したバス事故が起きた…運転していた64才は現行犯逮捕され、容疑者報道された。
どちらも自動車運転処罰法違反(過失致死)なのだが、逮捕の有無、報道の容疑者扱いの有無・・・。
この扱いの差が国民の「差別意識・格差意識」を呼び覚ましている。
ネットでは、池袋での87才が旧通商産業省工業技術院院長であり、いわゆる「エリート」であるから逮捕されないんだと「上級国民」という言葉まで使って「差別扱い」を批判している。

池袋の87才は入院治療で逮捕されないだけなのだが、国民の側の意識としては、先の「モリカケ問題」もあり、扱いの違い・・・「格差意識」から「上級国民」とか「下級国民」とかの「差別語」?あるいは「区別語」をもちいてるようである。

物の見方の差は、考え方の差である…。
自覚がないままに階級的視点が誕生する…。
それがいつしか社会の分裂・分断を生み…。

私はマルクス主義を多くの点で認めていないが、しかし、経済構造が国の性格を規定することは多分に事実である。
中でも税制はその柱である。
国民の総中流化を目指して累進制税制の見直しと強化を図るべきであろう。
そして抜け穴だらけの金持ち優遇措置を即廃止するべきである。

「令和」の英訳は「ビューテイフル・ハーモニー」というそうだが、「令和」の考案者の言うように、それは「麗しい調和」でなければならない。
「令和の時代」は、今は昔の「先富論・経済成長万能主義」をはなれ、「心の豊かな時代」へと大きく舵を切り直す時と強く思う。




開く コメント(0)

令和の時代(中)

令和の時代(中)

超党派の国会議員勉強会・座長(馳元文部科学大臣)で議論している「いじめ防止対策推進法」の案に対し、いじめで子供を亡くした遺族らが反発している。
座長案の前に示された最初の案には、「いじめを放置した教員の懲戒処分」や「学校側がいじめ防止の基本計画を策定する」などの内容があったが、今回示された座長案ではそれらが削られ、いじめ防止の骨格が骨抜きにされ案が後退したように見えるからである。

座長の馳氏は「学校側の負担増を懸念し、教員を威圧するような表現は控えた」結果としている。
しかし、遺族側は「一体、誰を守るための法律なのか」「学校にガバナンスがないからいじめ死が起きているのに」などと批判している訳である。

ここで「いじめ防止論」を言いたい訳ではない。
私はこの記事を読んでいて、この国会議員の問題意識の在り方を疑った・・・。

この法律を創って「誰を守ろうとしているのか」…子供の命以外にないであろう。
それが、まさかの「学校を守る」という発想が上位に来ている…。
今どきの政治家の感覚とはこのようなものであろうか…。

私はこの国民を代表すべき政治家の感覚を狂わせた一つの理由として、やはり平成時代の政治を上げざるを得ない。
平成時代の最も大きな特徴は、日本はひたすらアメリカ社会を目指して進んだことだった。
富めるものを益々富ませ、上下に社会的格差を大きく広げた時代でもあった。

富裕層に恩恵のある累進的な所得税や法人税を下げ、国民には負担の大きい逆進的な消費増税で穴埋めをしてきた。
起きなかった「トリクルダウン」は経済を成長させるどころか社会保障の低下を招いている・・・。
平成時代はこの意味で「日本社会・分断の時代」だったとも言える。

「令和の時代」は、かつての「一様な日本」・・・「総中流階級の日本」を取り戻す時代にしなければならない。
比較的一様だった国民の風景を・・・つまりもっとも日本的な風景……習慣・文化・歴史・伝統・・・を取り戻さなければいけない。

格差の時代から「日本の心の豊かな時代」へと大きく舵を切らなければいけない。
「日本の心」とは、家族主義、郷土愛、共同体社会、共同体国家・日本に見られる「連帯の心・公徳心」である。

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

令和の時代(上)

令和の時代(上)


都合があってブログを休みました。
ちょっと休んだつもりが、10日間にもなっていました。
何と日が経つのが早いことかと、改めてビックリしています。
年を重ね、作業スピードが半分以下に落ちていますから、時間は倍以上のスピードで進んでいくようです…。

ところで、いよいよ「平成」も今月で終わりですね。
年号の制度については異論もあるようですが、国民の8割の人が「令和」を支持しているようですから当然年号制度も支持されていることになりますね。

「令和」を考案した中西進氏によると、今日は野放図な自由の時代で、社会に目標や目的、ポリシーもなく、全体としては調和を欠いた時代であり、次代の目標として「令和」を提案したそうです。

「令和」の「令」は令嬢・令息という字に使われているように、原義は「善」で、「良い」という意味という。
冷たい響きのある「命令」という言葉もある。
絶対服従とか、支配・命令・強制するとか言ったような冷たい感じがあるのだが、本義は「良きことをさせる」ということであるらしい。

中西氏は、安倍総理大臣がテレビで「令」を単に「美しい様」と説明していたことを批判し、「単に美しいことではない。整った美しさ、すなわち『麗しいさま』を言う」ことを強調されていた。

「整った美しさ」・・・日本の一部分のことではなく日本全体の姿としての視点である。
安倍首相がどのような意味で「美しさ」という言葉を使ったのか・・・。

「平和」という字を「平かであって初めて調和なる」と解する私には、弱肉強食的な新自由主義政策を取るアベノミクスに「美」を持ち込むことは難しい。

「麗しさ」に至っては尚更である。

開く コメント(0)

    「令和」という時代に向かって4月の富士

イメージ 1
                                       南アルプス市・果樹園に咲く桃の花


「令和」の元号に、一つ気になることがあった。
それは、私の勝手な感性の連想であったが…。
最初に「令和」の字を見せられた時・・・・、
「令和」の字が、一瞬、「冷たい平和」に見えたこと…。

何の根拠がないわけでもない。
2次大戦後の世界秩序は、中国の台頭で新たな冷戦の時代を迎えている。
米中、米ロという複雑に入り組み、対立した利害関係の渦巻く世界の中に置かれてあるのが日本である。

日本には、憲法9条をはじめ、確立された安全保障環境はない。
厳しくなる一方の国際環境を前に、確たる日本の進むべき道は確立されていない。

国内を見ても、少子高齢化と人口減という歴史始まって以来の苦境を迎えている。
そんな中、格差社会は進む一方で、「和」に向かうどころか社会は分裂・分断の方向に動いている。

放っておけば、日本は内外ともに「危機」に陥りかねない危険因子に満ちていると言える。

「令和」の時代を本当に「令=良き和」の時代とするには、日本は、拝金主義一辺倒の新自由主義から方向転換する必要がある。

新しい時代は、「共生・共助」の「共同体精神」を柱にした「共同体社会・ニッポンの構築」に向かうべきと考える。
「和」する社会、「和」する世界を求めて頑張らねば、本当の意味での「令和」の時代はやってこない・・・。

開く コメント(0)

全9ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9]

[ 次のページ ]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事