静岡県人だって古墳に興味が〜る

静岡って「古墳好き」って言うと「え?」って言われる県。に住まう、かつてはガールだった私。

古墳探訪【静岡県内】

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横沢古墳【富士市】

静岡県富士市にある、富士市立博物館(かぐやひめミュージアム)に行ってきました!
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ここは、同じ敷地内(広美公園)にいろいろな学習施設や歴史的建造物などが集結!
古墳も移築復元されてありました♪
横沢古墳だそうです!
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全体像
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入り口付近 (入り口と内部が一段下がるのが富士市6世紀に建築された横穴式の特徴だそうです)
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本来の位置は、下記地図上7番です。
地図を見る限り、海が近いので、古墳は高台に密集していますね。
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副葬品など遺物は、博物館内に展示がありました。
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同じ敷地内にある歴史資料館は新しく作られたようで
周辺市町にはないような建造物でした!
展示物は、ごくありふれた内容ですが、富士は、海と紙!だということがよく分かります
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かなり充実した学習施設を暑〜い中、楽しめました♪



高尾山古墳【沼津市】

先日もアップしましたが、高尾山古墳!
めちゃくちゃ邪魔だけど壊されずに済んだ、かなり重要な古墳!
昨日、周りを、散策してきました☆
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【危機的状況】
沼津市は東熊堂の、めちゃくちゃ邪魔な場所にあるんです。沼津バイパスにぶつかる道路は古墳に沿って走る細い道で、常に渋滞気味。歩く私の右手が古墳のある場所です
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そこで、市は大きい新道をつくることにしました。
上空マップを見て頂きたい!!もぉ古墳潰す気満々で古墳に迫る大きな新道!
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市議会も古墳を潰す潰さないで荒れまくり。県外からの声もあり、この度なんとか、トンネルを掘ることで破壊回避になりました。
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古墳の背後に迫ってます!


【いかに重要か】
築造が230年という卑弥呼レベルの初期も初期の古墳!しかも大きい!東日本における、最古で最大級の前方後方墳なのです。そしておそらくスルガ最初の王が眠る。
もはや、沼津だけの史跡ではなく、日本の歴史上でも重要な意味を持つ史跡なのです。
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【考察】
今の生活の便利さと史跡を保存することの意義との折り合いって難しい問題ですが、史跡そのものの重要性以上に、3世紀から21世紀まで遺されてきたという点の方が、実は重要視されるべきことなのではないでしょうか。
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朝、こんな記事を見た

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高尾山古墳を守る会が、表彰されたようです。

この高尾山古墳!詳細は省きますが、めちゃくちゃ邪魔なところにあるのです。
でもこの高尾山古墳!歴史的価値としては、めちゃくちゃ重要な古墳なのです。

道路建設のために全面発掘してデータだけ取って壊してしまおう組 VS 死守組

で、沼津市議会も揉めに揉めたようです。日本考古学協会会長は会長声明を発表し阻止しようとしましたが、
一時、沼津市は工事を再開していました。が、さすがにいろいろな風にあたったためか、市長も替わったためかは分かりませんが、昨年出された案は、トンネル構造にして古墳を回避した道路設計に方針を変えました。
やれやれ☆

ここで分かることは、
① 静岡県人、古墳に対する興味なさすぎ
② ゆえに、遺跡保存より、自分たちの生活の便利さを選びがち

※ゆっても、歴史か現在かの選択は難しい問題ですね

古墳が好きな人たちにとっては
この古墳の内容を知ったら、「え?これ平気で壊そうとしてたの?」ってなりますよ、きっと。

さて、では、どのような古墳なのか

高尾山古墳 【静岡県沼津市】

【前提】 かつて富士川から黄瀬川一帯を支配していたスルガ勢力がいた。
     愛鷹山麓に、弥生時代後期から古墳出現期の集落遺跡、足高尾遺跡群あり。
     北側に境界を設けるかのように幅・深さともに2mのV字型空壕が約2キロにわたってつづいている。
     この規模の首長の墓は?という疑問に応えてくれるのが、遺跡群の南側にある高尾山古墳。

【基本データ】前方後方墳 墳長約62m(後方部長約31m、前方部長約30m)、高さ約4.7m 
【埋蔵施設】舟形木棺、長さ5m、幅1.3m 東西方向を向く
【副葬品】舟形木棺内に大量の水銀朱がまかれており、その上に
青銅鏡(上方系浮彫式獣帯鏡)、鉄槍、鉄鏃、やりがんな、石製勾玉、など

【築造時期】
230年説 : だとすると、箸墓古墳以前に、東海地方の独自の古墳が造られたことになる。
        (根拠)就航や墳丘から出土した東海地方西部から持ち込まれたとされる
             高杯などが230年代のものだから
        (専門家)「2世紀にあった大規模な自然災害から立ち直るために、スルガは、治水技術の進んだ
              東海系の文物を取り入れた。前方後方墳という形から東海系文化を採用。被葬者は、
              2世紀後半から3世紀前半にかけて地域をまとめた英雄に違いない!」

250年説 : だとすると、初期ヤマト政権が作成した設計規格に沿って造られたことになる。
        (根拠)棺上にあったとされる土器が250年代のものだから
             古墳の形が、纏向にある古墳と設計規格に共通点があるから
        (専門家)「古墳にはしっかりとした規格がある。ヤマト王権との政治関係を知りうる資料で、
              前方後円墳と前方後方墳の関係は、譜代大名と外様大名のようなもの。東日本で、
              前方後方墳が多いのは当然」

【再調査結果と結論】
1)出土した2000点以上の土器が、230年代のものであったことから、築造は230年
2)主体部から出土したものの年代から、埋葬は250年ごろ
3)墳丘内に別埋葬施設が存在する可能性が少なくなった

これにより、現段階では、
東日本最古級で、初期古墳としては最大級といえる古墳です

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