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夫多忙のため、やっと夏休みが取れました!もう秋です><
で、紙婚(1周年)記念を兼ねて、1泊2日旅行★
軽井沢に行く途中、群馬県は高崎市の保渡田古墳群に寄りました♪
まずは、かみつけの里博物館で、学習してから!ここで学べたこと
■この地は、古墳時代に”上毛野(かみつけの)”と呼ばれていた。
■5C末と6C前半の2度に渡り噴火した榛名山からの火山灰で、この地の噴火以前の遺跡は埋もれてしまった!
逆に言うと、それで保存できていたということでしょうか?
■埴輪の並べ方には、ストーリーがある!
つぎに、保渡田古墳群を見学に!■保渡田古墳群 = 二子山古墳 ・ 八幡塚古墳 ・ 薬師塚古墳 3つの前方後円墳で構成される
・5世紀後半から6世紀初頭にかけて築造
・榛名山東南麓を治めていた(当時の東日本において、きわめて優勢であった)有力な豪族たちの墓
二子山古墳3つの中で、最初に造られた。(5C第3四半世紀頃)
墳丘全長108㍍ / 墳丘推定高9−10㍍ / 墓域の全長約213㍍ /墓域30000㎡
埋葬施設:舟形石棺、竪穴式石槨、
出土品:金銅製馬具、金製装飾品、大型円筒埴輪、在地産須恵器、朝鮮半島製を含む多量の遺物破片
秋桜に囲まれて、美しい〜〜〜♪もっと満開になってから来てみたかったものです!
■舟形石棺 : 後円部頂上の1㍍地中には、実物の石棺が保存されている
■三段に築かれてた墳丘 : 土を厚く盛り上げた墳丘は、斜面に葺き石が積まれ、斜面間の平坦面には円筒埴輪が列となって並べられていた。
■中島 : 堀のなかに直径約18㍍の円い島が4つ造られている
八幡塚古墳5世紀後半に築造
墳丘全長96㍍ / 墳丘推定高8㍍ / 墓域の全長約190㍍ / 埋葬施設:舟形石棺、竪穴式石槨
盛土の量14500㎥ / 円筒埴輪の数・推定 6000本 / 葺石の数・推定 398000個
出土品: 碧玉製管玉、ガラス製勾玉、ガラス小玉、挂甲、鉄製農耕具類
往事の古墳とは、石と埴輪で飾られ、遠くからも白く浮き立つ構造物だったそうです!
葺石と埴輪!テンションあがる古墳ですねぇ〜♪
舟形石棺のこと八万塚古墳の墳頂から階段で内部に入ることができました♪ いやぁ〜古墳って見所が多くて、勉強になります♪ その後、箕輪城を攻めたのですがw
そこで、郷土料理“おきりこみ”なるものを発見♪
貴美庵さんというお店で、おきりこみを使ったカルボナーラ風を頂きました♪
夫は、普通のおきりこみ(しょうゆ味)
どちらも郷土料理のほっこり感もあり、美味しかったです!
マコモダケも初めて食べました! |
古墳探訪【全国】
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八雲立つ風土記の丘去年の春先に古代出雲の中心「意宇」(おう)と呼ばれる地だった島根県松江市に旅行に行った際、
「八雲立つ風土記の丘」という施設に寄ってみました。
常設展示では、様々な興味深いものを見ることができました。
『日本書紀』の伝承では、出雲は埴輪の起源と関わりがあるともされるそうです。 特に有名な「見返りの鹿」埴輪が見られたことは嬉しい!!(レプリカだった気もしますが!)人物埴輪群では、日本最古級(5世紀中頃)の石屋古墳出土埴輪もありました。
写真はないのですが、岡田山1号墳出土の「額田部臣」銘文入り大刀も展示してありました。
ヤマトとの関係をもつリーダー(臣)が6世紀後半段階に実在したことを示す貴重な史料だそうです。
施設内には、山代二子塚古墳があったので、見学をさせて頂きました。↓
山代二子塚古墳全長94mになる島根県最大の古墳であり、日本で最初に「前方後方墳」と命名されたことでも知られています。
6世紀末から7世紀前半、出雲地方東部では石棺式石室と呼ばれる、切石を用いて独自で造られた横穴式石室の典型例である向山1号墳(松江市古志原)の石室を実物大で復元し、内部構造まで観察できるようにしてありました。
出土遺物は、上記風土記の丘に展示してありました↓
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歩いていると、偶然にも古墳に出会うことがある。
その第1号の思い出は、芝・丸山古墳だった。
あれは、10年前。
その頃は東京に住んでいたが、久しぶりに東京タワーへ行き
わざわざプリンスホテルパークタワーに泊まった。
それから朝が来て、ホテルをたち
裏山風情の小山を越えて芝公園駅に向かっていたら・・・・
<芝・丸山古墳>なる石柱を発見!!
え?これ古墳なの!?
東京タワーの近所に古墳があるのは
当時の私としては、衝撃的で、記念撮影をしたが
今では、その写真は行方知れず。
昔は、ここ、海のような気もする立地だが
古墳があるってことは、海ではなかったのだろう。
ただ、ネットで少し調べてみたら
古墳が築かれた丘陵南側の斜面から縄文時代の「貝塚」が確認されているよう。
・・・・・・・・・・・・・データ
全長約106mの前方後円墳。
後円部径約64m、前方部幅約40m、墳頂部や後円部西側が大きく削られており、築造当時の姿を留めていない。明治時代に調査されたが、後円部に存在したと思われる埋葬施設は確認されず、詳細は不明。出土した埴輪片などから5世紀代の築造と推定されている。 都指定史跡、1979(昭和54)年指定。 |
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