水土壌汚染研究のブログ

水土壌汚染を正しく理解して適切にリスク管理をすればよい、政争の具にしてはならない。

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八幡残渣プール(はちまんざんさプール)は、熊本県の最南部に位置する水俣市水俣川河口左岸付近に位置する産業廃棄物最終処分場である。西は不知火海に面して天草の島々を望み、北は水俣川に接している。重く長い公害の歴史の中で、水銀含有排水の処理場の歴史を経て、現在は廃棄物最終処分場、廃棄物焼却施設及び、水俣エコタウンの地になっている。



八幡残渣プールの歴史
1907(明治40)年、野口遵は日本カーバイト商会を設立し、水俣にカーバイト工場の建設に取り掛かった。(チッソ・JNC)産業廃棄物の投棄が始まる。
 
1908(明治41)年日本窒素肥料(株)創業
 
1931(昭和6)年、昭和天皇がチッソ水俣工場を訪問 
1944(昭和19)年に水俣川の河川工事にともなう 「八幡残渣プール」付近の埋立地をチッソが熊本県から購入、
1939(昭和14)年丸島漁港の北側護岸が築造される
1947(昭和22)年頃から海面に石堤を築き、カーバイド残渣を埋立てた。
1949(昭和24)年、5月30日 日窒水俣工場に昭和天皇ご巡幸
 
1954(昭和29)年に残渣埋立地増設のため八幡地先と明神地先を入手した。
1955(昭和30)年11月5日の『水俣工場新開』は、「水俣川尻に大埋立地!護岸工事近く完成」という見出しで、「1日200トンのカーバイト残渣が、工場から排出される。空地を見付けては残渣のプールとして、それに流し込んでいたが、空地もなくなり、海を埋め立てることになった。近く護岸工事が完成すると(中略)36万立方米の残渣を捨てることが出来る。」
 
1958(昭和33)年頃 チッソは、護岸の嵩上げを行い、カーバイドの残渣だけでなく水銀を含んだ酢酸廃水や硫酸廃水、燐酸廃水なども流し込んだ。
 
1958(昭和33年)、水俣病の原因物質が不知火海全体に広がり津奈木町、芦北町、、御所浦及び天草に広がった。
 
1977(昭和52年) 浮池正基水俣市長が水俣市公害防止報告書(昭和50年度〜昭和51年度上期)で、埋設廃棄物を公表しました。

1987(昭和62)年、丸島漁港内の高濃度の水銀汚泥の除去工事
 
1988(平成元)年、廃棄物の上に水俣クリーンセンター等が建設される。
 
1996(平成8)年、 水俣産業団地が南九州スーパーテクノゾーン整備指針プロジェクトに位置づけられる
 
1998(平成10)年頃にチッソが行った護岸改修工事写真に、赤レンガの付着したコンクリート塊が写っている
 
2001(平成13)年、水俣エコタウンプランが、国の承認を受ける。
 
2002(平成14)年、水俣市は、チッソ株式会社から外周道路及び護岸用地の寄付を受け登記した。
 
2013(平成25)年 第十海上保安部(八代海上保安署)が、不法投棄の容疑でJNC(チッソ)を捜索
 

?年 水俣水銀条約を遵守するため、八幡プール土壌汚染調査が開始される。
水俣水銀条約 第十二条 汚染された場所: 締約国は、水銀により汚染された場所を特定・評価するための戦略を策定する
 
▼八幡残渣プールの問題点
  • 八幡残渣プールに排出された有害物質の種類と量が不明
  • 水銀など有害物質を含むカーバイト残渣による土地造成
  • 八幡残渣プールや造成地からカーバイト残渣の石灰質や有害物質が流出
  • 八幡残渣プールの石垣やコンクリート築堤の老朽化
  • 地震時の護岸及び埋立地の強度及び埋立地の液状化の可能性
 
 水俣川の河口は、戦前は塩田で、製塩などが行なわれていた。塩浜の埋立て地と水俣川河口側の入江の遠浅の海に目を付けたチッソは、それまで百間港側に無処理で流していた、アセチレン発生に用いたカーバイド残渣を、1947(昭和22)年頃から海面に石堤を築きコンクリートを流し込み、海面埋立プールを作って広大な埋立てを行った。残渣プールがいっぱいになると、さらに沖の遠浅の海にプールを作り、7万5千坪に広がっていった。
 1958(昭和33)年頃になると一日200tといわれるカーバイドの残渣埋立てに困ったチッソは、処理費用を安くあげるために嵩上げを行い、カーバイドの残渣だけでなく水銀を含んだ酢酸廃水や硫酸廃水、燐酸廃水なども流し込んだ。
 
 もともと、八幡残渣プールは、埋立目的で水分が抜けやすいように設計されていたために、それまで百間港側、百間、出月、湯堂、茂道の方に発生していた水俣病患者が、1958年9月以降、津奈木町、芦北町方面だけでなく、御所浦を始め、対岸の天草を含め、水俣病の原因物質が不知火海全体に広がり、水俣病患者が多発する原因ともなっている有害物質を含んだ広大な敷地(33万m2、10万坪)は、一部を水俣市が買い上げ、ゴミ焼却場として使用し、八幡沖第1、第2埋立地は、チッソが中間処理場や安定型最終処分場として利用しているが、まさに全体が産廃処理場である。

(注:水俣学ブックレット No.3「ガイドブック 水俣を歩き、ミナマタに学ぶ」より一部抜粋)
▼八幡残渣プールになぜこだわるのか
 
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/mercury/minamata/110626_site/map_hachiman.jpg
「八幡残渣プール」は、
  1. 水銀だけでなく、いろいろな有害物質が、カーバイト残渣と一緒に埋め立てられ、何の対策も取られておらず、廃水等が海や川に流れ込んでいる。
  2. もともと「八幡残渣プール」は、水が抜ける構造で設計され、プールの石垣から、カーバイト残渣の石灰質や、他の有害物質が流れ出している。
  3. 水銀を始め、有害物質を含む「カーバイト残渣」が、水俣市内のいたる所の土地造成に用いられている。
  4. 八幡残渣プールに捨てられた「有害物質の種類と量」が明らかでない。
  5. 「水俣湾」の埋立地と同じく、「八幡残渣プール」は、地震や津波、洪水が発生すれば、堤防が崩れたり、液状化現象が起こったりして、大変な被害が出るおそれがある。
  6. 「八幡残渣プールの危険性」について、意識的に公表されないまま、今も使用されている。
▼塩田や蓮池だった水俣工場
 チッソが現在地に移転した大正六年ごろは、新工場(カーバイト工場)一体は広い塩田であった。その後、田圃であったところにアンモニア合成工場を拡張、さらに戦後、それまで蓮池であったところを埋め立てて、工場を拡張し、工場の運転に伴う「工場廃水廃棄物」は、工場内に設けた簡単な沈殿地を経て、水俣湾(百間港)へ流していた。当時、百間港は、黒色を帯びていたという。(黒ドベ)
 「沈殿池を設けて流していた」と言っても、特に対策を講じていた訳ではなく、簡単な池を経て、無処理で海に流していた、というのが実体である。

 そのため、大正十四、五年頃には、「漁業被害」が発生し、大正十五年四月には、漁業組合と契約を結び、『永久に苦情を申し出ない』ことを条件に、見舞金1,500円を支払い、百間、薮佐地先7,000坪の埋立に関する承諾を得ている。
 その後も、漁業被害が出るたびに、「工場の汚悪水、残渣、塵埃を、漁業権を有する海面に放流する」ことを認めさせ、「過去及び将来、永久の漁業被害の補償として、152,000円を支払う」など、漁場を奪われる漁民の困窮につけ込み、埋立を続けた。
 「八幡残渣プール」付近は、昭和十九年に水俣川の河川工事にともなう埋立地をチッソが熊本県から購入、さらに昭和二十九年に残渣埋立地増設のため八幡地先と明神地先を入手した。

 昭和三十年十一月五日の『水俣工場新開』は、「水俣川尻に大埋立地!護岸工事近く完成」という見出しで、「1日200トン、すなわちトラック40台分のカーバイト残渣が、工場から排出される。これを海に流すと、魚が死んでしまうので、空地を見付けては残渣のプールとして、それに流し込んでいたが、空地もなくなり、海を埋め立てることになった。近く護岸工事が完成すると(中略)36万立方米の残渣を捨てることが出来る。」

 このようにして、それまで主に百間遊水地を経て水俣湾へ流していた工場の排水や、カーバイト残渣を、昭和二十二年から「八幡残渣プール」へ流し始めた。その後、昭和三十一年、「水俣病患者発生」に伴い、マンガン、セレン、タリウム説などが発表されると、チッソは、それまで水俣湾(百間)へ流していた「アセトアルデヒド酢酸工場」の排水を八幡残渣プールへ変更し、工場廃水が疑われているのを誤魔化そうとした。

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▼八幡残渣プールの構造
 「八幡残渣プール」は昭和二十二年、アセチレン発生残渣を利用して海面埋立を行うため海中に石垣練りコンクリート積みの築堤を造り、カーバイトの残渣をプールに投入した。排水や残渣は、石垣の間から海中に流れ出し、上澄み液は直接海に放出される構造になっていた。


 したがって、八幡残渣プールは沈殿地として設計されたものでなく、海面埋立のためのプールであった。

 昭和三十年に拡張した残渣プールは、直ぐにいっぱいになり、昭和三十三年には新たなプールが必要となった。そこでチッソは、工事費を安く上げるため、それまで埋め立てた残渣プールの上にカーバイト残渣で築堤を造り、「嵩上げ」を行なった。昭和三十三年十二月十日の『水俣工場新聞』は、「・・・そこで、一米ずつ四回かさ上げし、今後四、五年は、この方法で残渣処理をしてゆくこととなった・・・」と述べている。

▼カーバイト残渣で土地造成
 それまで、水俣湾側(百間港)へ流していたチッソは、昭和三十二年九月よりほとんどの排水を、八幡プールへ変更した。従って、水俣湾(百間港)で検出された物質(有害物)は、ほとんど八幡プールにも入れられたと見るのが妥当であろう。ちなみに、八幡残渣プールへ変更された後の「昭和三十四年七月」に測定された「水俣湾(百間港)」と「八幡プール」の分析結果は、表1(省略)の通りで、水量は八幡プールでは5分の1へと、少なくなっている。pH(水素イオン)は、水俣湾はほぼ中性で、八幡プールは強アルカリ性である。水銀の値は、驚くことに、八幡残連プールが、水俣湾(百間港)の8倍である。

 さらに、チッソが「水俣病第一次訴訟」で提出した資料によると、水俣湾(百間港)の海底の泥土(ドベ)の分析結果は表2(省略)の通りである。但し、驚くべきことに、分析結果の単位はパーセントで、ppmに換算すると、Hg(水銀)220ppm、Cu(銅)320ppm、Mn(マンガン)1000ppm、Pb(鉛)200ppmとなる。この分析結果より「八幡残渣プール」にも色々な有害物質が入っている可能性が高い。(昭和三十三年九月より、水俣湾、つまり百間港から八幡残渣プールへ、排水先を変更したのだから。)

 カーバイト残渣と共に有害物質を含んだ産業廃棄物を、昭和四十二、三年頃まで、今の「おれんじ鉄道の水俣駅」の前の「自動車学校」や「市営住宅」の埋立、個人住宅の宅地造成などに、チッソは無償で水俣市や市民に提供した。しかし、産業廃棄物で水俣市内のあちこちが埋め立てられている事は、「建設業」、「土建業」に従事している人以外には、あまり知らされていない。

 
▼八幡残渣プールへチッソが捨てた量は?
 チッソは、「八幡残渣プール」へどれだけの量の産業廃棄物(カーバイト残渣等)を捨てたのだろう?熊本地方検察庁へ提出したチッソの資料から、埋立面積は約56万平方メートルで、水俣湾埋立地58万平方メートルより少し小さいことがわかる。
 しかし、肝心の残渣等の埋立量はどれだけになるのか?埋め立てられた当時の『水俣工場新聞』にその一部は記載されているが、嵩上げされた量、新しく設けた「沖一、二、亀の首プール」(一部は今も産廃処分場として使用中)に埋め立てられた量などは明らかでなく、どれ位の量を埋め立てたのか定かではない。
 
▼地震や津波に耐えられるか?
 「八幡残渣プール」は、先に述べたように、コンクリート練り石垣築堤や、カーバイトの残渣を固めて造った。新しく造られた「沖一、二、亀の首プール」は、コンクリートで築堤を行っている。しかしどちらも、かなりの年月を経て、石垣が膨らんだり、迫り出したりしている。後から造られた「プールのコンクリート」にも、ひび割れが出来て残渣がしみ出したり、コンクリートの鉄筋が露出した所がかなりあり、ずいぶんと傷んでいる。
 一昨年、「福岡沖地震」が発生し、山崩れや家屋の倒壊、埋立地の液状化現象が起き、被害が出た。水俣には「出水断層」や「日奈久断層」がすぐ近くまで迫って来ている。出水断層」では数年前、切通、針原地区で土石流が起きた。
 「八幡残渣プール」についての当時の様子は、「水俣病第一次訴訟」で、チッソ第一組合の労働者が、「サイクレーターが完成した昭和三十四年以降も、アセトアルデヒド酢酸工場の廃液を北八幡プールへ入れた。その上澄液を甲プールへ送り、工場へ逆送した。各プールから、雨が降るとあふれ出して、海に流れていた」などを証言した。
 その後の研究で、「水俣病患者」が、八幡、湯之児、津奈木、湯ノ浦、不知火海全体へ拡大したのは、チッソが工場排水を「水俣湾」(百間港)から、八幡残渣プールへ変更した事によるもので、人体実験であったことが明らかになった。

 また、「八幡残渣プール」は、水銀以外のマンガン、セレン、鉛、錫、銅などを含む産業廃棄物などの捨て場であった事を見て来た。
 水俣市の環境課が出した、『水俣市浄化センター及び清掃センター建設工事に伴う二次汚染防止対策関係資料』(平成元年一月、水俣市)による調査結果でも、カドミ、鉛、ヒ素、水銀値が、かなり高い値を示している。

 熊本県は、「八幡残渣プール」の二ケ所の水を分析した結果を発表したが、「カドミ、シアン、鉛、ヒ素、クロム、水銀など17項日を検査したが、水素イオン(pH)以外は基準値以下であった」と公表。しかし、水素イオン(pH)13という値の排水を川や海に流していいのか! 排出基準を大幅に越えている。
平成14年2月20日、チッソ株式会社は、水俣市に外周道路及び護岸の土地の寄付を申し出た。
平成14年10月7日に水俣市は、外周道路及び外周護岸用地を水俣市の所有として登記した。


水俣川河口部付近左岸の遮断型最終処分場に、水俣クリーンセンター等建設残土が処分されている。






排水路変更による汚染地域拡大と新たな水俣病患者の発生

 昭和 34(1959)年3 月になると、細川一医師の心配は現実のものとなった。
 水俣川河口付近の漁民から新たな患者の発生が報告され、その後も河口付近から患者発生の報告が相次いだ。また、北側の津奈木町や湯浦町、さらには不知火海を挟んだ対岸の天草でも、多数のネコの発症が報告されるようになり、人体実験ともいえる排水路変更の影響
は新たな患者発症と汚染地域の拡大という重大な結果を招くことになった。
 排水路変更とそれによって生じた患者・被害の拡大は、原因物質が何であれ、アセトアルデヒド製造工程の排水が熊本水俣病の原因であることを強く示唆するものであった。
 排水路の変更はチッソ外部の者には知らされなかったが、昭和 34(1959)年6 月、水俣川河口にアユが浮いたという情報を調べに行った県水産試験場技師が復命書で「新たに水俣川に排水を流している模様」と上司に報告した。
 また同年6 月、厚生省に陳情に行った水俣市議会議長らが、「最近チッソが水俣川に排水を流している模様」である旨を説明したので、国・県の職員も排水路の変更に気付き始めた。
 徳臣助教授らは、昭和 34(1959)年2 月から10 月にかけて新たに発生したた患者10例を報告し、そのうち9 例までが、水俣川河口またはそれより北方の住民であったことから、汚染地域が北方に拡大したことを指摘し、このことと工場排水の水路変更(熊本県調査)との因果関係を示唆した。
 

 同年10 月、通産省は、チッソに対し、直接不知火海に放出している排水路を廃止するとともに、排水処理施設の工事を急がせ、年内か翌年1 月までには完成させるように口頭で指示した。
 同年11 月には、文書をもって「排水路の一部廃止等種々対策を講ぜられているところであるが、…この際一刻も早く排水処理施設を完備するとともに、関係機関と十分に協力して可及的速やかに原因を究明する等現地の不安解消に十分努力せられたい」と通達した。

 チッソは、同年11 月からアセトアルデヒド製造工程排水の水俣川河口への放出を止め、元の百間港に戻すとともに、八幡プールの上澄み液を汲み上げて、工場内のアセチレン発生装置に送って再利用する方法を採った。
[注釈]後日チッソ社長や水俣工場長の熊本水俣病発生に対する刑事責任が問われた裁判において、この排水路変更によって新たな患者を発生させたことが判決で有罪とされる重要な判
断材料となった。

[注釈]八幡プールの上澄み液を汲み上げるようにした後も、八幡プールからの水銀流出は続
いた。その主な理由は、①逆送は不十分なものであった。②八幡プールの構造上、水銀排水
は底から流出していった。③大雨によるオーバーフローは止められなかった、などによる。



地理

熊本県の最南部、熊本市から南西に約70kmの場所に位置する。南はJNC(チッソ)株式会社水俣事業所に接し、西は国民共有の財産[1]である不知火海(八代海)に接している。北は水俣川に接し、東は水俣エコタウン等に接している。

歴史

  • 1944年(昭和19年)に水俣川の河川工事にともなう 「八幡残渣プール」付近の埋立地をチッソが熊本県から購入した。
  • 1947年(昭和22年)頃から海面に石堤を築き、カーバイド残渣を埋立てた。
  • 1954年(昭和29年)に残渣埋立地増設のためチッソが八幡地先と明神地先を入手した。
  • 1955年(昭和30年)11月5日の『水俣工場新開』は、「水俣川尻に大埋立地!護岸工事近く完成」という見出しで、「1日200トンのカーバイト残渣が、工場から排出される。空地を見付けては残渣のプールとして、それに流し込んでいたが、空地もなくなり、海を埋め立てることになった。近く護岸工事が完成すると(中略)36万立方米の残渣を捨てることが出来る。」と発表。
  • 1958年(昭和33年)9月チッソアセトアルデヒド工場排水の排出先(経路)を水俣湾内の百間港から八幡プールを経ての水俣川河口附近へと変更[2]
  • 1958年(昭和33年)頃 チッソは、護岸の嵩上げを行い、カーバイドの残渣だけでなく水銀を含んだ酢酸廃水や硫酸廃水、燐酸廃水なども流し込んだ。
  • 1959年(昭和34年)3月〜 水俣川河口付近又はそれより北側の地域に患者の発生が相次ぐ。[3]
  • 1959年(昭和34年)10月通産省チッソに対し水俣川河口への排水経路の即時廃止及び排水浄化装置の年内完成を指示[4]
  • 1961年(昭和36年)3月チッソが廃棄物埋立処分の許可を得る[5]
  • 2011年(平成23年)3月30日熊本県知事がJNC株式会社水俣製造所 最終処分場の許可証を再交付[6]
  • 2016年(平成28年)3月29日JNC株式会社水俣製造所 最終処分場の許可の有効期限[7]
  • 2016年4月 熊本地震によって、八幡残渣プールの外周道路が崩れる恐れが強まり、水俣市が警戒を強めた[8]




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熊本地震は、水俣病発生地の県南部の水俣市にも深刻な影響を与えていた。老朽化した護岸が壊れ、大きな余震が来れば、公害病の原因となった有機水銀が再び海へ流れ出すリスクが増していたのだ。同じ悲劇を繰り返してはならない。ジャーナリストの桐島瞬氏がその実態に迫る。

*  *  *
 震度7の熊本地震が発生した数日後、水俣市の職員が水俣湾と化学メーカーのチッソ(現JNC)の廃棄場などに接する市道の護岸を調べると、2カ所で裂け目ができるようにコンクリートが剥がれ落ちていた。

 近所の住民がこう言う。

「広大な廃棄場には、水銀などいろんな有害化学物質が埋まっています。大きな余震が来てこれらの物質が溢れ出すようなことが起きれば、周辺の住宅地は大変なことになる。水銀が再び水俣湾へ流れ出したらそれこそ大問題です」

 問題の幅2〜7メートル、長さ1キロほどの市道を歩くと、地震で壊れた2カ所以外にも路面のコンクリートに亀裂が走り、高さ4メートルほどの護岸のあちこちには裂け目ができていた。その数は60カ所を超える。亀裂が深まれば、廃棄場の水銀などが海へ漏れ出す可能性もある。

 廃棄場の広さは、東京ドーム12個分。ここは八幡(はちまん)残渣プールと呼ばれ、チッソが過去に工場から出たカーバイド(炭化カルシウム)の残渣を流していた場所だ。チッソは、アセトアルデヒド製造工程で副生されたメチル水銀化合物もこのカーバイド残渣プールなどを通じて海へ流したことが原因で公害病「水俣病」を引き起こした。


水俣病はメチル水銀が蓄積された魚を食べることで脳の神経細胞などが侵される病気で、1950年代中盤から水俣市やその周辺で、激しくけいれんを起こしたり視野が狭くなったりする患者が増え始めた。発症後わずか3カ月で死亡した患者は16人に上り、死亡率は最高で44%に達した。

 現在までに認定患者は2280人に上る。国が68年に、水俣病の原因はチッソが水俣湾に垂れ流したメチル水銀化合物だと特定した後にも、損害賠償を巡り、住民から多くの裁判が提訴された。チッソは原因が認定されるまで水銀を海に排出し続け、その量は400トンを超えるとみられている。

 湾内の水銀汚染をなくすために熊本県は77年から14年間かけて、海底にたまった水銀ヘドロをすくい取り、その泥で埋め立て地を造る浚渫(しゅんせつ)工事を実施した。

 県の検査では、現在は水俣湾の魚や底質の水銀濃度は規制値以下に下がっている。だが大地震や津波が来れば、残渣プールを水俣湾と隔てる「防波堤」となっている市道が壊れ、水銀が再び海へ漏れ出すリスクを抱えているのだ。

 水俣市などによると、この市道はチッソが私道として所有していたものを2002年に市に寄贈したもの。管理責任を負う市は熊本地震前から市道の亀裂を確認し、修繕の必要性を認めていた。だが、費用捻出の面から対策はなかなか進まず、地震が来てしまった。

「昨年度と一昨年度にボーリング調査などをしたところ、老朽化で損傷もあるため改築が望ましいとの結果が出ています。沖合80メートルほどまで埋め立てて護岸を強化する検討をしていますが、なにせ費用がかかる。県や国の支援を受けないと、市単独ではできません」(水俣市)

 残渣プールのブロック塀の隙間などからはいまでも大量のカーバイド水が噴き出し、路面や側溝を白く染めている。強アルカリ性といわれるこの水が海へ流れ出すだけでも環境への影響が心配になるが、もし水銀が含まれていたら大変だ。残渣プールの地下5メートルほどには地下水が流れているため、そこから水銀が海へ流出するリスクもある。

 チッソに八幡残渣プールの汚染について質問したが、回答はそっけなかった。

「廃棄物の処理及び、清掃に関する法律に基づいて、産廃施設の維持管理は適切に処理されています。地下水の総水銀量も定量限界を下回っています」(広報室)

 しかし、水俣湾への水銀漏出リスクはこれだけではなかった。熊本学園大学の中地重晴教授(環境化学)が指摘する。

「湾内の水銀ヘドロを浚渫して埋め立てたエコパーク水俣も安全とはいえません。大きな地震が来たら液状化し、埋め立ててある水銀が噴き出す恐れがある。湾と埋め立てた水銀ヘドロを隔てている水中の鋼矢板にしても寿命が50年と言われる中、すでに33年が経過して耐久性が不安です。エコパークを管理する熊本県は調査をしっかりとやり、データの公表を含めた対策を取る必要があります」

 エコパーク水俣は残渣プールとほぼ同じ規模を持つ公園。軟らかい水銀ヘドロが地盤では液状化は十分起こり得る。事実、熊本県が昨年4月にまとめた老朽化対策検討委員会の報告には「最大級の地震で地盤が液状化し、水銀を含んだ埋め立て土砂が地表へ噴出することも考えられる」と記されていた。

 県は水銀が噴出しても濃度は低いとしているが、その根拠は敷地内数カ所のボーリング調査で高い数値が出なかったからというもの。しかし、湾内の水銀濃度に濃淡があったことを考えれば、埋め立て地も場所によって水銀濃度が違うと考えるのが自然だ。

週刊朝日 2016年5月27日号より抜粋

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震度7の熊本地震が発生した数日後、水俣市の職員が水俣湾と化学メーカーのチッソ(現JNC)の廃棄場などに接する市道の護岸を調べると、2カ所で裂け目ができるようにコンクリートが剥がれ落ちていた。

近所の住民がこう言う。

「広大な廃棄場には、水銀などいろんな有害化学物質が埋まっています。大きな余震が来てこれらの物質が溢れ出すようなことが起きれば、周辺の住宅地は大変なことになる。水銀が再び水俣湾へ流れ出したらそれこそ大問題です」

問題の幅2〜7メートル、長さ1キロほどの市道を歩くと、地震で壊れた2カ所以外にも路面のコンクリートに亀裂が走り、高さ4メートルほどの護岸のあちこちには裂け目ができていた。
その数は60カ所を超える。亀裂が深まれば、廃棄場の水銀などが海へ漏れ出す可能性もある。

2016/12/31(土) 午後 6:39 [ 美化活動 ]


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