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訃報 加藤三之輔氏(カネミ倉庫会長) 公害・薬害・環境・医療問題
(ニュース)
訃報:加藤三之輔さん 92歳 死去=カネミ倉庫名誉会長 国内最大の食品公害「カネミ油症事件」の原因企業、カネミ倉庫名誉会長の加藤三之輔(かとう・さんのすけ)さんが6日、肺炎のため北九州市戸畑区の病院で亡くなった。92歳だった。葬儀は8日正午、同市小倉北区大手町5の5の明善社大手町斎場。自宅は小倉北区東港1の6の1。喪主は同社社長の長男大明(ひろあき)さん。 1914年、創業者の故加藤平太郎氏の二男として当時の朝鮮・平安南道で生まれた。東京の私立中学を卒業後、再度朝鮮に渡り、会社を経営。戦後に戦犯として送還され、巣鴨拘置所で服役した。52年の釈放後は父の会社を継ぎ、その後カネミ倉庫に社名を変えた。 68年、西日本一円で発生した奇病の原因が、ダイオキシンを含むPCBが混入した同社製造の食用米ぬか油と判明。認定患者約1900人に達する食品公害に発展した。 70年、社長として業務上過失傷害罪に問われたが無罪となり、民事訴訟では同社とPCB製造元の鐘淵化学が損害賠償支払いを命じられた。 ひげに眼鏡、羽織はかまのスタイルで被害者やメディアの前に登場。当初は「全財産をなげうってでも補償をする」と語った。のちに「最終的な補償が終わるまで、社をつぶさないよう経営努力をするのが私の責任」「毎月の治療費を払うのがやっと」と述べるなど発言が後退、被害者から批判を浴びた。一方で、経営手腕は高く評価された。97年に社長を退き会長、昨年12月に名誉会長となった。晩年は公の場にほとんど姿を見せなかった。【戸嶋誠司】 ◇油症の全体像、知っていたはず−−被害関係者ら 被害者救済を巡る直接交渉で数回加藤氏と向き合った油症医療恒久救済対策協議会の矢野忠義会長(73)=福岡県小郡市=は「社長としての管理、監督の甘さが招いた事件で、今も刑事事件の無罪は納得いかない。ただ、人柄は頑固で実直な感じで、もっと救済について話をしたかった。事件をよく知る人がまた一人亡くなり、時代の流れを感じる」と惜しんだ。 市民団体「カネミ油症被害者支援センター」(東京)の藤原寿和事務局長は「典型的な症状は、発覚時期とされる68年2月以前にも見られる。食品公害はいつから始まり、原因は何だったのか。ワンマン社長だった加藤さんは全体像を把握していたはずで、亡くなって真相が闇に葬られてしまうことを危惧(きぐ)する」と話した。【井本義親、千代崎聖史】 ■評伝 ◇もっと語ってほしかった カネミ倉庫の加藤三之輔元社長はここ30年ほど、マスコミの前に姿を見せることはなかった。事件を風化させず、食の安全をめぐる教訓とするためにも、カネミ油症事件についてもっと語ってほしかった。 加藤元社長に対する被害者の思いは一様ではない。一つは、数々の悲劇を生んだ油症事件の直接の加害企業であることから「許せない」との思いがある。もう一つは事件後、会社をつぶすことなく、細々とではあるが、治療費を払い続け、一定の「誠意」は見せたことに対する評価である。 70年代は、被害者交渉などの席に現れていたが、その後はマスコミに姿を見せることもなく「黙して語らず」だった。事件でさまざまに報道され、「何を言っても悪く伝えられる」という思いがあったのかもしれない。 だが、今も苦しむ被害者がいる。日本最大の食品公害事件といわれながら、なぜ食用油にPCBが混入したのか、はっきりわかってもいない。加藤元社長にとって油症事件とは何だったのか。その胸の内を聞きたかった。【前田岳郁】 (2006年3月7日、毎日新聞、西部朝刊)
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